王子からの提案

「作戦も何も」


 ヴィオラは片眉を上げて自信ありげな顔をする。


「幸いな事に、私達の家も婚約者達の家もみな家格が変わりません。婚約を交換しても、どの家も政治的には困らないでしょう」


 ランヒルド王子は視線を天井に向けた。目にかかるくらいの長さの金髪が、ふわりと動く。青空を切り取ったような瞳が日差しを跳ね返す。


「ヴィオラの婚約者は、サントス家。ジェルマナの婚約者はピレス家か。皆、アニス公爵家を支持する立場だね。確かに問題ないかもな」


 この国の貴族社会は大きくはミントン侯爵家と、アニス公爵家の二つの派閥に別れる。私達も婚約者の家も全てアニス公爵家の派閥に属している。派閥をまたいだ婚姻は、相当な理由が無いと難しい。


「うちもジェルマナの家も、両親が私達に甘いという共通点があります。私達が絶対にと望めば、恐らく希望が通るはずです」


 両親も兄達も、まだ健在な祖父母も皆、とにかく私には甘い。私がどうしてもと泣いて縋れば大抵の希望は通る。結婚までの猶予期間を延ばすために、王宮で侍女になりたいと言い張った時もそうだった。難しいと言いながらも、父が何とかしてくれた。


「ふうん。でも大切な事があるじゃないか。お互いの婚約者は納得するのか?」

「恐らく、エゼキアスは問題ないと思います。あの人は私に興味が無いから、家格と政治面で問題がなければ承知するでしょう。カティアスはどう?」

「どうって⋯⋯」


 考えてみる。膝に乗せていた人形のカティを目の前に持ち上げて見る。真っ黒の髪と瞳をした、顔と同じくらいの大きさの人形。生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた私の大切な相棒。


「相変わらず気持ち悪いな、その人形」


 ランヒルド王子がひどい事を言う。まあ、幼子のような振る舞いだとは自分でも思っている。


(カティ、どうかな。カティアスは私が婚約解消したいと言ったら、どう言うと思う?)


 もちろんカティは黒い瞳を私に向けたまま、何も答えない。


「ごめんなさい、ヴィオラ。全く分からない。でもカティアスだって私に興味が無いから、ヴィオラと代わっても彼に不都合はないと思うの。恐らく、承諾するんじゃないかと思うけど」

「恐らくじゃ困るわね。さすがに、カティアス様に婚約を受けてもらえる確証が無いと父には言えない。婚約を解消しました、代わりの嫁入り先を見つけて下さいでは、叱られるだけでしょうね」


 私は目の前のカティにもう一度問いかける。


(カティアスは私じゃなくて、ヴィオラでもいいって言うよね?)


「ちょっと、人形に正確な答えは言えないでしょ」


 ヴィオラは私とカティの架空の会話には慣れている。それでも少し呆れているようだ。


「ごめんなさい」

「作戦が甘いじゃないか、ヴィオラ」


 からかうような言葉に、ヴィオラは強気の視線を投げつける。


「今はジェルマナの意思を確認しているところです。ジェルマナ承知したら、次はお互いの婚約者の了承を得る。最後に両親の了承を得て手続きを行う。そういう順番です」

「へえ、なるほどね。それで、ジェルマナはどうなの?」

「え!」


 エゼキアス様が受け入れてくれるなら。そう考えるだけで胸が高鳴る。赤くなってしまった私を見てランヒルド王子は愉快そうに笑った。


「面白いな。この先どうなるか気になるよ。でもさ」


 王子は姿勢を正し、テーブルの上で両手を組んだ。


「実は二人に頼みたいことがあるんだよな」

「私達に?」


 私とヴィオラも姿勢を正す。


「君たちの企みを黙っている代わりに、何も聞かずに僕に協力してよ。何なら僕も君たちの婚約者交換に手を貸そう。悪い話じゃないだろう」

「え? 殿下に協力?」


 ヴィオラが嫌そうに顔をしかめた。私は「企み」という言葉に、自分の希望が大それた事なのだと気後れし始める。


「ヴィオラ、やっぱり婚約者の交換なんて無理よ。やめましょう」

「嫌よ。殿下、いくつか質問させて下さい」

「うん? 何も聞かずにって言ったじゃないか。でもいいや、何?」


 テーブルの上で手を組んだまま、王子はにこにこと笑う。そこに皇太子殿下の面影を見て私は少し緊張する。


 ランヒルド王子は数多くいる王子のうちの一人で、確か第六王子だったはずだ。最も容姿が皇太子に似ているからか、スヴェアヒルダ皇太子妃が弟のように可愛がって側に置いている。


