第51話 美由の過去

「練習してみない?」


 美由は俺の手をぎゅっと握って、俺を引き寄せた。


「……美由……ちゃん」


「違うよ……今は……美由……だよ」


 ちょっと、これは柔らかくて、いい匂いだ。って言うか、やばくないか。俺の目の前には美由の二つの膨らみがあった。


「ちょっと、待ってよ。お芝居と言っても……」


「そんなんじゃ、漫画失敗するよ」


「そうだけど、でも……俺たちは……」


「友達だよね。じゃあ、逃げないでよ」


 逃げないって言っても、美由も震えてるじゃないか。


「男性恐怖症、大丈夫!?」


「……大丈夫……だよ」


 小刻みに震えるその身体が大丈夫じゃないことを告げている。無理させすぎるのはダメだ。俺はゆっくりと美由の身体から離れた。


「……どうして!?」


「震えてるよ」


「……大丈夫だよ。幸人なら、あまり怖くないし……」


「それよりもさ。男性恐怖症になった中学生の時のこと教えてくれないか?」


「えっ!?」


 俺は漫画を成功するにあたって、美由の過去と向きわないとならないと思った。


「美由が辛いなら……話さなくてもいい」


 美由はその言葉を聞いて、ゆっくりと首を左右に振る。


「大丈夫だよ。幸人はあいつらとは違うからね」


 大丈夫と言うのはきっと強がりだろう。中学の時、美由に何が起きたのか。どうして男性恐怖症になったのか。それを明らかにするには、自分と向き合わないとならない。強いトラウマにまでなっている過去と向き合うことは強い拒絶が生まれる。


「いや、今じゃない方がいいかもな。拒絶反応が出てるだろう」


「うううん、今じゃないとダメなんだ。区切りをつけないとならないんだよ」


 美由は強く目を瞑り、ゆっくりと俺を見た。そこには強い決心が見てとれた。


「わたしね。中学の時、ちょっと有名なご当地アイドルだったんだ」


「えっ!? 確かに美由ちゃんは可愛いけど……」


 美由がご当地アイドルなのは理解できた。これだけ可愛ければ、確かに芸能界が放っておかないだろう。


「友人が勝手に応募みたいなんだけどね。美由ならきっとアイドルになれるよって、わたしもね。あんまりに推してくるから、一度くらいはいいかな、ってオーディションを受けたの」


 ちょっと待ってくれよ。川上先輩の言ってた話とかなり違うぞ。そうか川上先輩が美由の住んでいたところに行ったと言うのは嘘だったのかよ。


「でね、オーディションがとんとん拍子で進んで、わたし合格したんだよ」


「……凄いじゃないか。アイドルなんて……」


 俺が喜んでそう言うと美由は小さく首を振った。


「ご当地アイドルなんて、そんないいもんじゃないんだよ。実はね、そのアイドルグループは金持ちのファンと繋がっていてね」


 都会のアイドルなら別として、ご当地アイドルは資金源も脆弱で、ファンとの飲み会などにも参加させられたらしい。もちろん、美由は未成年だからお酒を飲むことはできないが……。


「でね。クラスで一番金持ちの男の子がわたしに凄く興味を持っていてね。俺のセフレにならないかって……」


「……嘘……だろ」


「もちろん断ったよ。わたしは枕営業をしてまでアイドルになりたくなかったから……そうしたらね」


 美由のファンだった男は地元の有力者だったらしく、友達も徐々に離れていき、ひとりぼっちになったらしい。


「それでも、諦めきれなかったみたいでね。俺と一度でも寝てくれたら……、アイドルを辞めなくてもいいし、みんなとも仲直りさせてやるって」


 俺はその言葉に今までにない強い憤りを感じた。中学生の言う言葉じゃない。


「困ったわたしは、どうしたらいいのか分からなくなってね。一度は死のうとさえ思ったけど、死ねなくて……、でもそんなこと誰にも言えるわけがなくてね」


 塞ぎ込んでいた美由を心配した姉が友達と会うから行かないかって誘ってくれたらしい。


「さすがに少し前までご当地アイドルだったわたしは、弟を連れてくると聞いたから、伊達メガネをかけて行ったんだよ」


 なんか、中学の時人間不信だった俺は姉に連れられて山登りをしたことがあった。


「そしたら、その弟くん。凄いぶっきらぼうでね。全く優しくないの。でもね、それが返って楽だった」


 そうだ。人間不信の俺は眼鏡の女の子が挨拶するのも無視してたっけか。


「もしかして……あの時の……」


「そうだよ。凄いぶっきらぼうなのに、本当は優しくてね。わたしが倒れそうになるのをさりげなくサポートしたり、少し後ろを歩いてくれたりね」


 美由はニッコリと笑顔で俺を見る。


「で、お姉ちゃん達とはぐれちゃったでしょ。わたしが困っていると目の前の男の子が、大丈夫だから、と山道を上手くエスコトートしてくれたんだよ」


 ってそれ、俺のことだよな。


「他の男の子と違って、その子はわたしに興味を持つわけでもなく、だからと言って何かあると助けてくれてね」


 そうだ。その日から1週間、眼鏡の女の子が付き纏ってきたんだよな。


「この人なら話しても誰にも言わないよね、と思ったわたしは勇気を出して告白したんだよ」


 そうだ。男性恐怖症になって死にたいけど死ねない、と言ってたっけ。


「そしたら、その男の子。死ぬなんて言うなよ、どんな苦しくても死んじゃダメなんだ。お父さんもお母さんも君の姉さんも、そして君と出会った俺も悲しむって」


 そう言えばそう言ったか。人間不信のくせに、俺はどうしてかその言葉が強く記憶に残ってた。


「どうしても、苦しいなら、俺を頼れ! 死にたいなら、俺に言えって。なんでも聞いてやるからってね」


 そうだったんだ。


「だから、全部今までのこと言ったの。もちろんアイドルとかぼやかしてね」


「もしかして……あの時のおさげ?」


「やっと気がついたんだ。本当に鈍いよね」


「じゃあ、どうしてこの学校に!?」


「あの時、言ったよね。友達がいないなら、俺がお前の友達になってやるって……」


 美由はそう言って本当に嬉しそうに微笑んだ。


「だから、会いに来たんだよ! 君のお姉ちゃんに教えてもらってね」


 あのおさげの目立たなそうな陰キャが、まさか天使様……。嘘だろ、おい。


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