カティとカティアス
具体的な話を聞く前に、妃殿下が目覚めてお茶会に顔を出した。用事を済ませた他の侍女も加わり、王子が帰った後には皆で新しいドレスを試し、楽しい気分のまま王宮内に用意されている自室に戻った。
(えっと、今日はこの5枚ね)
もちろん、ちゃんと仕事らしい事もしている。預かった用紙5枚と人形のカティを抱えて部屋の扉をくぐる。もう日が暮れてかけているしお腹も減ったけれど、気分が乗っているうちに仕事を片付けると決めて書斎に向かった。
引き出しから皇太子妃の紋章が箔押しされた便箋と、特別に調合されたインクを取り出す。使うペンも決まっている。
「この度のご厚情につきましては⋯⋯」
幼い頃から私が書く文字は美しいと評判だった。恐らく、私に最初に文字を教えた家庭教師が達筆だったのだろう。今はもう鬼籍に入った家庭教師のシワだらけの手から生まれる美しい文字に魅了され、文字の練習が楽しくて仕方なかった事をよく覚えている。
侍女としてその腕を買われ、今は私的な手紙から公の文書までのほとんど全てを私が清書している。
侍女頭が妃殿下の口伝えを控えて私に渡し、清書をした手紙は必ず決まった下女に直接手渡す。侍女頭が内容を確認し、最後に妃殿下が確認して正式な手紙や書類として扱われる。
今日託されたのは私的な手紙の5通。集中して書き、妃殿下の下女に手渡すまでには、すっかり日が落ちてしまった。窓を見れば、外は完全に暗くなっていて部屋の明かりのせいで鏡のように室内を映している。
(今日も一日、楽しかったな)
午前中は妃殿下と髪型を変えて楽しみ、お昼寝の間にヴィオラとランヒルド王子とお茶を囲んで悪だくみをし、ドレスを着て楽しんだ後に手紙の清書をする。この後の時間は自由だ。いつものように部屋で食事を取った後は、部屋でヴィオラに選んでもらった本でも読もう。ヴィオラと同じく私も気楽な侍女の生活を楽しんでいて、この時間が永遠に続けばいいと言っていた。
でもそれも、長くてあと一年が限界だろう。私はもうすぐ十八歳になる。十七歳で成人とされるこの国では、成人と共に婚約者と結婚するのが通例だ。無理を言って行儀見習いとして王宮で侍女をしているけれど、永遠には続けられない。
(結婚したくないな。ヴィオラの計画が上手くいくなら話は別だけど)
私は手紙を書く間も膝の上に乗せていた人形のカティを抱き上げた。エゼキアス様の柔らかな微笑みを思い出しながら、侍女達の共通の食堂に向かおうと書斎を出た。廊下に出ようと居間に入ったところで、椅子に腰掛けている人物が目に入り、悲鳴をあげてしまう。
「誰っ!?」
その人は弾かれたように顔を上げ、慌てて立ち上がった。
「すまない、君が仕事していると聞いたものだから邪魔をしたくなくて、終わるまで声を掛けないよう頼んだ」
(カティアス⋯⋯)
思わず人形のカティをぎゅっと抱きしめた。
「来るなんて、聞いていません」
気をつけても声が硬くなってしまう。嫌だと思う気持ちを隠しきれない。悲鳴を聞いた下女が扉を開いて顔を出してから、すぐにまた閉めた。下女を責めることは出来ない。彼は正式な婚約者なのだから、予定が無かろうとどんな時間であろうと、理由を聞かずに通すしかない。
「何度も面会を申し入れたのに断られるのは、忙しいからだと聞いたから。⋯⋯両親が気にするから、全く会わないわけにいかなかった。顔を見れたから用は済んだ。もう帰る」
カティアスは窓の外の闇と同じくらい黒い瞳を床に向けると、冷たく硬い顔をして退出のそぶりを見せた。
彼は今、官僚として王宮で仕事をしている。貴族の男子は成人後の数年を官僚か学者、騎士として王宮で過ごすと決まっている。適当な期間を過ごした後に、それぞれの家を継いだり、その補佐をする為に領地に戻る。希に高い能力を買われて王宮に残る人もいる。
カティアスは仕事のついでに、王宮内の私の部屋に立ち寄ったのだろう。
「そうですか。ご足労をおかけしました」
私も引き留める気はない。退出を促すように居間の扉に向かった。私に背を向けてカティアスは扉の取っ手に手を掛ける。部屋の明かりに反射する髪も深い黒。
