父を真似る練習

 カティアスは、父が笑う事を意外なように言う。あんなに感情表現が豊かな人は他にいない。


「大笑いだってするし、すぐ泣くし、すぐ怒るし。いい年なんだから、もっと感情を表に出さないよう努力した方がいいと思ってる」

「泣くって⋯⋯君の御父上のことで間違いないか?」

「そうよ。私が家にいた頃は、一日に一度は泣いていたんじゃないかしら。特にお母様に冷たくされた時は大変よ。忙しい時にまとわりついて邪魔だと追い払われると、泣いたまま数時間は部屋から出てこないの。母が優しく迎えに行かないと、絶対に出てこないのよ」

「俺が知る御父上とは別人のようだ⋯⋯。いつでも冷徹な顔を崩さず、頭脳明晰で行動力もある。俺は御父上のようになろうと幼い頃から憧れてきたんだ」


 同じ人の話をしているはずなのに、話がかみ合わない。


「冷徹な顔って、本当に私の父の事を話してる?」

「そのつもりだ」

「いい? ちょっと父の真似をするわよ」


 母にまとわりついている時の姿を思い出す。


「今すぐ抱きしめてくれないと、仕事する気になんてならないんだからな。後でなんて、やだやだやだ!」


 我ながら似ている。でもカティアスは愕然として固まっている。


「スサンナぁ、仕事を頑張ったんだから、今すぐ頭を撫でてくれよ。待てない、少しだって待てないんだからな!」


 うん、これも似ている。カティアスは両手で顔を覆ってうつむいてしまった。


「分かった。もう、いい。よく分かった」


 分かっていない気がするけど、これ以上は理想の姿を壊されたくないのだろう。申し訳ない事をしてしまったかもしれない。


「うちの父よりも、もっと見習うべき人がいると思うの。でも、憧れていたって言うくらいだからかな。あなたに近寄ると、父と一緒にいるみたいで安心する。雰囲気というか、香りというか」

「え! いや、それはきっとだな」


 しどろもどろになり、視線がせわしなく動く。


「香りだと、思う。実は教えてもらって御父上と同じ香水を使っている。そこまで真似をすると気味が悪いか?」

「本当にお父様と同じ香りって事? ちょっと失礼します」


 一歩近づいて、カティアスの上着を握って香りを吸い込んだ。本当に父の香りがする。


「お父様だ。会いたい」


 色々な事があった。「もう大丈夫だよ」と頭を撫でてもらいたい。じわりと涙がにじむ。私はカティアスの上着を引っ張った。


「あの、申し訳ありませんが、しばらくこの上着を貸して頂けないでしょうか。父に抱きしめられてるようで安心できます」

「上着を着た俺が抱きしめるのでは駄目か?」

「それでもいいです。お願いします」


 カティアスはこちらを向いて、腕を広げた。私がしがみつくと柔らかく包み込んでくれた。


「お父様だ」


 背丈も同じくらいだし、目をつぶると父に抱きついているとしか思えない。涙が出てくる。私は思い切り香りを吸い込んで力一杯抱きしめた。


「お父様、会いたかったの。怖かったの。帰りたいの」


 何も言わずに、ただ優しく背をなでてくれる。どれくらい経ったか、私の嗚咽がおさまる頃にぽつりとつぶやいた。


「――少しは近づけたみたいだな」

「え?」

「幼い頃から君は、こんな風に御父上にしがみついて離れなかっただろう? きっとものすごく好きなんだと思った。俺が君に嫌われてるのは知ってる。でも、容姿は無理でも中身は努力すれば御父上に近づけると思った」

「助けてもらったから言うわけじゃないけど、最近はあなたのことが嫌いじゃない」


 父と同じ安心感を与えてくれる、父と色は違うのに同じ瞳を持つこの人を、もっと知りたいと思っている。陰りの無い優しい瞳を見ると安心出来る。


「大体、あなたが私の事を気持ち悪いって嫌っているんじゃない。もう言ってしまうけど、私はカティを生涯手放す気が無いの。気持ち悪いと言われても変わるつもりない」

「違う! それは違う! あの時は間違えたんだ」

「どういう風に?」


 カティアスが大きく深呼吸した。私を抱きしめる腕が少し強くなる。


「俺はこんな髪と瞳で、絶対に君に嫌われると思っていたんだ。周りの子供達が大人がいないときにこっそり言うみたいに、気持ち悪い、あっちに行けって。だから、君に言われる前に、こっちから先に言ってやろうと構えていた」


