婚約者、交換しましょう?

大森都加沙

軽い悪戯のように始める

「私たち、婚約者を交換しましょうよ」


 ヴィオラが薄い緑の瞳を輝かせて気軽な悪戯のように持ちかけて来た。


「あのチョコレート、一つ頂いてしまいましょうよ」

「ミストル卿の背中に、こっそり綿埃をつけてやらない?」


 普段のヴィオラが、私をそそのかす調子と全く変わらない。


(エゼキアス様のことを考えていたから、聞き間違えちゃった)


 私はお皿の上のクッキーを一つ取って口に入れた。甘い香りが鼻を抜ける。もう一度、窓の外に視線を向ける。近衛兵達が白銀の鎧を輝かせ、空よりも青いマントを翻してどこかに向かっている。


 スヴェアヒルダ妃殿下は少しお疲れだったのか昼寝をしている。昨日の公妾たちとのお茶会に負担を感じた事が原因に違いない。思い出すだけで腹立たしい。


 妃殿下はどんな当てこすりを言われても笑顔で受け流す。公妾達には皮肉を理解しない愚鈍な女と軽んじられているけれど、妃殿下は鈍い方ではない。事を荒立てないように我慢しているに決まっている。


「目覚めた後に、あなたたちの顔が見たいの。だから帰っては駄目よ」


 他の侍女達は言いつけられた用を済ませに立ち去ってしまっている。残った私とヴィオラは、いつもより少しだけ心細そうな妃殿下のお願いに力強く頷いた。昼寝に向かったスヴェアヒルダ妃殿下を見送ると、侍女の控え室に向かう。


「ヴィオラ、聞いて。昨日うちの父がヴィレドリアン国の高価なお茶を妃殿下に献上したのよ」

「それ、頂いちゃう?」

「うん、うん。そのつもり」


 ヴィオラが下女を呼び、控えの間にお茶の支度を命じる。


 私とヴィオラが皇太子妃に侍女として仕え始めて一年以上経つ。この社会では上の方に位置する私やヴィオラの家格では、行儀見習いとして許される仕え先は王族くらいだ。折良くスヴェアヒルダ妃殿下の侍女に空きがあったのは人生で最大の幸運だと思っている。


「この深い香り。果実のような爽やかさも感じるわ。本当に最高級のお茶じゃない。妃殿下よりも先に頂いてしまって大丈夫かしら」


 うっとりと目を細めながらも、ヴィオラは少しだけ気後れした様子を見せた。


「大丈夫。昨日のうちにお口にされたそうよ。私達も楽しみなさいと、妃殿下におっしゃって頂いたの。後で他の子達にも伝えるつもり」

「あなたのお父様、最高ね。本心では可愛い娘に美味しいものを差し入れたいのでしょう?」


 スヴェアヒルダ妃殿下の侍女は楽な仕事だと言える。面倒な事は全て下女がやってくれるから一日の大半の時間は、妃殿下に楽しく過ごして頂く為に使う。


 妃殿下は、何かしらに長けた⋯⋯例えば衣装や宝石を選ぶのが得意、深い知識を持っているなど、そういう侍女を集めている。加えて侍女を着飾らせて花や芸術のように愛でる事もお好みになる。ただしそれには、自分の美意識に合っているという条件が付く。ただの美人ではなく、妃殿下のお好みという点で人選に難儀していたらしい。


 皇太子妃の侍女という肩書きは一生の誉れとなるから、希望者は掃いて捨てるほどいたはずだ。兄が「可愛いお前のために父上がどれだけ苦労したことか」と私をぎゅうぎゅう抱きしめながら言っていたから、父は私の我が儘を叶える為にかなり苦労したのだろう。


 でも妃殿下のお気に入りとしての地位を築いたのは私自身の力だと自信を持って言える。幸運と実力、両方のおかげで私は安穏とした生活を送れている。


 それは恐らく目の前のヴィオラも同じ。ヴィオラも「父は私に甘いのよ」とよく言っている。


「ごめんなさい、ヴィオラ。お茶に夢中になりすぎて聞こえなかったの。もう一度、言ってもらえない?」


 私は窓の外に見える近衛兵達から意識を引き剥がして、ヴィオラの言葉に真剣に向き合う。ヴィオラはやっぱり、いつもの悪戯を持ちかける時の表情で私に言う。


「私とあなたの婚約者を交換しましょうって言ったの。あなたがエゼキアスと婚約して、私がカティアス様と婚約するの。どう?」

「どうって。そんなこと出来るはずないでしょう」


 動揺を抑えようとしてカップに手を伸ばし、うまくつかめなくてカチャリと音を鳴らしてしまう。手をひっこめて、テーブルの下で膝に乗せた人形を握りしめた。


(私とエゼキアス様が婚約。それで将来は、結婚!)


 そんな夢のようなことが現実に起こるはずない。


 ヴィオラが視線を窓の外に向ける。つられて、私も再び窓の外に視線を向ける。近衛兵達は広い庭のずいぶん向こうまで行ってしまい、きらきらと光る輝きと小さな青い点になってしまっていた。


「あなたが、エゼキアスに憧れていることは知ってるわ」

「ごめんなさい⋯⋯」


 私は膝の上の人形を更に強く握りしめてうつむいた。


 エゼキアス様は代々続く騎士の家の嫡男で、数多いる騎士の中から、家柄、教養、剣技、全てに優れた人物が選ばれるという近衛兵の一員だ。私は以前から密かに彼を慕っている。でも目の前のヴィオラの婚約者だと知っていたから、ずっと気持ちを隠して来たつもりだった。


「なぜ謝るの。私は怒ってないわよ。むしろ嬉しいの」

「どうして?」


 こわごわ視線を上げると、ヴィオラはいつもと全く変わらない明るい笑顔を浮かべている。


「交換って言ったでしょう。私はカティアス様と結婚したいの」

「どうして?」


 エゼキアス様という素敵な婚約者がいるのに、カティアスなんかと結婚したい気持ちが私には全く理解出来ない。


 カティアスと私の婚約は、私が生まれた翌日に成立したらしい。この国は貴族間の権力争いが激しく、政治的な都合で子女同士の結婚が決められる。自分の意思での結婚など望めない事は誰もが承知している。


「どうしてって。エゼキアスよりもカティアス様の方が好きだからよ。結婚も婚約も家同士の都合でしょう。自由が無いのはもちろん承知しているけど、少しでも自分の好きな人と結婚できた方が幸せだと思わない?」

「そうは思うけど」


 くすりと笑う声が聞こえて、私とヴィオラは慌てて扉を振り返った。閉じた扉にもたれかかり、腕を組んで興味深げに私達を観察する姿。


「ランヒルド殿下! いつの間にそちらに」

「面白そうな話をしているじゃないか。僕も仲間に入れてよ」


 言うやいなや、扉がノックされて下女が入ってくる。ワゴンにはもう一人分のお茶と追加の焼き菓子が見える。下女が手早く席を作り、ランヒルド王子は当然のような顔をして座に加わった。


「それで、ヴィオラの作戦を聞かせろよ。どうやって君たちの婚約者を交換するつもりなんだ?」

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