第10話「朝食と約束②」

「……ぉお、おお……!」


 絶景。まぁ、絶景である。

 厚さ四センチのステーキがじゅうじゅうと音を立て、鉄板の上に鎮座している。

 肉から立ち昇る湯気、香り。そのカタマリを頬張ったなら、中に閉じ込められた香りと肉汁は口の中で爆発する。幸せの花火だ。溢れるのではなく、染み渡るように幸福が全身の細胞へと広がっていくのだ。

 感動のあまり、味わえたことが嬉しさとなる。味覚が感情へと変わる。それは一体、どれほどの幸福なのだろうか。

 ——と、ここまでを想像で過ごした天袖は、思わず自分の腹を触った。目の前のご馳走に、天袖の胃袋が感謝の悲鳴を上げたのだ。

 さらに、テーブルの上に並べられた料理はステーキだけではない。赤、黄色、緑と彩り鮮やかなサラダ、全てに寄り添うことができる白飯、そして薄緑色のポタージュスープ。


「……っ」


 他にも鶏の唐揚げや大きな肉の塊がゴロゴロと入ったビーフシチュー、蒸し鶏をのせたせいろなど、テーブルいっぱいにご馳走達が載せられていた。

 考えなくてもわかる。——夢のようだ。


「……い! い! の!?」


「そっちの熱そうなのはラスノミ用な。お前のはこっち」


 無論、湯気を立ち昇らせる料理が美味しそうに見えただけで、熱いものを天袖は食べられない。


「えへへ、ありがと」


 そんな天袖に合わせて温度を調整してくれた碌亡の優しさが嬉しくて、つい笑みが溢れた。


「いただきます」


 感謝の言葉。それは、今この時——碌亡にだけ、向けられていた。


「……それじゃ」


 フォークを手に取り、ご馳走と向き合う。

 色んなもの、というか全部の料理が美味しそうで、最初の一口を迷いかける——が。


『朝イチでヘビーなもん食わせてやるから覚悟しとけ』


(やっぱり……)


「あむっ!」


 一口目はやはりステーキを選ぶ。

 ラスノマィが碌亡に頼んでおいてくれたのだ。ラスノマィにも後でお礼を言おうと心に決めて、待望のステーキを噛み締める天袖だった。




「ごちそうさまでしたっ!」


 肉が。

 あれだけあったご馳走が。

 ラスノマィのものを除いて、碌亡が天袖に「食べていい」と言った分が、テーブルの上から全て消えていた。

 テーブルに載るだけでも天袖の体積に迫る量だったというのに、驚異的な胃袋だ。

 しかしそれを眺めていた碌亡はいつものように受け流して、彼が天袖達に会いに来た「表向きの目的」について話し始めた。


「……貰った映像では確認したが、他との違いがイマイチわかんなくてな。……既種か?」


 真の目的があるからといって、表向きの目的を蔑ろにすることはできない。特に、今回は獲物がある。碌亡の利益に直結するためだ。——と。


「ううん。〝穴〟の近くにいたから新種だと思う」


「…………」


「碌亡?」


 また碌亡が黙りこむ。別に変なことは言ってない、はず……。と天袖が自分の言葉を思い返していると、碌亡が顔を上げた。頭痛薬があれば欲しがりそうな顔をしている。


「……おまえら、今回どこまで行ったんだ」


 なんだ、行き先が気になったのか。……そう思った天袖は素直に、


「アビリティニア?」


 と答えて、碌亡の変化に気づいた。

 碌亡の瞳孔が開いている。目もはっきりと見開かれていた。口は半開き……天袖が目にするのはこれで何度目かの、彼が本気で驚いた時の表情だ。


「第三(サード)か!? あんなとこまで行ったのか!」


 サード。三番目。

 世界中に存在する域物達の出口〝穴〟は人類が発見したものに限って番号が付けられ、数字で区別されている。

 人類領域が確認しているだけでも二一六の地点で〝穴〟が開き、そこから域物達が毎日のように姿を現している。

 だが『確認している』とは言っても『その周辺地域に域物が多いから、恐らく〝穴〟がある』程度の推測で『確認された』ことになっていて、〝穴〟そのものを直接観測しているのは一〇箇所程しかない。

 碌亡の言う「第三」とは、人類領域史上三番目に直接確認された〝穴〟のこと。

 そして「第三」は、かつて観測された中で人類領域から最も遠い場所に位置する〝穴〟なのだ。

 最も遠い——それ故に、最も危険なエリアだとされている。

 そんなところに行ってきたというのだから、碌亡が呆れるのも無理はない。


「だって、珍しいほうが碌亡だって嬉しいでしょ?」


 嬉しい。喜ばせたいという一心で、行動したというのか。

 ガキが、まさにガキのような理由で、散歩でもするかのように——禁踏地に立ち入る。


「だからって、お前らは、……、……ったく」


 目の前にいる人間の安否を心配するというのもおかしな話ではあるが、彼らがやってきたことを思えば、それをせずにはいられない。


「どうやって帰ってきたんだよ」


「らすのみの術で」


 がた。碌亡が音を立てて立ち上がる。彼がラスノマィのことを心配しているのは明白。

 だが、その心配を彼が口にするよりも先に開くドアが彼の心を落ち着けた。


「……おはよ」


 開いたドアから姿を現すのは、やはりラスノマィ。


「……大丈夫か?」


 ラスノマィの体調を気遣う言葉に、彼女は頷きを返す。


「転移する時の力はほぼ天袖から引き出してるから、大丈夫だよ」


 碌亡と天袖がどんな話をしていたのか、話す内容によって碌亡がどんな反応をするのか——想定していたラスノマィは、ボクだけどわたしだってお風呂入ってくる、と言って、そのまま扉を閉めた。


「……ラスノミが風呂から上がって、飯食ったら話の続きするからな」


「あい。……それなら、おやすみ」


 ごっ。意識を失うように、天袖はテーブルに突っ伏す。数秒後、天袖の寝息が聞こえ始めた。……昨晩、天袖はろくに寝ていないのだ。

 その寝顔を見て、昨晩の内容を想像しない碌亡は思わず零す。


「……吸血鬼でも、昼間に眠くなるんだよな」




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