お詫びの首飾り

(伯爵とのことを諦めろって⋯⋯)


 カティアスの顔はとても真剣で、彼が本気で言っているのが分かる。


「言ったじゃない。私は伯爵と結婚したくない」

「でも⋯⋯あの近衛兵も言っていた。君と伯爵が想い合っているって。伯爵からも、君が結婚を承諾したと聞いた。旅の途中で、君の意思を尊重して自ら身を引けと迫られた」

「違う! そうじゃない。王子から、私が諜報の仕事を請け負っていたと聞いたでしょう?」


 拘束されたカティアスに状況を説明する上で、私を諜報に使っていた事も話してくれたと聞いている。ヴィオラと私の婚約者交換の企み以外は全て話したと言っていた。


「情報を引き出すために、伯爵に気を持たせるような返事をしたの。結婚したいとは思っていない」

「そうなのか。じゃあ、あの⋯⋯王子は? 君は第六王子を特別だと言っていた」

「え? そんな事を言ったかしら」


 思い返してみても全く記憶に無い。バルコニーの扉越しに部屋を確認したけれど、ヴィオラの気配が無い。私とカティアスが落ち着いて話せるように気を遣ってくれたのだろう。それでも少し声を落とす。


「あのね、ヴィオラとランヒルド王子が結婚するのよ。ヴィオラはずっと王子のことが好きだったんですって。全く気がつかなかった」

「そうなのか!」


 カティアスも驚いたように部屋の方を気にした。


「それにね、伯爵も王子も私の事を馬鹿とか間抜けとか、そんな悪口ばかり言うの。そんな人と結婚したら、ずっと言われ続けるのよ! 王子は私をこき使うし。命がけの仕事になるなんて知らなかった」

「王子が君を見捨てる決断をした時⋯⋯あれは本気だと感じて、すごく怖かった。君はヴィオラ嬢という宝物のような友人を持っているな」

「うん。私の命の恩人で、一番大切な友達」


 そういえば、カティアスはヴィオラと話をしている時に楽しそうにしていた。


「ヴィオラと王子が結婚するの、ちょっと残念?」

「え? 俺が? どうして」

「だって、私の部屋でヴィオラと楽しそうに話をしていたから」

「あれは、ヴィオラ嬢が君の普段の様子を話してくれたから。君は、そういう事を全く話してくれない」

「そうだったの?」


(カティアスが私の事を知りたいと思っていた?)


 王子が言っていた、カティアスが私を好いているように見えるという言葉が頭の中を回る。


 一際強く風が吹き、私の髪をなびかせる。


「その傷、本当にもう大丈夫なのか?」


 露わになった包帯に、カティアスが真剣な視線を向ける。


「うん、傷はふさがりかけているし、それほど深くなかったから大丈夫。もう少し位置がずれていたら血が止まらなくて危なかったんですって。エゼキアス様も加減してくれていたのね。そのくらいの優しさはあったのかな」

「優しさじゃないだろう! 取り返しの付かない傷を負わせたら人質として価値がなくなる、ただそれだけだ。あの男がどういう処罰を受けようが、俺は決して許さない」


 私にも分かっている。あの時のエゼキアス様は妃殿下のことしか考えていなかった。彼は自己中心的な考えで、大勢の人を戦争に巻き込もうとし、私の命を危険に晒した。


 それでも、塔から落ちかけた私を助けてくれた優しさは真実だったと信じている。エゼキアス様を好きだった気持ちは、大切に心の奥底にしまっておくつもりだ。


「大体、君は諜報には向かないと思う。君を引き込んだ王子の事も許せない」

「何もかも全て、王子のせいよね」

「そうだ」


 王子が全て悪いんだ。それなら。


「そうよね、許せないわよね。やっぱり、ものすっごく高い首飾り買ってもらわなきゃ!」

「え? 首飾り?」

「そう、もしかしたら傷痕が残るかもしれないの。でもその時にはね、痕を隠せる素敵な首飾りを買ってくれるんですって」

「傷痕が⋯⋯」

「ウルス国で買い物をした時に、ヴィオラには首飾りを買ってあげたのに、私には買ってくれなかったの。ひどいでしょう? だから、それで全て水に流すことにする。ヴィオラの大切な旦那様になる人だしね」

「別のお詫びにしてもらえよ」

「え? どうして?」


 カティアスは私に顔を寄せて包帯をじっと見つめてから、姿勢を戻した。ふわりとお父様みたいな香りがする。


「俺が贈るから。君が、他の男から身に付ける物を受け取るのは嫌だ」

「え? 私の事を嫌っているのに、そんな嫉妬みたいなの変よ。傷痕も残ってしまうし、今なら、こんなお転婆な女は無理だって言えば、両家の両親も納得するんじゃないかな」


 カティアスは手すりに背を預けて、空を仰いだ。


「あの時も思ったんだ。俺は君を大切に想っているのに、俺が君を嫌っているとか無関心だとか、皆が勝手に言うんだ。何でだよ」


(大切に?)


 鼓動が大きく跳ねる。私の事を嫌いじゃないのかと、疑問が口元まで出かかったけれど、勇気が出なくて飲み込む。カティそっくりの姿で空を見上げる、幼い頃からずっと私を嫌ってきたはずのカティアス。


「あの、あの」


 怖くて踏み込めない。


「お礼が遅くなってしまったけど、助けて頂いて、ありがとうございました」


 勇気が無い自分をごまかして、話を変えるように、私は深く頭を下げた。


「いや、俺の方こそ君達に救われた。ありがとう。あのままサーレス国との取引が成功していたら、俺は言い逃れが出来ない立場に追い込まれていた」


 ミントン侯爵の密談相手がサーレス国の人間だと分かった時に、カティアスは王子が推測した事とほぼ同じ結論にたどりつき、自分が陥った状況を理解したそうだ。自分の立場はともあれ、せめて戦争を避けようと、書類の処分方法を考えていたらしい。


「君達が現れる前から、サーレス側には偽の書類を持たせようと考えていた。こちらの書類も上手く差し替えて隠しておこうと思った。厠で燃やすことも検討したから、あの近衛兵の隙を作る為に火をつける事を思いついたんだ」


 カティアスが立っていた場所からは、スヴェアヒルダ妃殿下が様子を窺っている姿が目に入ったそうだ。妃殿下から無言で送られた視線を、隙を作れという意味だと、彼は解釈した。


「ただ、あの皇太子妃には底知れない怖さがある。グンネル国の為に動くのか、俺たちの国の為に動くのか判断出来なかった。王子と皇太子妃が同じ目的かどうかも分からなかった。だから書類の処分は君の判断に任せた」

「ごめんなさい。私も本当に正しい判断が出来たかどうか分からない。妃殿下は私の想像を超えたお方だったし、未だに本当のところは分からない。でも、お仕えしている間はね、頂く視線にも、言葉にも慈しみを感じていたの。どんな方だったとしても、私は妃殿下のことを心から敬愛している」

「そうか。君がそう言うなら、信じるに値する方なんだろう」


 王子もヴィオラも、私に人を見る目が無いと言った。それは正しかった。カティアスの事だって、幼い頃からの婚約者なのに何も分かっていないと思う。


「ありがとう。でもやっぱり自信ない」

「なんだよ、それ」


 カティアスが柔らかく笑った。こんな優しい笑顔は初めてだ。


「あなたも、そんな風に笑うのね。最近、あなたとお父様が重なる事がある。全然違うのに不思議ね。その笑い方は、特に似ている」

「御父上でも笑う事があるのか。そうか、家族には外とは違う顔を見せるんだな」

「え?」

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