親友が隠していた思惑

 妃殿下が手配していた兵達が、エゼキアス様と侯爵、伯爵を拘束した。カティアスは拘束はされないものの、一緒に兵に連れられて行った。


 ピケは辛うじてエゼキアス様の刃を避けて急所が外れていたそうだが、自力では動けない状態だった。長椅子で介抱されながら兵に指示を出している。もう一人の近衛兵は残念ながら助からなかった。


 兵の一人が私の傷の手当てをしてくれている間、妃殿下が私の手を取って謝ってくれた。


「もしかしたら、少し傷痕が残るかもしれない。エゼキアスの行動は、さすがの私にも想像出来なかった。ごめんなさいね」

「いえ、自業自得の振る舞いですから」


(ピケ王子がエゼキアス様に人質の指示をしていた)


 ピケ王子が、伯爵に対して私が切り札になり得るという情報をエゼキアス様に与えたから、彼の計画が成り立ったのだろう。意識を取り戻した彼は、前もっての計画ではなく今日町歩きの間に思いついたのだと、女王として振る舞う妃殿下を見たくてたまらなくなったのだと語っていた。


 伯爵の気持ちを知っているのは、ランヒルド王子と恐らく妃殿下。王子は私とヴィオラを、ここに同席させる事を渋っていた。


(妃殿下は、最初から伯爵の行動を制御するために、私を連れて来ていたんだ)


 でも不思議と恨む気持ちにはなれない。女王の風格を見せていた妃殿下からは、侍女一人を気に掛けるような些末な感情に囚われず、もっと大きな、国を統べる者としての考えがあったのだと感じさせられる。


 ひとまず、グンネル国に戻る事になり、私とヴィオラ、ランヒルド王子が同じ馬車に乗る。誰も何も話さない。空気の重さに耐えきれず、努めて明るい口調を作ってみる。


「私達、大成功しましたね。戦争が起こらなくて良かった! グンネル国が分割統治されたり、あの国の人達が苦しい思いをしなくて良かった」


 王子とヴィオラが私に視線を向ける。少し考えるような沈黙の後、王子がつぶやいた。


「そうだな。僕は実際にあの国を見て、国民は十分に幸せに暮らしていると感じた。華やかでも豊かでもないけれど、尊敬する王を戴き、助け合い、暖かな気持ちを持って暮らしているように見えたよ。妃殿下は心からそれを愛し、守ろうとしていた」

「企みが明らかになったのですから、グンネル国がサーレス国と手を結ぶことは無いですよね。国王陛下はこれでもう、進軍するような事はなさらないですよね?」

「たぶん、もう出来ないよ。兄の勝ちだ」


 王子は薄く笑った。


「これは、僕の独り言だ」


 窓の外に目を向けたまま、静かに話を始める。


「父と兄では治世に関する意見が、もともと合わなかった。今回のことを上手く使って、兄と妃殿下は父を追い落として自分たちの治世を始めるつもりらしい。僕の知らない、何か父が企みに関わった証拠を持っているのかもしれないな」


 王子は薄く笑う。


「グンネル国の国王陛下は優秀な娘の言いなりになっているのだろう。ここでの妃殿下の力は思った以上のものだった。サーレス国と手を結ぼうとした事すら、兄夫婦の計画の一部だったのかもしれない。出来る兄が、もっと優秀な妻をもらったんだ。あの二人は無敵だよ」

「でも、世継ぎの問題が解決しないと⋯⋯」


 ヴィオラが遠慮がちに口を挟む。


「子供は授からないんじゃなくて、設けていないんだよ」

「え?」


 王子は私に視線を向けると、また薄く笑った。でもその瞳は暗いけれど、もう沼のようなあの瞳では無い。ちゃんと感情を感じられる。


「僕と母を同じくする子供は、全部で5人産まれたんだ。その中で生き残っているのは僕と兄だけだ。兄と僕の間に2人、僕の下に妹が一人」

「公には妹さんお一人だけでは⋯⋯」

「ヴィオラらしくない質問だな。発表される前に殺されたんだよ。3人とも政争のとばっちりを受けたんだ」


 まさかとは言えない。噂として囁かれている、この類の話は数限りなくある。


「兄夫婦は、奴らが好き勝手に出来ない確固たる力を求め、それが整うまでは子供を持たないと決めた。⋯⋯僕は未だに妹の笑顔を忘れられない。あんな不幸な出来事を防ぐ為になら、僕は何だってする」


