第30話 海水浴

「今日はよく来てくれたね」


 歯がキラッと輝いていそうな清々しい笑顔で、川上先輩が美由に挨拶して、手を取った。


 表情の清々しさと裏腹に頭の中は黒い妄想が渦巻いてるんじゃなかろうか。


「川上くん、ありがとうね。こんないいホテル用意してくれてさ」


「はい、美由ちゃんのお姉さんもちろんです。美由さんの頼みとあればこの川上どんな所でも用意させていただきます」


「ごめんね。川上先輩、その……」


 美由が困った顔で俯いている。そうだった。


「あのさ、川上先輩悪いけど手を離してあげてくれないかな」


「はあっ!? なぜ俺が美由ちゃんの手を離さないといけないのだ。それに……」


 川上先輩は俺の方を向いて睨みつけた。


「なぜ、君がここにいるんだね」


「あのさ、ごめんね。川上先輩……、そのわたし、まだ男性恐怖症……、その治ったわけじゃなくてね」


「ご、ごめんなさい!」


 美由からオッケーもらえないのは、そう言う所だぞ。俺は心の中だけで、そう突っ込んでおいた。


「それはそうと美由ちゃんのお姉さん。どうしてこいつはここに……」


「えとさ、わたし、美由ちゃんのお姉さんじゃなくて、悠人のお姉さんね」


 川上先輩はそれを聞いて真顔になる。て言うか男性恐怖症を調べに自宅まで見に行ったんじゃなかったのかよ。それなら姉がいないことなどわかってるはずなんだけどもな。


 色々とこの男は突っ込みどころが多そうだった。これは、俺が美由のお兄ちゃん役として川上先輩のことをちゃんと調べないとな。


「本当……ですか?」


「本当だよ!」


「ぐわっあ……」


 なんか一人自滅してる気がする。


「それより悠人くん。ほら目の前に海が見えるよ! 凄いねえ」


 美由は海の前のコテージを見て子供のようにはしゃいでいた。その言葉を聞いて川上先輩は俺の肩に手を置いた。


「悠人……くん?」


「あははははっ」


 もう笑うしかない。向こうは川上先輩で俺は悠人くんなんだからな。でも、最近になって美由は俺を下の名前で呼ぶようになった。友達だからだろうか……。


「ちょっと待て……聞き捨てならんぞ。美由ちゃん!!」


「はいっ!?」


「どうしてこいつは悠人で、俺は川上先輩なんですか?」


「だってぇ……」


 なぜか美由は指と指を合わせてもじもじした。


「それは、川上先輩は先輩で悠人くんは同い年だからかな?」


 美由は川上先輩から視線を外して上目遣いで俺を見た。フォローしてくれとでも言っているようだが、俺が言ったら逆に火に油を注ぎそうなんだが……。


「なら、俺も先輩じゃなくていいですから……浩と呼び捨てで呼んでください!!」


「ごめん……それよりわたし……その……」


 これは見てられないな。


「川上先輩、手を離してあげてください!」


「なぜ、俺がお前の指図を聞かなければならないのだ」


「だから、男性恐怖症!!」


「あっ、……」


 川上先輩は慌てて美由から離れた。


「ごめんなさい!」


「いえ、いいんだよ。謝らないで」


「そんなことより海行こうよ。ほら、美由ちゃん行くよ」


 姉さんが空気を読んで美由を連れて更衣室に行ってしまった。それにしても、これじゃあ美由を絶対やれない。俺のお兄ちゃん視点から見たら、今の川上先輩の行動は0点だ。


「なぜ君が……幸人くんで、俺が川上先輩なんだよ!!」


 なぜか凹んでいた。


「美由……ちゃんも言ったでしょう。先輩なんだから……それでいいじゃないですか?」


「美由!! ちゃん!!」


 お兄ちゃん視点で言おうとして、どうやら俺は思い切り墓穴を掘ってしまったらしい。


「なあ! 君はずっと結城さんと呼んでたよな」


「そうでしたっけ?」


 お兄ちゃんとして妹を川上先輩にやれるかどうか考えてましたため、つい下の名前で呼びましたなどと言えるわけもない。


「ふざけんなよ。あのさ、君と美由ちゃんとでは釣り合いなど全く取れないのだからな」


「分かってますよ。それくらい……」


 そんなことは分かってる。どう控えめに見ても美少女の美由と普通メンの俺。ふたりで歩いてても、きっと誰も俺の彼女とは思わないだろう。


「なら、結城さんと呼べ! その方がしっくりくるだろ!!」


 なんかその言い方、押し付けみたいで嫌だった。それに美由だって名前呼びしてるのに俺だけが結城さんじゃ友達とは言えない。


「俺は、その美由……ちゃんと友達だから、こう呼びます! 川上先輩の指図は受けませんよ」


「ふざけるなよ。誰のおかげでこの別荘を提供してやったと思ってるんだ」


「気に食わないなら、俺は帰りますけども……」


「おお、そうしろそうしろ……」


 ただ、美由と姉さんだけを残すのも嫌だ。川上先輩を信用しないわけではないが、世の中には色々と厄介なことがある。


「じゃあ、着替えて出てきたら、結城さんに帰ることを言いますね」


「うん。そうだな……俺は君まで泊まらせるつもりはないからな」


 まあ、姉さんがいるから身の安全は保証されている。剣道五段、柔道四段だからな。並の男が束でかかってもまず勝てることはない。


 俺は着替えることもなく、川上先輩と更衣室の近くでふたりが出てくるのを待った。


 まあ、元から友達なんかいらなかったんだよな。川上先輩が俺を宿泊させる気がないなら帰るしかない。


 そう、俺は自己弁論を始める。久しぶりのおひとり様生活か。それもいいかもな……。そう思いながらも少し寂しくもある。


 なんでだよ。もともとひとりでせいせいしてただろ。


「あれっ、悠人くん、まだ着替えてないの?」


 更衣室からパタパタと美由が出てくる。


「美由ちゃん、可愛いよ!!」


 川上が完全に鼻の下を伸ばしていた。それもそのはずだ。そこには可愛いピンクのビキニをつけた美由がいた。確かに胸はあると思ってたよ。それにしても破壊力デカ過ぎだろ。


 俺はワンピース姿とか露出度の低い水着を想像していたのでかなり心配になった。

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