「きみはうつくしいね」

 オカルトやスピリチュアルを好む人間が誰しもが憧れるのが、「視える」「分かる」ことだろう。

 それは本人曰く、生得的なもので、何だったら修行らしい修行どころか本も読んでいない。

 しかし、遠視の的中率は、相手が話を合わせていないとしたら、かなりのものだし、祈りを捧げている人と「事故」が起こったりする。人の心が分かる訳ではないし、本人も口から思ったことや見えたことを無責任に話しているだけ、と言っているから、彼女の言うとおり「勘がいいだけ」というのが近いかもしれない。

「おい。」

 電車に揺られていると、突然野ばらが言った。

「なぁに?」

ぞ。」

「え、なんて?」

「…でも、呼び方が違ったな。お前じゃないか。」

「特につもりはないよ。」

 野ばらは勘が鋭く、分別がある。

 何かを「感じ取った」時に、それが自身の冴え渡る直感なのか、精神病理的なものなのか、はたまた神の啓示かを区別することが出来る。

 百合愛はいいなぁ、と、思っているが、はてはて、野ばらの「オカルトパワー旅行」は、どんなものなのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る