 あの時の私は「気持ち悪いな。寄るなよ」そう言われて顔を背けられた。私が彼にそう言うと思っていたのか。


「でも、君は優しくて温かい笑顔で俺の愛称を呼んでくれた。今まで誰一人、そんなことをしてくれた人はいなかった。父も母も、祖父母も、世話をしてくれた使用人達も誰ひとり」


 カティアスのご両親が、他人がいない時にもあのままの冷たい態度だとしたら、彼の言葉が大げさではないと思える。


「まぶしくて、恥ずかしくて、嬉しくて、どうしていいか分からなかったんだ。だから、練習した言葉だけが口から飛び出した。ずっと後悔し続けたけど、君はあれきり俺とは向き合ってくれなくなった。俺は君を傷つけたんだから当然だ」

「全然、そんな風には思わなかった。本当に嫌われてると思った」

「どれだけ君が俺の事を嫌っても、俺達の結婚は避けられない。だから、少しでも君の気が楽になるように、辛さが減るように、君の大好きな御父上に近づこうと思った。少しは近づけたみたいで良かった」


 急にしがみついているのが、父じゃなくてカティアスだという事を意識してしまう。私は彼の胸を押して体を離した。


「ありがとう。落ち着いたからもう大丈夫」

「そうか」


 カティアスは、また手すりに背を預けた。私の為に父に近づきたいと言ってくれた。彼にもそんな感情があるなんて想像したこともなかった。勇気を振り絞る。


「あの、じゃあ私の事を嫌いじゃないの?」

「大切に思っている」


 ますます鼓動が激しくなる。恥ずかしくて顔が熱くなってくる。


「でも、でも、ずっと冷たかったし」

「最初にもらった温かい笑顔が忘れられない。あの後も、あんな笑顔は誰にも向けられた事がない。もう一度、君にあの笑顔を向けてもらえうよう、俺は努力するから」


(誰にも?)


 カティアスは、そんな冷たい世界にずっといたのか。笑顔くらいいくらでもあげられる。私がいるから、そんな寂しそうな顔をしないで。その言葉は、恥ずかしすぎて口には出来ない。


「ち、父に近づくなら、もう少し頑張らないと。さっき、普段の父の姿を教えてあげたでしょう。練習してみて」

「え? 練習? 本気で言っているのか」

「本気よ」


 しばらく、空を見上げた後に大きく息を吸うと、緊張したように姿勢を戻した。


「カティに向ける笑顔を、俺にも見せてくれないと、やだ、やだ、やだ」

「!!!」


 まじまじと見つめると、みるみるうちに耳まで真っ赤になってしまった。その姿に何とも言えない気持ちがあふれ出して胸が高鳴り始める。


(やだ、可愛い!)


「うん、父っぽいわ! もっとお願い!」

「ん、ああ、じゃあ。⋯⋯俺の事も、カティと呼んで欲しい。待てない、少しだって待てないんだからな」

「うんうん、いいわね。⋯⋯でも、カティと呼ぶのは難しいわね。本物のカティが機嫌を損ねちゃうもの」


 羽織り物の内ポケットからカティを引っ張り出すと「いたのか」と真っ赤な顔のままでカティアスが驚く。


「そのカティに向ける愛情を、少しでも俺に向けてもらえるように頑張る。だから、いつか結婚を承諾して欲しい。君の口から、結婚してもいいと言ってもらいたい」


 今の私は多分、カティアスに惹かれている。


 婚約者交換の話はもう無くなった。王子はこの話はカティアスにしていないと言っていた。彼が本当に私の事を大切に思ってくれているなら、私が他の人に心を奪われていた話は彼を傷つけるだろう。その後悔も罪悪感も全て私が一人で抱えて生涯に渡って向き合うべきだ。彼が私を守ってくれたように、これからは私が彼の心を守って温める。それが罪滅ぼし。


「その可愛い父みたいな甘え方を、これからも、ちゃんと練習してくれる?」

「え! ⋯⋯お手本を見ることは出来るだろうか」

「今度、家に帰る時に一緒に行きましょう」

「君の兄さん達は、御父上のそんな姿を受け入れているのか」

「あら、兄さん達もお義姉様たちに同じように接してるわ」

「何だって! 皆、外ではそんなそぶり一度も見せたことない!」


 私達は、やっと幼い頃の失敗を乗り越えた。遅くなったけれど、これから少しずつお互いを知っていこう。


「覚えた事を、自分の家で試してみたらどう?」

「絶対に無理だ。何があっても無理だ。国が滅びても無理だ」


 赤くなって首を振る私の婚約者は、とてもとても可愛いくて魅力的だ。

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