 よほどの事が無い限り第六王子が王位に就く事はない。本格的に政治に関わるつもりが無い、働く気も無いと公言する王子が、本当はただ遊んでいるだけじゃないと皇太子妃に近い私達は知っている。皇太子には表立って処理する事が出来ない何かを引き受けていると侍女の間で噂になっている。


(王子のお願い。恐らく諜報に関わること⋯⋯)


 政治の世界は複雑なのだから、私が下手に関わると父や兄達に累を及ぼしかねない。


「王子のお願いは、妃殿下の不利益になる事ですか?」

「意外に侍女としての忠誠心があるんだ」

「いいえ」


 ヴィオラは不適な笑みを浮かべた。


「私は、自分の利益しか考えていません。あなた相手に取り繕う事が出来るとは思いませんから、はっきり申し上げます。私は皇太子妃の侍女という立場に満足しています。無事に婚約者の交換が成功して、結婚して侍女を辞めるまでは、妃殿下に失脚して頂いては困るのです」


(ずいぶんはっきりと言うのね!)


 私はカティをぎゅっと抱きしめた。


 貴族間の争いの激化を憂慮した国王陛下は、どちらの派閥にも寄らない外国から皇太子妃を迎えた。王子がどちらかの派閥に肩入れして、妃殿下を追い落とそうとしている可能性だってある。


「約束するよ。僕は妃殿下の安定した立場を守る」


 ヴィオラと王子は、強い視線を戦わせている。お互いに心の内を読むように、探るように。


「兄は妃殿下を心から愛している。他の家から送り込まれている公妾達に目もくれないで、妃殿下だけを大切にしている事は知っているだろう。後ろ盾の立場を損ねない程度に公妾たちの元を訪れているけれど、彼女たちと子を授かるような親密さが無い事は周知の事実じゃないか」


 あけすけな物言いに耳を塞ぎたくなるけれど、昨日の公妾達の皇太子妃への攻撃の強さは、これが理由になっている事は知っている。皇太子妃に自国から付き従ってきた侍女頭がこっそり教えてくれたのだ。


 公妾達はお互いに未だお手つきが無い事を探り合い、皇太子妃に子が授からない事を当てこすり心を折って国に追い返そうとする。醜く吐き気を催すほどの恐ろしい世界。スヴェアヒルダ妃殿下が疲れを覚えるのも当然だ。


「妃殿下自身がこの国に滞在することを望んでいるかどうかは知らない。妃殿下の気持ちを無視しているという意味では不利益を働いているかもしれない。ただ、兄の妃殿下の地位を守りたいという思惑と、君達が侍女を続けたいという希望は同じ方向じゃないかな」

「あともう一つ」


 ヴィオラは視線を王子に据えたまま続ける。


「私達と、私達が嫁ぐ予定の家。それぞれに不利益になる事はありませんか?」

「それは、約束出来ない」


 王子は軽い微笑みを崩さない。


「現時点での計画通りに進むなら、アニス公爵派の不利益にはならないはずだ。ただし、どう転ぶかは分からない。約束は出来ない」


 沈黙が続く。王子とヴィオラは視線を外さない。まるで、私には分からない言葉で二人で会話をしているようで邪魔できない。瞬きすら控えて気配を消そうと努力する。少しして、ヴィオラはふうと息をついた。


「分かりました、私は協力します。ジェルマナはどうする? 恐らく、私とジェルマナの協力はどちらか片方では意味が無く、まとめて必要なんでしょう。せっかくだから、やりましょうよ」

「え、でもお父様が何と言うか」

「馬鹿ねえ。他言無用に決まってるでしょう。両親にも、あなたを溺愛するお兄様達にも、もちろん婚約者のカティアス様にだって内緒って事よ。王子、そうでしょう?」

「うん、もちろん」


 そんなこと、出来るだろうか。でも、少しだけ分かっている。ランヒルド王子は優し気な風貌の下に冷徹な顔と計算高い頭脳を持っている。かつて公妾の一人が皇太子妃に害を成そうと下女を送り込んだ事があった。それをいち早く察知した王子が発した、人を殺せそうな冷たい威圧感を忘れることは出来ない。


 その王子が私の力量を知った上で頼んでいるのだから、私に出来る事なのだろう。


(王子は、婚約者の交換の手助けをしてくれるって言った)


 危険を冒す価値はあると思う。私は覚悟を決めた。


「分かりました。他言無用のお手伝い、お引き受けします」

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