花の香りの近衛兵

 期待が半分、本当にヴィオラは気にしないのかと不安になる気持ちが半分。揺れ動きながら彼女の後に従った。


「ちょうど良かった。中にいるんじゃないかな」


 王宮の敷地内、少し外れた所に小さめの砦のような建物がある。装飾が無い簡素なその周囲は低めの塀で囲われていて、土が露わになった広場で訓練をしている男性達が剣を交わす金属音が響いている。


「ねえ、私達が入っていいの?」

「いいのよ」


 外にいる男性達は鎧や服装から騎士だと思われる。訓練中だから乱れた格好はしているけれど、この場に不似合いな私達に無遠慮な視線を投げたりしない。詰め所には荒くれ者がたくさんいる印象を持っていたけれど誤っていたようだ。


(よく考えたら、近衛兵を目指す騎士はみんな貴族の男性だもん。お兄様だって、こんな感じか)


 私には兄が五人いて、一番上の兄は官僚を経て父の補佐になり、二人は官僚に、残り二人は騎士になっている。両方の情勢を掴めるようにという父の方針だったけど、全員が騎士になりたがって大喧嘩をしていた。騎士になる為には早めに学問を切り上げて修行を始められることが理由で、学問嫌いの兄達らしいと私は大笑いして母に叱られた。


 ヴィオラは勝手知ったる様子で足を進め、建物の入り口で歩兵に声をかけた。歩兵は中に何事かを確認しに行き、すぐに戻ってきて中に案内してくれた。


(何か、ちょっと臭い?)


 昔、お兄様達が武術の訓練から帰ってきた時に、こんな臭いがしていた気がする。その状態のお兄様達に抱きしめられるのが嫌で、いつも逃げ回っていた。この歩兵から臭うというよりは、建物全体に染みこんでいる気がする。


(エゼキアス様からも、こんな臭いがしたら嫌かもしれない)


 失礼な事を思いながら歩兵の後を追い、階段を上って広めの部屋に通された。来客用の部屋なのか、ここまでの印象とは大きく違い私達の部屋のように家具が備えられている。ちゃんと布が張ってある椅子に腰掛けてしばらく待つと、扉を開いてエゼキアス様が顔を出した。


「ごめん、待たせたね」


 何とエゼキアス様自ら、お茶を乗せたトレイを持っている。


「これは私が」


 ヴィオラはするりと立ち上がると自然な仕草でトレイを受け取り、テーブルにお茶を並べた。私は立ち上がってエゼキアス様に挨拶の礼をする。


(今日も素敵すぎる!)


「ヴィオラが誰を連れてきたのかと思えば、ジェルマナ嬢だったのか。お目にかかれて嬉しいよ」

「私の名前をご存じでしたか!」


 口から心臓が飛び出しそうになる。エゼキアス様は青空のような水色の目を優しく細めた。


「もちろんだよ。ヴィオラの大切な友人だし、こんな美しい女性の名前を忘れるわけないじゃないか」


 ふわりと花のような香りが漂う。エゼキアス様からは汗の臭いなんてしない。ヴィオラはろくにエゼキアス様の顔を見もせずに言う。


「急なことで申し訳ありません、時間が空いたものですからお邪魔させて頂きました。ジェルマナはいつも近衛兵の活躍を喜んで聞いています。せっかくなので、あなたから直接お話して頂けませんか?」


 エゼキアス様は軽く頷いた。そのやりとりに少しだけ違和感を覚える。


(私とカティアスと同じ?)


 二人は笑顔こそ浮かべているものの、交わす視線に温度は感じない。とてもよそよそしくて、お茶会で声を掛けてきた男性の方がヴィオラと親密だと思えるくらいだ。


「近衛兵に目を向けてくれるご令嬢がいるなんて光栄だな。土と汗にまみれた私達は、獣のように見えているかと思った」

「とんでもありません! 頼もしくて美しく輝いていて、どれだけお姿を見ていても飽きることがありません」

「身に余る褒め言葉だな」


 少し表情を緩めて、エゼキアス様は色々なことを語って聞かせてくれた。柔らかな声、話題の選び方も洗練されていて言葉の端々から優しさを感じる。


「普段の皇太子妃殿下は、どんなご様子なのかな。君達とどう接するんだろう。ヴィオラの日常を聞きたいのに、私には多くを語ってくれない」


 舞い上がっている私からも上手く会話を引き出してくれる。ヴィオラは興味無さそうな顔をして、窓の外に視線を向けている。私に気を遣っているのかと思ったけれど、話にもエゼキアス様にも全く興味が無いように見える。エゼキアス様も、最初はヴィオラにも話の流れを向けたけれど、答える気が無さそうな彼女の様子に、まるでヴィオラが存在しないかのように私との会話を続けた。


(ヴィオラは演技かもしれないけど、エゼキアス様はどうなんだろう)


 少なくとも私とカティアスの間と同じくらい冷たい壁があるように感じた。


 気に掛かる気持ちは嬉しさに簡単に負け、私は遠慮無く会話を続けた。夕方に差し掛かる頃にヴィオラが「そろそろ」と私達に話を切り上げるよう促した。


「とても楽しかった。近衛兵への興味が尽きないようなら、また私を訪ねておいで。ヴィオラは興味が無いようだから、君一人でも遠慮せずに来るといい。いつでも歓迎する」


 優しく手を取って一礼される。騎士の挨拶を受けるのは初めてなのに、それがエゼキアス様なのだ。私はますます舞い上がってしまいそうだった。


「ありがとうございます。急に押しかけて質問攻めにしてしまい、はしたない振る舞いだと恥じておりました。そうおっしゃって頂けると救われる思いです」


 丁寧に礼をして、私達は詰め所を後にした。


 優しく包まれた手から伝わる温かさ、香水のような花の香り、優しく細められた空色の瞳。ヴィオラはエゼキアス様で頭の中がいっぱいになっている私の邪魔をせずに、ただ隣を歩いてくれた。


「ほら、妄想はいったんお終い。続きは自分の部屋に帰ってからにしてちょうだい」


 侍女の控え室に戻ってもぼんやりする私に、ヴィオラはやっと口を出した。恐らくもうすぐランヒルド王子が来る。お茶会の様子を報告しなければならない。


「ねえ、今度はあなたの番よ。今度、私とカティアス様が話をする機会を作ってね」

「うん、分かった」


 そう、交換なのだからカティアスがヴィオラを気に入ってくれないと成立しない。


(今度の交流を、王宮のどこかにしてもらおう)


 先日のように突然訪問されても困る。私がヴィオラを伴っても不自然じゃない状況を作らなければ。今日は部屋に戻ったら、カティアスに手紙を書こう。頭の中で文面を作り始めた。

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