初夜

 とりあえず当分は、春雨と小鍋で凌ぐか。なんとしてでも今日中に、と、少々無理をして買った冷蔵庫は、まだすっからかんだ。炊飯器も洗濯機も電子レンジもこのご時世にエアコンもないし、風呂釜じゃなくてシャワールームがリビングにあるしトイレは和式を無理やり洋式に変えたから座ると膝が当たってドアが閉められない。コンロは1つしかないしシンクの大きさとまな板をおける大きさが同じだし、何だったらガスは点検不良で明日の朝イチで再点検だ。

 リフォームしたばかりの家だからか、掃除をしてもしても足が汚れる。ついでに言うと布団もないので、しばらくの間はダンボールと冬服の上で、寝ることになりそうだ。

「百合愛のやろう、結局春雨カルボナーラ3人分作って、2人分食って帰って行きやがった…。」

 「火がつかない」というトラブルにもめげず、冷たくても食べられるものを、と、色々と気を回して作ってくれたのはいい。いいのだが。

 …まあ、冷たくても完食できたからいいとしよう。

 夕飯に暖かいものが何もなかった上に、環境が環境なので、寒い事この上ない。真冬の引越しではないとはいえ、夜はまだ冷える。

「………。」

 ダンボールの上に敷いた真冬用の「くまさんコーデ」の上に、「ハリポタマント」をかける。軽いし痛いし寒いが、田舎と違いここは静かで、誰に邪魔されることもない。

 …でも。


ぽぺぽぺぺん♪ ぽぺぽぺぺん♪

ぽぺぽぺぺ―――

「何?百合愛。俺寝るところなんだけど。」

『野ばらー!!! 大変!!! 私の所のストーブ壊れちゃったのー!』

「んなもん、オーナーさんに直してもらえよ。俺ん家はホカロンもないぞ。」

『来るの連休明けなんだもん〜! 寒いよー! 開けといて! あとは勝手にやっとくから!』

「連休明けぇ!? 祝日はいるから…あと3日そのままなのか?」

『うん。』

「マジかよ…ついてねぇなぁ。」

『という訳で、開けて。』

「あ? …はぁぁ!!??」


 こんこん、と、家の外から音がした。玄関の前に、明らかに何か立っている。誰かではない。何かだ。ベイマックスはまだ開発されていない。


「おま、まさか家の前にいんのか!?」

「うん。」


 耳元と目の前から、同じ声が聞こえる。慌てて起き上がろうとして―――気づいた。


「…ひ、ひとのめいわくを考えろ。おやすみ。」


 強引に電話を切って、ダンボールの上で縮こまる。

 寒い。寒すぎる。そして疲労困憊の体に、ダンボールは硬すぎる。動けない。


「ふっ…ふ…っ。」


 腹の筋肉と胸の筋肉が震えて、呼吸ができない。田舎から出てきたと言っても、万全の体制で、全ての荷物を持ってでてきた訳ではないから、田舎に置き去りにしてあるものも沢山ある。その中の一つが布団だった。

 油断した。畳の上に貼られたフローリングとは、確も冷えるものだっ―――。


 …がこっ。


 …………?


「あー、さむいさむい。サンタクロースは大変だなぁ。」


 声が聞こえる…?

 百合愛だろうか、と、玄関を見ると、玄関にはベイマックスが座って待機モードになっていた。


 スタ、スタ、スタ。…ガチャ。

「よい…しょっと!」

 ガラッ!


「あ、そか。壁にスイッチないんだっけ。野ばら、そっちにリモコンあるんでしょ? つけて。」

「………。」

「…ああ、そう。分かった。気づくの遅くなってごめんね。」


 呼吸音だけで状況を把握したらしい。百合愛がどうして家の中に入ってこれたのかはどうでもいいとして、今はとりあえず、百合愛がここにいるかが問題だ。逆光になっている姿をよく見ると、巨大な待機モードベイマックスの前に、僅かな輪郭が動いているだけだ。特にこのクソ狭い家の中で、誰かの足音はしない。


「野ばら、もう大丈夫だからね。寒くはないよ。」


 そういいつつ、何かがぽいぽい自分の上に放り投げられていく。あたたかくはならないが、重みが安心感を与えてくれる。

 折れ曲がって強ばっていた両膝が、少しづつ伸びていき、短く途切れていた呼吸は長くなってくる。


「じゃあおやすみー。」


 熱の塊が入ってくる。触れると、温泉のように温かい。規則的に吹いてくる暖房は、春の陽射しのように心地いい。熱の塊を引き寄せて、指先、つま先、太ももを絡めると、本当に暖かかく柔らかかった。平和そうな呼吸音に釣られて、すぐに眠りに落ちる。

 その様子を、狸寝入りしていた百合愛はしっかりと見届けて、空気が逃げないようにして布団の外に出た。夜目の効く目で、ショーツ以外の下着を付け直し、自分も野ばらと同じクマさんコーデを着る。


「…よかった…。」


 布団の中に入り治すと、冬服に包まれた身体は確かに、眠気を齎す熱に守られている。

 自分の指先は対して、震える力もないようだ。

 百合愛が胸騒ぎがして電話をした時、野ばらの声は明らかに震えていた。やはり寒いのだ。お湯も出ない状態で、卓上コンロも使えないような狭さとダンボールの多さだ。水道水で戻した春雨を、お手製カルボナーラソースこと、ベーコンの卵焼きと混ぜて食べただけ。布団1枚ないのだから当然といえば当然だ。

 とにかく、ストーブの前にありったけの布製品を放り込み、急いで常温保存してあった食べ物を持てるだけ持って、着込めるだけ着て、着れないものは腰にまきつけ、上からコートを羽織った。

 最終バスに乗って、足元も見えない状態で、とりあえず家の前にたどり着く。鍵がかかっていることは分かっていたので、パンツいつものワンピース姿になり、昔読んだ「鍵を開けない空き巣」の手口で家に入った。少し手間取ったが、無事に侵入することが出来たので、自分の温もりが残っているうちに、急いで玄関を開けて着てきた洋服を全部、コタツに入る前提の装備で、内臓を守っている野ばらの上に放り投げた。いちばん冷えているコートで、自分の分の「シーツ」を作り、あとは100年続くカイロが潜り込めばミッション達成。

 汗をかいて体を冷やさないように、しかし自分の体表面が熱いうちに、と、大急ぎだったが、案外どうにかなるものだ。

 自分の貧相な胸や太い二の腕、ふくらはぎなどは、調度良い塩梅だったようで、野ばらすぐに寝落ちた。呼吸が温まってからようやく自分も服を着て、眠っているのと同じように体を休めた。


 明日の朝ごはんどうしようかなぁ、という心配は勿論ある。ただ、明日のことは明日の自分が考えるって聖書に書いてあるし、何より自分が限界だったので。

 とりあえず今晩は凌げるだろう。

 自然界の齎す低い気温は、人間の知恵でどうにか出来たようだから。


 翌朝、ガス点検には百合愛が応対した。外して素人感覚で戻したトイレの枠は、おやこれはいけない、と、戻してくれた。


「田舎から1人で出てきたと聞いてたけど、お友達がいたんだねぇ、良かった良かった。」


 百合愛は、ありがとうございましたと頭を下げた。

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