第3話

 マスコミは「夢のアプリ」(名称:パースペクティブ、略称:P2)を独自に検証し始める。そして政府も世論に押されて急場しのぎの規制を作った。しかし「ZONBA」の増殖はやはり止まらない。昨日普通だった家族が、友だちが、同僚が、今日は「ZONBA」になり果てている。そして近しい者から先にその餌食・犠牲となっていく。世界の治安維持機能はすでに崩壊しつつある。すでにテロは個人的かつ発作的なものとなってしまった。いつ何が起きてもおかしくない状況が世界同時に始まってしまったのだ。人々は携帯のアラート音に怯える日々を続ける。

 

 Aはここで煮詰まってしまう。このまま世界に核戦争でも起きればそれだけで物語は終わってしまうだろう。確かにその後も生き延びる者はいるだろうが、現在の核の脅威では生命のしぶとさもそう長くはもつまい。しかし一方で「まだ足りない」気もする。AI「アダム」はどうなったのだろうか?Aは考える。「有機電脳」と云うくらいだから限りなく彼は人間の脳に近づき、やがてはそれを凌駕していくだろう。事実囲碁・将棋の世界ではすでにAIが人間を翻弄しつつある。そうなれば人間の存在意義はますますぼやけていく。どんなに知的生命体を標榜しても人間はまだまだ不完全な存在。それは自分自身を見ていれば嫌と云うほど分かる。

Aは思う。自分と「ZONBA」の違いって何だろう?自分は社会から逃れるためにここ数年引きこもっている。引きこもって得るものがないことも重々分かっていながら、しかしそれ以外自分を守る術を思いつかないのだ。元来口喧しい母親はもちろん、最近では父親もすっかり自分を見限っている。その証拠に、彼らがこの部屋への階段を上がってくることは決してない。それでいて彼らの存在は常に自分を圧迫してくる。自分に得体の知れない要求を突き付けてくる。その見えない突き上げに自分は今にも逆上しそうになる。「いい加減、自由(すき)にさせてくれ」と。とは言え、今は彼らに自分の生活を委ねるしかないのも事実。Aの指が止まる。

 そうだ。本当は物語など書いている場合ではないのだ。他人を励ましている身分でもないのだ。Aの身体からするすると何かが煙のように抜けていく。

 こんなこと…やってられない。

 不意にB子のことが気に掛かる。物語をここで已(や)むなくさせるにしても、ほとんど唯一の読者と云っていい彼女には断りを入れておかなければならない。そう思う。しかし何て言おう。第一、自分は彼女のことを何一つ知らない。彼女が日々どんな気持ちでブログを読んでくれていたのか、自分は今までそんなことすら思い描けずにいた。つまり、心身共に引きこもっていたのだ。Aはそこで一つの決心をする。

「B子さんへ

 いつも僕の作る物語を読んで下さり、有難うございます。実はそろそろこの話を終えなければならなくなりました。理由は何といっても自分の才能の無さです。これまであなたに励まされて無理矢理話を繋いできましたが、どうやらここらが限界のようです。このまま黙ってブログを終了させることも考えましたが、やはりあなたには正直なところをお伝えしてからと思い、この文章を書いています。

 僕は“ 引きこもり ”です。もう三年目に入りました。仕事を辞めてほんの少しゆっくりするつもりが、いつの間にかあと一日、もう一日と結局今日までやってきてしまいました。正直今は、自分の部屋以外“ 外の世界 ”と思っています。ですからその“ 外の世界 ”で逞しく生きていらっしゃるB子さんに、この僕が何かを発信するなんて土台無理な事だったのです。本当に恥ずかしいことです。そしてこれ以上、あなたを騙し続けることは僕にはできません。ましてや絵空事の物語などで…。

 最後に、今まで本当に有難うござました。いろいろ書き連ねましたが、B子さんへの感謝の気持ちは本当です。

 これからもどうぞお元気で。さようなら A」

 書き終えた時、Aは何か一つ肩の荷が下ろせたかのように或る種爽快な気持ちになっている。日頃鬱屈した取り留めのない生活を重ねているなかで、ひとつでも自分にケジメをつけることができ素直に嬉しかった。Aの中に新しい衝動(かぜ)が吹いた。

 彼は時間を知りたくなる(しかし以前使っていた壁時計はとうの昔粉々に壊してしまった)。ネット画面で確認すると午前一時半過ぎだった。さらに彼の中でハードルが下がる。今なら大丈夫に違いない。彼は取り憑かれたように急いで着替えをすると、最小限の持ち物を用意し自室のドアを息を殺しながら開けた。

「外の世界」は寝静まっていた。Aは不意に自分の物語のワンシーンが甦ってくるのを感じる。「ZONBA」の青年がひたすら夜の街を歩き回る。彼は「出会い」を欲している。誰でもいい。どんな「出会い」でもいいが、自分にとって「他でもない人」と知り合いたいと考えている。しかし当然その願いが叶えられることはない。何故なら彼自身がすでに自分を見失った存在だから。ふとAは笑う。今の今まで気づかないでいたが、あのシーンは結局自分自身の投影そのものだったのだ(虚実を綯い交ぜにして)。Aは歩く。

 引きこもりになる前の時点でも、この時間帯外に出ることは稀だった。お陰で余計な既視感を持たず新鮮な気分でいられる。前方に灯りが見えてきた。どうやらコンビニらしい。まだ外観が新しい。以前は確かただの空き地だった(おそらくこうやって自分は少しずつ世間から取り残されていくのだろう)。Aはおそるおそる中へ入ってみる。幸い自分が知っているものと大して変ってはいない。雑誌の立ち読みをしながら、それとなく自分を現実に刷り込ませていく。他の客や店員も空気のようにそこに佇んでいる。店内を一巡し、最後に新発売のコーラを買って店を出た。夜道を戻りながら自分がひどく緊張していたことを知った。そして家に帰り着くと何事もなかったかのように自室に戻り、久々に心ゆくまで眠りを貪った。

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