第3話「言えない秘密。奪われた過去」

 一五時三二分。久那無架が「雪蕎麦天袖」と接触するより二時間二八分前のこと。


「…………」


 一六時に天袖から無架へ連絡する予定の部屋番号。その時以降にしか知り得ない筈の四〇四号室に、無架の姿はあった。


「そこのカメラ、角度ズレてる。……ああ、もうちょいみぎみぎ」


「この位置じゃ見えないだろ。ここは盗聴器に替えてこっちにカメラ置くか」


 そして、部屋の中にいるのは無架だけではない。

 改装工事でも行っているのかと見紛う数の作業服姿の作業員達が、照明や壁、床に鏡台の裏などいたる箇所に機材を設置している。

 なんのため? 勿論、無架がこれから密会をするためだ。

 具体的には、これからこの場所へとやってくる人種魔妖をこと細やかに観察するため。

 感圧板を床の一部とすり替え、体重を量る。カメラで人相や身長、体温の変化などを測る。ベッドに付着する毛髪などからも個人情報を採る。


『域物の疑いがある少年』。その真偽を探るために。


 域物——環境に適応して進化を繰り返す生物とは根本的に異なる体構造を持つ、人類の敵。超常現象を操る無敵存在。それが、無架がこれから出会う少年に疑われていた。

 しかし通常であれば、ヒトのカタチをした域物が人類領域まで辿り着くこと自体あり得ない。

 まず、域物がこの世界に足を踏み入れるための手段として〝穴〟以外の方法がない。しかしその〝穴〟には他の域物も出現するため、もしヒト型の域物が出現していたとしても、同時に出現する他の体躯の大きな域物に殺されてしまうのだ。


 そして域物がヒトたり得ない何よりの理由として、彼らには『理性』が付加されない。


 ……だから暴力の衝動に抗うことができず、わかり合うこともできない。

 例えヒトの域物を迎え入れたとしても、人類はそれを〝飼う〟という形でしか共存することができないだろう。

 それはヒト型が産まれる可能性を否定するものではないが、手を取り合って生きる「共生」は不可能だということだ。


 ……だが。


 もしも「理性を獲得した個体」が域物の中から現れてしまった場合、人類は終わる。

 ただでさえ域物が出現するせいで常に窮地に立たされているというのに、超常現象を操るとすら言われる域物に理性が付着したのなら、人類に勝ち目などないのは道理だ。

 だから無架達『レッテル』は、域物が意思を持つなどという、悪夢を極小の可能性の欠片であっても確実に芽を摘み消し去るために行動している。

 直接の接触役である無架が天袖と出会うまであと二時間半。作業は、急ピッチで進められていた。


「…………」


 とはいえ、彼らの作業が終わるまでの間は何もする事がない。

 無架は、暇を持て余していた。

 本の文字を追うことにも飽きてきた。

 その暇オーラを敏感に感じ取ったのだろう。思考支持システムオートロが、ピロピロ……とライト信号を点滅させる。


『……地上ガアレバ地下ガアル。デハナク、地上ガアルナラ空上(クウジョウ)モアル、トハ思ワナイカ』


「……ん、海上じゃなくて?」


 突然変なことを言い出した相棒に、久那無架はそれまで読んでいた本を閉じる。


『違ウ。空上ダ』


「宇宙のこと?」


『ソレハ宇宙ダロウ。ワタシが言イタイノハ、空ノ上ノ世界——天国ハ何処ニ在ルノカナ、トイウコトダ』


「それは、空の上でしょ」


 無架にはオートロの言いたいことがわからない。でも、本に印刷された文字を追うよりは退屈しない。


『キミガ言ッタジャナイカ。「空の上は宇宙だ」ッテ』


「なら宇宙にあるんじゃないの?」


『ダカラソレハ宇宙ダ』


 同じことの繰り返し。何が違う。……火の粉のような微細な苛立ちが、無架の中で発火する。


「わかるわけないじゃん。そんなよくわかんないところ」


 無架が半ばキレ気味にそう返すと、待ってましたと言わんばかりにオートロはライトの色を変えた。


『ソウダ。ヨクワカンナイトコロダ』


「は?」


『ヨクワカンナイトコロカラヤッテキタ域物ニ、キミノ両親トキミノ国ハ殺サレタ』


 とうとう壊れたか、なんて思いかけた矢先、オートロは唐突に無架の過去に触れた。

「クオンティ」……かつて存在したその王国は、今は存在しない無架の生まれ故郷。


「…………」


 何のために無架の傷を抉る、なんて問い返すまでもない。

 無架がこの作戦に参加しているのは、自分のためだ。国王である父親、女王である母親……そして滅びに巻き込まれたクオンティの国民全ての仇を討つという大きな目的のため。

 そのためには、人殺しすら躊躇わないと無架は決めた。


『キミノ国、クオンティガ滅ビタ元凶。キミガ見ルコトノナカッタ、全テノ仇』


 当時、世界で唯一域物の侵攻に抗うことができた最強国。〝穴〟の発生を間近にしながら他国に救援を求めることすらしなかった防衛力は、王国の滅亡から一〇年がたつ今でもその領域に到達した国はいない程だ。

 それがたったの一夜で滅びてしまった。


 たった一体の、理性ある〝域物〟の侵入によって。


 域物に家族は無い。だが、孤独で可哀想とか仕方がなかったとか、同情の余地など少しも無い。

 あいつは無架の全てを奪った。

 だから無架はあの獣を憎む。

 あの獣は、何を思って無架の祖国を滅ぼしたのか。


『ソレニ近ヅクタメニ、キミハコレカラ任務ヲ背負ウコトヲ、忘レテハイケナイ』


「わかってる。やることは、やる」




 知性ある獣——クロウディプレートを倒すために。




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