髪の色は白銀か薄い金色。瞳は紫か水色、もしくは薄緑が美しいとされる基準の中で、カティアスが持つ漆黒の髪と瞳は不格好とされている。顔立ちは美しく整っているのに、髪と瞳のせいで不器量だと評価されていることを、カティアス自身も幼い頃からよく知っていて、悪い評判を上回る能力を身につけようと努力していた。官僚として政治の世界で活躍していると噂される今でもまだ、彼が髪と瞳の事を気にしているかどうかは知らない。
(婚約者の交換か)
私は彼の髪を眺め、同じ色をした腕の中のカティの髪を見つめた。カティの髪と瞳が真っ黒なのは、両親がカティアスそっくりに作らせたから。私が本物のカティアスに会う前に親しみを持たせようという思惑は上手く働かず、私は人形のカティは大好きだけど、人間のカティアスには親しめないまま育った。
カティアスが扉に手をかけたまま止まった。ヴィオラの婚約者交換の話を頭に浮かべていた私は、後ろ暗さから鼓動が早くなってしまう。まさか企みに気付かれたという事はないだろうけど、急な訪問といい普段と違う様子を見せられると心配になる。
婚約していながら心が通じ合っていない私とカティアスは、両親が設定するまま義務として月に一度の交流を持っていた。未成年でも出席する晩餐会や舞踏会ではパートナーとして共に過ごしているけれど、必要以上の会話は無く、明らかにお互いに義務と分かる態度しか取らない。それが私達の関係だった。
王宮に来てからは毎日の生活が楽しく、特にエゼキアス様に心を奪われてからは、ますますカティアスを疎む気持ちが強くなっていた。だから、両親から言いつけられている月に一度の交流も忙しいと言い訳をして、数ヶ月に一度しか応じていなかった。
(早く帰ればいいのに)
もう一度、人形のカティをぎゅっと抱きしめると、カティアスが振り返った。
「その人形、久しぶりに見た。まだ大切にしてたんだな」
私は急に恥ずかしくなってカティを後ろに隠した。カティアスを模して作られた人形を大切にしている事は、彼に対して愛情を持っていると伝えるような気がして、私の感情とは違う誤解を受けることが嫌でたまらなかった。交流の時には部屋に置いていっていたのに、急に訪問されたから、まだ大切にしていた事を知られてしまった。
「ごめんなさい。あなたそっくりの人形を持っているなんて、気味悪く思うのは当然です。今後はあなたの目に入れないように気をつけます」
「違う、そんな事は思ってない」
珍しく驚いたような感情を表に出して、彼は私に一歩近づく。私は反射的に一歩後ずさる。それを見てカティアスはひどく傷ついたような顔をした。でもそれは、瞬きする間にいつもの硬い冷たい表情に覆い隠される。
「俺達は、いずれ結婚するんだ。例え君が望まなくても避けられない。いつまでも、そんな怯えたような態度を取られていては困る。もう少し歩み寄る姿勢を見せて欲しい」
「申し訳ありません」
慇懃に深く謝意を表す礼をしている間に扉が閉まる音がして、頭を上げたときにはもうカティアスの姿は無かった。
私は嫌な記憶を振り払うように、昼間見た近衛兵の颯爽とした鎧姿と、日の光に溶けそうなエゼキアス様の淡い金色の髪と、近衛兵の美しい水色のマントと同じくらい美しい水色の瞳を思い浮かべた。
「ごめんね、カティ。気味が悪いなんて言って。私はあなたが大好きよ。カティアスにそっくりでも、あなたの事は大切よ」
私はカティをぎゅっと抱きしめた。
父と母に会いたい。家の中では人目をはばからず、父は母にまとわりつく。母は口では嫌がるような事を言いながら父に優しく触れる。兄達とそれぞれの妻も見ていて恥ずかしくなるくらい仲睦まじい。皆、両親に決められた政略結婚のはずなのに、温かな愛に満ちた関係を築いている。
でも、私にはそれが出来ない。父も母も兄達も、私を愛して可愛がってくれた。望めばいつでも、望んでなくてもいつでも、私を抱きしめてくれた。王宮でもヴィオラが、他の侍女仲間が、皇太子妃が私を抱きしめてくれる。
結婚して冷たい世界に行くことが怖くてたまらない。今日のあの様子を見る限り、カティのことも人目に付かないよう隠さなくてはならないだろう。たった一人の味方になってくれるはずのカティを。
「カティ、私は頑張る。王子の仕事も、ヴィオラの提案も。絶対に頑張るから」
泣いていることを下女に気付かれたくない。私は邪魔が入らない書斎に戻ると、膝を抱えて壁にもたれかかった。
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