第14話
Aは自分がB子の怒りに触れつつあることを自覚している。成り行きに飲まれ、いつの間にか自分の中にあった“奔流”を彼女に向けてしまっていたらしい。しかし一方で、彼には自分が言ったこと、その理屈は間違っていないと云う奇妙な自負もある。「自分の考えを押し付けるつもりはありませんが、もしB子さんが気分を害されたのなら謝罪します。ただ僕はB子さんに注意を促したいのです。世の中にはおよそ人間性とは無縁な人間がいるということを。そしてそいつらは人を蔑ろにすることでしか生きていけないということを」
「自宅に引きこもっているあなたに、どうしてそんなことまで分かるんですか?」
それきりB子からの通信は途絶えた。Aはそれまで重ねられてきた交感があっけなく、そして無残に途切れたことをただ呆然と受け止めるしかなかった。
これは…、この感じは…。
そのうちにも、B子の最後の言葉が沈み込むように自分の中に刺さってくる。今の自分にはそれに反論する資格さえ奪われた気がする。これまでの語らいは一体何だったのだろう?彼女は結局、僕をそういう人間としか考えていなかったということか。「引きこもり」、閉ざされた人間。彼女のお陰でここから少しでも外に出ようとしていた自分がひどく卑小に思える。
Aにとって今の自分は一塊の抜け殻、或いは「ZONBA」そのものに映る。
「ZONBA」によって社会は、そして世界は少しずつ、だが確実に蝕まれている。国としても結果的に高齢化を倍速させる事案として頭を悩ませているが、《変容》(以後、公称)のメカニズムが不明なまま対応に踏み出せないでいる。せめてもの救いは警護ロボット「パトロム」の有用性が証明されたこと。現内閣もそれでとりあえずは国家の威信を保てると自負している様子だが、本題については当面「想定外」コメントで凌ぐ姿勢。テレビではお笑い出身のタレントが「神仏は人類滅亡の核ボタンを押した」との発言をし、ネットを中心にスキャンダル化している。
研究者Mは注意深く「パトロム」の動向を観察している。正直言って主席開発者であるMにも「パトロム」の行動には予測のつかない部分が多い。問題は「パトロム」がその風貌とは裏腹に、人間社会について全く無関心であること。彼らは与えられた使命を果たすことだけに尽力する。ただそれだけだ。むしろ彼らに対して人間サイドが余計な期待や想像をするかも知れないことがMには当面の不安材料だ。社会はAIを過大評価している。もろ刃の危険性を忘れたがっている。もちろんSF映画のような極端な騒動は論外として、実際問題としてハッキング等の違法行為の対象になる可能性は十分にある。一方でこのところ「ZONBA」自体のことも気に掛かっている。というのも彼の周りでも《変容》してしまった知り合いが何人か出ているからだ。しかし世間で取り沙汰されているような「P2」使用についての関連性は考えにくい。何か他の要素が絡んでいるのではないか。Mは密かに情報を集めている。
もう一人の研究者Wは「ZONBA」についての日誌を続けている。その日会った「ZONBA」の特徴。行動様式。推測できる変容径路…etc.。知り合いについて書く時はやはり心が痛む。弟の同級生は突然電車に飛び込んだ。その両親は息子が「ZONBA」に《変容》しかけていたことを隠し、あくまで事故として応対しているという。Wは考える。もし自分の弟が突如「ZONBA」になってしまったら、自分や家族はその先どうすればいいのだろう?家の中に閉じ込めておくか。それとも警察や病院に収容を要請するか。しかしそれは弟との永遠の別れを意味するに違いない。Wは警護ロボット「パトロム」を思い浮かべ暗鬱な気分になる。一体何が起きているというのだ。訳が分からない。まるで突然地震や津波が襲ってきたかのように、私たちは今この事態に戦慄を覚え震えるしかない。しかし本当に手はないのか?被害がこれ以上広がるのを食い止めることはできないのか?
Wの日誌は次第に自問自答の記載で溢れていく。
Aはここ一週間、極めて規則的な生活を送っている。この2年間で完全に崩壊してしまった日常のリズムと云うものを、何故か急に取り戻したい気持ちになった。B子のことは敢えて考えないようにしている。一緒に物語を作っていこうなどと提案してしまったことは、今から思えばいかにも早計だった。更には彼女のプライベートにまで口出しをするなんて…。やはり距離は取っておいた方がいい。B子が悪い人ではないことは重々分かっている。しかし早々間(あいだ)を詰めるということは、今はお互いの為にならない気がする。それより自分の生活を立て直し、揺るがない自分を見い出したい。むしろAは、久々に前向きになっている自分に驚き、また嬉しく思う。正直例の辛辣なコメントには、2、3日怒りと鬱屈を抑えられなかったが、その後思いがけなく気持ちの踊り場に出た形だ。嫌われたのなら仕方がない。今は自分に出来ることを少しずつやっていこう。彼女の言う通り、自分は「引きこもり」に違いないのだから。そう思えた。
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