 王子は私にしっかりと視線を向けた。


「でもそれは、君の命を危うくしていい言い訳にはならない。悪かった」

「殿下は、ほんの一瞬だけ迷ってくれたでしょう? 私はそれで納得しました。浅はかな恋心でここまで来たのは、自分の意思です。殿下は何も間違った事はしていません」

「ありがとう」


 ヴィオラが身をよじって私の手を取った。


「違う、ジェルマナ。私があなたを利用したの」

「え?」


 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、私の手をぎゅっと握る。


「殿下の話を断る方法なんていくらでもあった。でも、あなたのエゼキアスへの憧れを利用して、あなたを巻き込んだ。⋯⋯私は自分の恋心のために、あなたを利用したの」

「え?」


 どういうことだろう。王子は視線を窓の外に移す。


「私がランヒルド殿下を想ってると気がつかなかった? 殿下の妃殿下への想いを知っていたから、結婚したいとか恋人になりたいとか、そんな大それた事は考えていない。でも、近くで役にたちたかった」

「カティアスと結婚したいんじゃなかったの?」


 ヴィオラが目を伏せ、涙が頬を落ちる。


「あなたのエゼキアスへの想いを叶えてあげたかったのは本当なの。それには、婚約者の交換が最適だと思っただけ。どうせ殿下とは結ばれないんだから、私の相手は誰だって良かった。でも、あなたを巻き込んで、こんなに危険な目に遭わせてしまった。ごめんなさい」

「え? 本当にヴィオラが殿下を?」


 考えが追いつかなくて混乱してしまう。王子は大きくため息をつくと、ヴィオラに視線を向けた。


「エゼキアスがあんな事になったんだ。君の婚約は破談になるだろう」

「きっとそうですね。ふふふ、父が慌てふためく姿が想像できます」

「表向きには役立たずの、遊びほうけている王子でもいいなら、僕が代わりに結婚してやるよ」

「本気でおっしゃっていますか?」

「この仕事が成功したら、君の望みを一つ聞くと約束した。君はずっと前から、望んでいただろう? 何だよ、不満か?」


 王子は身を乗り出すと、ヴィオラの首飾りに軽く手を触れた。妃殿下が無理矢理、王子に買わせた首飾り。


(妃殿下は、ヴィオラの王子への想いを知ってたんだ!)


「その首飾りに合う指輪を作らせる。大事にしろよ?」

「殿下⋯⋯」

「君は間抜けなジェルマナと違って、話がすぐ通じるから楽だし、物怖じしないし、それに」


 王子はヴィオラの頬を流れる涙をそっと手で拭った。顔に浮かぶ微笑みは、温かく優しく、真っ直ぐな眼差し。もう暗さも沼のような濁りも見えない。


「僕が道を踏み外さないように、ちゃんと止めてくれる」

「⋯⋯ありがとうございます」


 顔を覆って体を震わせるヴィオラの頭を、王子は黙って撫でる。そのまま、私に揶揄うような調子で言う。


「ジェルマナ、人を見る目が無いって思い知っただろう? もう婚約者を交換したいなんて言わないな? カティアスにしておけ」

「でも、カティアスは冷たいし、私の事を嫌ってるはずだし」

「ジェルマナ」


 ヴィオラが真っ赤になった目を向けて、涙声のまま言う。


「本当にそう思ってる? 怖がらないで、ちゃんとカティアス様と話をして分かり合う努力をして。私だけ幸せになるのは気分が悪いの。約束して?」


(怖がっている?)


 まだ私の事を気持ち悪いと思っているのか、あっちに行けと言ったあの気持ちは変わっていないのか。


「話をして、私とは分かり合うつもりはない、やっぱり嫌いって言われるかもしれない」

「ジェルマナ」

「⋯⋯分かった。そうよ、死んじゃう所だったんですものね。カティそっくりの姿で嫌いって言われるくらい平気。言われても痛くないし死んだりしない」

「うん、頑張って」

「ごめん、嘘、やっぱり言われたら立ち直れない。カティに嫌われたような気がしちゃうもの」

「はあ? その時は可愛い犬の人形を買ってやるから、カティ人形なんて捨ててしまえよ」

「嫌です! 絶対に嫌です!」


 ヴィオラが笑い、つられて王子も笑う。馬車の中には、いつもと同じくだらない出来事を楽しむ空気が戻ってきた。


「カティアスは、君を好いているように見えたけどな」

 

 王子は何でもない事のように、さらりと言ってから、腕が立つと評判の伯爵に勝てたのだから自分はやっぱり強いのだと自慢し始めた。


「殿下、伯爵は丸腰でしたよ。殿下は剣を持っていたのに苦戦していましたよね」

「なんだと! 平常心じゃ無かったから手間取っただけだよ。あれは圧勝と言えるね」

「あちらだって平常心じゃ無かったでしょう」

「そんなことはない!」


(カティアスが私を好いている? 嫌われていない?)


 お父様やお兄様達と同じように、心配してくれた。暖かな瞳を向けてくれた。抱きしめてくれた優しさは、まるで父のようだった。それは、もしかして同じように私を愛してくれているということなのか。


(まさか)


 胸の中心がどくんと強く打つ。考えれば考えるほど、どんどん鼓動が強くなる。

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