第90話 姉さんを説得する難しさ

「で、……その口が何を話すの?」


「えっと……あの、だな……、彩芽も騙されてたから、可哀想だろ……」


「はあ!? あなたが言ってること分かってるの!!!」


 姉さんは、まるでびっくりマークが三つくらいつきそうな勢いで俺を睨んできた。


「ごめんなさい。わたしが……」


「美由ちゃん、あなたは何も言わなくていいからね」


「えと、その……」


「美由ちゃんは被害者なんだよ。彩芽はさ、自分で選んだ道なんだよ! 今更、元鞘に戻りたいなんて、そんな上手い話はないんだよ!!」


「えと、それは……」


 予想していたことだが、姉さんは怒っていた。いや、完全にぶち切れていたと言った方が正しい。


「美由ちゃん、あなた幸人のこと好きでしょう。ずっと前から……」


「そ、そうだけどぉ」


 美由は思わず顔を伏せた。


「じゃあ、将来結婚するとしてね」


「け、結婚!!!!!」


「そりゃするでしょ。相思相愛なんだからさ。偶然、奇跡的にこんな冴えない男に可愛い女の子が、しかもふたりも言い寄ってきたから、勘違いしてるかもしれないけどさ」


 姉さんは一旦そこで言葉を切った。


「こんな男がそんなにモテるわけないわけじゃん。じゃあ、美由ちゃん次第だって分かる?」


「えと、そうなのかなぁ」


 美由……、姉さんの言葉に乗せられてるぞ。俺は額から汗が流れるのを感じた。そうなんだよなあ、姉さんを説得するのは、本当に難しいのだ。


「えと、わたしは、幸人と結婚したい!!」


「でしょう。でも、それは、彩芽だってそうなんだよ」


 これはヤバいな。


「それにさ、将来、こいつだって仕事するわけじゃん。じゃあさ、後輩が勘違いして好きになって、誘ってきたら、美由ちゃんは、好きならあなたも彼女になっていいよって言うわけ?」


「それは……でも、彩芽ちゃんはいい娘なんです……」


「あらぁ、それはこの後輩だっていい娘かもしれないよ。もしかしたら、美由ちゃんより可愛い男性経験ゼロの女子高卒箱入り娘かもしれないよ」


 これは本格的にヤバいぞ。姉さんは外堀から埋めていくつもりだ。


「それは嫌です!!! わたし、譲りたくないっ!!!」


「でしょう」


 姉さんは俺を見て、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あなたの言い訳なんて通用しないからね」


「いや、これは言い訳じゃない! 俺さ、彩芽と美由以外には誰も好きにならない!!! だから!!!」


「それってさ」


 姉さんは俺に顔を近づけた。


「浮気男の言ってることと同じじゃん。そもそも、美由ちゃんに告白しときながら、彩芽と寄りを戻そうなんて、都合良すぎるんだよね」


 姉さんにとって浮気は御法度だ。大学で付き合っていた彼氏に浮気をされたそうだ。浮気相手と部屋にいたところを姉さんは竹刀片手に入っていき、キレまくったそうだ。


 その時、何があったのかは誰も知らない。ただ、姉さんの彼氏はその後女性恐怖症になって、今でも姉さんの影に怯えてるそうだ。浮気相手は、精神病で今も入院していると聞く。


 きっとその部屋では地獄絵図さながらの惨劇が繰り広げられたのだろう。家に帰ってきて、姉さんが言ったのは、なんか相性合わないから別れたよ、だったらしい。


 大丈夫だったかい、と両親は姉さんのことを心配したが、俺は浮気相手のことを心配してやれと思ったものだ。


「で!!! どうすんの? 彩芽か美由かどちらかを選びなさい。選んだら、その相手で全て丸くまとまるように、わたしがまとめてあげるから」


「いや、それは!!!」


 こういう時、両親も役に立たない。息を潜めて嵐が去るのを待っているようだ。爺さん婆さんは完全にボケたフリをしていた。


「はあ、そろそろお迎えが来るかねえ」


「そうだのう」


 あんたら、さっきまで、ボケることなんてあり得ないよな、って嬉しそうに話してただろ!!!


「で、どっち???」


「えと、その……」


「美由だよね!!!」


「……えっ、、、」


「美由が好きだよね!!!」


 これはヤバい。俺が美由と別れて彩芽と付き合う選択がないことに気づいてるよな。


「分かった!!! 姉さんのことを信じて、大船に乗ったつもりでいな。彩芽ちゃんとは話しつけてくるからさ」


「いや、それはちょっと!!」


「ちょっと、何? まさか、こんな可愛い美由ちゃんを振るとかふざけたこと言わないよね」


「いや、言わない……」


 もちろん、美由はかけがえのない人だ。美由から別れ話をして来ない限り言うはずがない。


「でもさ、彩芽だって可哀想なん……」


 目の前に竹刀を振りかぶった姉さんがいた。


「で、彩芽ちゃんがどうしたの?」


 俺の額から滝のように汗が流れ落ちる。姉さんの能力はよく知っている。


 以前、竹刀で木を倒していたのを見たことがある。どうやったら木が倒れるのかは分からないが、姉さんが持った竹刀は竹刀と思わない方がいい。あれは真剣だ!!、


 俺は何も言わずにただ、頭を擦り付けて土下座した。


「で、幸人、それ何してるの?」


「ど、……土下座……」


 その瞬間、俺の横を竹刀が通り過ぎ、俺が座っていたソファを真っ二つにした。


「ひえええっ……」


「あら、練習サボってたからかしら、手元が狂ったかも……」


 いや、絶対嘘だよね!!!


 

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