ひもじくはないけど

 百合愛が来ると、必ず山のようなチョコレートが冷蔵庫に入っている。2人とも長時間頭を使う「仕事」なので、甘味とそれを繋ぐ水分補給としてのスープ類は不可欠だ。

 ただ、野ばらの冷蔵庫には「生野菜」がないし、タンパク質になるような肉類や、はては業務スーパーの15円の豆腐もないのである。それは月初めでも月末でもそうだ。

 野ばらは仕事柄、月初め、中旬、月末に給料が入る。しかし、野ばらの家の冷蔵庫に、栄養素と言えるものはほとんど無い。主食となる米や麺類はあるが、おかずになりそうなものがないのだ。

「野ばら、夕飯は鍋食べたい。」

「鍋うどんでもいいか?」

 肉も野菜も、卵すらないぞ、と、百合愛は読み取った。


「野ばら、小腹空いた。」

 日付変更線くらいになり、一息ついた百合愛は、もう一度聞いてみる。すると野ばらは、賞味期限がきれた密封されたミックスナッツを指さした。

「喉が渇いたから、なんかジューシーなものがいい。」

「麦茶じゃだめか?」

「うん、味があるものがいい。」

「分かった。」

 そう言って野ばらは、テーブルに無理やりつけたカゴを漁った。百合愛としては、今が旬のみかんが食べたかった。―――つまり、野ばらは果物ならあるのか、ということだ。

 しかし野ばらが出してきたのは、白いスープだった。

「ウォーターサーバーのお湯だから、熱いぞ。」

 飲んでみると、何かの薄い味と、強めの塩気がある。

「これ何?」

「オニオンスープ。」

「玉ねぎらしきものどころか、具もないけど?」

「安心しろ、表面にちょっとだけパセリ浮いてる。」

「でも野ばらって、オニオンスープはグラタンスープのしか認めないってくらいじゃなかった?」

「だってそれ、コロナになった時の支給品のあまりだからな。」

「マジか。」


 翌日、野ばらは少し早めの夕飯、と言って、近くの居酒屋に連れていってくれた。野ばらが百合愛を紹介すると、マスターは快く百合愛の好きな酒を聞いてきた。お金ないです、と言うと

「奢りだから。」

 と、野ばらは出されたマッコリを飲んでいた。お通しはない。空きっ腹には絶対に飲酒をしない野ばらにしては珍しい。百合愛は一応値段を気にして、1番安いものを頼んだ。

「おー、お花ちゃん。来てたのか。」

「おー、ビートルズ! 今日も仕事の参考にしたいから話を聞かせてー。」

「おや? 一緒にいる別嬪さんは?」

「はじめまして。」

「いつも言ってる俺の相方。すげぇモン書くんだぜ!」

「ああ、宗教の彼女。はじめまして、田中です。」

 色々突っ込みたいところはあるが、どうやら2人は仲がいいらしい。「お花ちゃん」「ビートルズ」というのは、恐らくあだ名で、人の名前を覚えるのが苦手なもの同士が呼びあってるだけなのだろう。 

 明らかにその客は日本人だし、野ばらも「お花ちゃん」ではあるものの、「花売り」ではないらしい。

 結局盛り上がって、開店から閉店すぎまでいた。一体なにを吹き込んでいたが、殆ど喋れない病気の百合愛は、終始人気者で、百合愛の書いているものや、理念なんかを興味深そうにみんなきいていた。

「お花ちゃん、これ余った。」

「野ばら、持ってく?」

「持ってく! 余ったらかわいそうだもん。」

 野ばらは確かに食べ物は「勿体ない」を、「捨てられるなんてかわいそう」と表現する。店主は快くラップをしてくれた。食器を返すと分かっているのだろう。

「お皿、壊したら、1万円ね。」

「すったら、金継ぎして2万で返すわ。」

 ワハハハ、と大笑いして、その日はお開きになった。

 施設に帰ろうとして、ハッと百合愛は気づく。

「野ばら、いくら?」

「奢りだからいらねえよ。あ、これ明日の朝ごはんに全部食っていいか?」

「それは構わないけど…。」

「あそこの常連の人達が奢ってくれてんの。」

「お礼は!?」

「ナメんなよ、百合愛。俺は大学時代大喜利でビールとメンチカツを奢ってもらうトーク力を、ホステスさんに褒められた腕前だぜ」 

 納得してしまった。


 生野菜や新鮮な肉、魚は家には無いけれど、野ばらは口先ひとつで外でそういうものを食べれているらしい。

 野ばらは自分の職業に誇りを持っているし、桜桃子という恋人がいてもいなくても、貞操観念はものすごくシビアだ。

 ひもじいのは財布の中身だけでよかった。

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