第11話
Aはキーボード入力をひと置きすると自分のベッドに寝転がる。今日はまだB子からの通信はない。足元にある本棚に目をやる。ほとんどが学生の頃に買い集めた本だ。小説もあれば科学の本、歴史書まである(我ながらまとまりに欠ける)。誰かが「本棚を見ると持ち主の性格が分かる」と言っていたが、確かにそうかも知れない。それでAは、尚も自分の本棚を寝転がったまま眺め続ける。見慣れた背表紙ばかりだが、中身には最近ほとんど目を通していない。ふと起き上がり、昔ハマった作家のエッセイ本を手に取る。そして一番前から読み始める。
面白い。パソコン画面ではない、紙の上の活字がぷつぷつと浮き上がっては自分に理屈ではない何かを語りかける。指先で紙面に触れてみる。かすかな凹凸が心地良い。ふと、自分が今感じている感覚はAIには理解できないだろうと思う。いくら文明が発達しても、人間の五感にはAIもそう簡単に追いつくことはできないだろう。逆をいえば自分のこの閉鎖された状況はAIには全く理解されないに違いない。ただ生活エリアが極端に狭い男がいる。それだけの事。いっそ自分がAIであったらと思う。余計な事は考えず、与えられた課題をただ黙々とこなしていく機能的な存在。Aは立ち上がり閉ざされたカーテンの縁から外の様子を見る。とりあえず何の変哲もない近所の風景。午後の、ほとんどの者が仕事や学校に出掛けている空虚な時間帯。
またベッドに戻り読書を再開する。AIが読書するならその目的は何だろう。やはり情報収集か?それなら彼らは随筆・小説の類は読まないに違いない。彼らにとってみればそれらは解析不能の、無意味な字羅列に過ぎないのだから。そう思うと、今度は不思議と自分がその無意味な本を読んでいることが可笑しく思えてくる。全く意味不明なんだな、今の自分ってのは…。記憶にない鉛筆の書き込みがあった。「されど孤にあらず」。Aは本のページをめくりながら、流れていく時間と束の間の静寂に耳を傾ける。
「今日動きがありました!」B子からのコメント。
「何ですか?嬉しそうですね」
「ええ。どうやら配置転換ができそうなんです」
「そうですか。良かったですね」
「正式な辞令はまだ先ですが、おそらくふた月後には異動になると思います」
「でも急でしたね。何かあったんですか?」
「実は以前から店舗改編の話が上がっていたんですが、それが急に私の所属部所の閉鎖の形で来たんです」
「ああ、なるほど。じゃRさんも?」
「そうなると思います。ただ、彼女はこの辞令にひどく憤慨しているようです」
「長いこと自分の牙城だったわけですからね」
「ええ。また部長に直談判するって言ってました。ただの愚痴かも知れませんけど」「何はともあれ、これでB子さんもひと安心ですね」
「そう思いたいところですが。まだあとふた月もありますから、やっぱりRさんの動向は気になります」
「そうですね。《GAMER》はとかくヒスを起こしますから、実際の課題以上に扱いが面倒だと思います」
「お話の方はどうなりそうですか?」
「今までかなり当てずっぽうで進めてきたんで、少し設定を整理した方がいいかなって思ってます。話の辻褄とか、人の気持ちの流れとか」
「何だかAさんて、心理学者みたいなところがありますよね」
「え?初めて言われました、そういうこと」
「人間観察が深そうだし」
「母親を見て言ってるだけですよ。確かに心理学の本はたまに読みますけど、結局自分に返ってくるのであまり真面目なものは読まないことにしてるんです」
「分かります。Aさんは人口知能って以前から興味あったんですか?」
ああ、そう来たか。Aは思う。「全部ネット情報の受け売りです。僕が面白いなと思うのは、最近のAIは自分で学習する機能が以前より格段に向上しているということです。前は一から手取り足取り教えなければならなかったことも、今は知能の触手を伸ばして自律的に方法を見つけ対処していくことができるみたいですよ。人間は課題を与えるだけ」
「じゃあ、たとえば迷路抜けとか?」
「一番の得意分野でしょうね。多分人間とは比較にならない時間と正確さで解決するでしょう。彼らの試行錯誤の量とスピードは半端ないみたいですから」
「つまり今は、人間より機械の方が物事を謙虚に学んでいく存在になった、ということなんですね」
「そう。そこなんです、僕が興味魅かれるのは。じゃあ人間の存在意義って何なんでしょう?僕は自分の部屋に閉じこもりながらそんなことばかり考えてます」
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