第2話「目論見は外れ、打ち砕かれる少年の殻」

 その姿を目にした瞬間から、違和感だらけだった。

 目に映る情報と、肌で感じる雰囲気とが違い過ぎる。

 まるで〝彼〟の中に誰かが入っているかのような、気持ちの悪さ。

 元々決まっていることとはいえ、コレは流石に看過できるものではない。

 場合によっては今後の障害になる可能性だってあるのだから。


「こ、恋人……?」


 言葉以外の全てが静寂に満ちた部屋の中で、天袖は激しく動揺していた。

 ベッドに落ち着く自分——に、覆い被さる契約相手。


「そう。恋人になって」


「それが条件、ですか? でも、これより前のやり取りには何も……っ」


 天袖は焦る。

 無架とルールの確認をしたのは、随分と前のことだ。最終決定はその時に行われていて、その後のやりとりも今日の昼間に確認のメールをしたくらい。

 連絡に不備はない筈だが、天袖はケータイを持っていない。誰かに貸してもらうか、インターネットカフェなど、料金を支払ってパソコンが使える場所等を利用しなければ、無架とのやり取りはできない。

 ……知らない間にあった新しい条件の提示を、見落としていたのかもしれない。

 自分からの条件提示に異論反論がなく、無反応で天袖はここにいる。無架にとってみれば、それを含めて天袖は承諾したということにもなる。

 どうしよう——天袖が焦りの落とし穴を落下していると、無架は首を横に振り彼の手を掴んだ。


「条件? ううん、条件、ではない。それは言ってない。恋人になってほしいのは、わたしの我儘」


「我儘……」


 ということは、恋人になって欲しいというのは契約の外。応じる必要のないもの。


「……なんで?」


 純粋に、その疑問が彼の中に湧いた。

 天袖のように、ヒトの形をしてヒトと同じ理性というものを持ちながら、その実態が人とは異なる生き物のことを、世界は人種魔妖と呼ぶ。

 自分とは違う。自分には無い能力。文化や習慣の範疇を超えた、どう足掻いても再現なんてできない異能。

 理解できない程おぞましいものを持つ天袖と関わり合いになりたいなんて、思うはずがない。

 だが。そんなふうに凝り固まった〝人間〟に対する天袖の幻想を、無架は容易く蹴り砕く。


「……ん。仲良くなりたいから」


 それこそ普通に、なんでもなさげに。

 ごく当たり前のことのように。

 無架は言い切った。


「……そんな、理由」


 仲良くなりたい——そんな理由があるのかと、天袖は思った。

 彼は、自分にかけられた言葉をかけらも本気にしちゃいない。……でも彼がずっとそのセリフに憧れていたことは、事実だった。

 感動の類似体験に浸る天袖に、無架はさらに言葉を重ねる。


「もちろんタダだよ」


(タダ? 何が?)


 呆けていた天袖に、今度は無架が話を始める。


「恋人になってくれれば、あなたが必要な時に血を吸わせてあげることもできる。……どんな理由か知らないけれど、その年齢のあなたが吸血先を必要としているくらいだし」


「……! ……そうです、ね」


 天袖は、自分がどんな表情をしているかわからないくらい、戦慄していた。


(……ダメかな……)


 自分の事情をある程度推測されている。

 それは天袖にとって途轍もなく危険なこと。吸血なんてやめて、すぐにでもこの場所を去らなければならない程だ。


(……ううん、でも)


 だけどそれは、彼女と恋人にさえなってしまえば、関係なくなる。無架さえ黙ってくれているなら、天袖は定期的に彼女から血液の提供を受けられる上に天袖の秘密も保たれることになるからだ。

 そのために、聞かなければならないことがある。


「……条件はなんですか」


「……だから、条件じゃないって——」


「恋人を続けるための条件は、なんですか」


「————」


 恋人になる条件。ではなく、恋人を続けるための条件。

 きっかけは無架が作ってくれた。あとは天袖がそれを了承すれば、恋人関係は始まる。

 でも、その関係はいつ終わるのか明言されていない。


「……恋人を続けるための……」


 だとしても、天袖のコレは勘ぐり深いとか緊張の表れだとか、そういうのを通り越して、事務的過ぎる。

 言葉遣いとは裏腹に機械を相手に喋っているかのような、天袖の無架への気遣いのなさが目立つ。


(……あぁ、そうか)


 出会って数分、たった数回のやり取り。その中で無架は、雪蕎麦天袖という人間を掴みかけていた。


「……期間なんて、決めない」


「決め、ない……?」


『特に』も『別に』もなく、ただ『決めない』。そこに天袖は困惑した。

 利益が無いのに人は契約を結ばない。もしくは話を持ちかけようとしない。

 何より終わりのない契約は、呪縛と変わりない。


「あなたの方は誰に〝決められた〟のか知らない、けど」


 困惑の渦から抜け出せない天袖に、無架は歩み寄った。


「恋人は契約じゃない」


「————」


 再び無架は天袖に触れる。

 だが、触れるだけではない。

 それは、上書きするための儀式。

 無架の知らない誰かに掛けられた、天袖の『契約』が、打ち砕かれる。


「    」


 フレンチキス。それは、天袖の中の幻想を抉り取るものだ。


「いきなり……ごめんね」


「……びっくり、した」


 天袖の口調が変わった。そして見た目も。

 どこか気を張って堂々と虚勢を張っていた天袖の姿はどこにもなく、見た目以上に幼い、少年の姿がそこにはあった。

 唇を離し、出会った時よりもひと回りくらい小さくなった天袖の体を抱きしめる。

 触れてわかった。

 呪いすら迎え撃つ程の身体に染み込んでいる、契約。

 それは『教え』。

 無数に埋め込まれた悪意の中、天袖から取り除けたのはたったひとつだが、ほんの少しでも彼が楽になるなら、それでいい。


「…………」


 天袖は何をされたのか気づいていない。

 彼が今まで自覚してこなかった腫瘍を取り除いただけだ。気づく必要もない。

 ——ただ。


「……ひとつ聞きたい、んだ」


 幼児に対して接するように、優しく、言葉遣いを柔らかにする。

 それでいて、片想いの相手に告白する時のような、覚悟と決意を持つ。

 無架は天袖と接触することで、吸血に関する契約、恋人になることとは別に、とある懸念を抱いていた。


「……? なに?」


「わたしと同じようなキス、他の人にもしたことあるの?」


「うん」


 ほぼ間を置かない回答。実際に天袖に触れた無架は、自分の他に悪意を天袖から取り除いた者達がいることを、直感していた。


「…………そう」


 これは、厄介だ。

 邪魔になる可能性もあり得る。

 もしかしたら、彼をけしかけた者の中に天袖に悪意を施した者がいるのかもしれない。

 天袖が囮である可能性すら疑って、無架は彼の頭を撫でた。


「いっぱい?」


「……ん。回数は聞いてない」




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