20 歌姫
静かな原宿の真ん中で、身体を内部から蝕まれる彼は、グラスの中の氷のように、徐々にその輪郭を失っていく。溶けた口で声もあげられないまま、やがて真っ白の液体になってしまった。
「これは、なんだ?」
「サンマ野郎! 知らん敵には近づいたらあかん」
鼻にまとわりつく甘い香りに、侵されたのは彼だけではなかった。キムチのにゃって鳴くその先では、多くの喰い人が溶け始めている。そんな彼らが助けを求めて、歩み寄ってくる様は、B級ゾンビ映画みたいだった。
「達磨はん……わて、しんどいわ。おねがいやから、身体のすべてなくなってまう前に、その串カツで、後輩であるわての右足を、ひといきに」
「阿保か、お前。そんなこと」
班員の願いに夜達磨が躊躇する暇もなく、彼女も溶けていく。あたりを見回すと、夜達磨の率いる大阪班も、ナユタの所属する横浜班も、ミナトクロイドの港区班も、魔法が落ちたように消えてしまって、そこは静かな地獄と化した。俺はまだ無事なキムチと六花を背に、思春期のような投げやりな言葉をこぼした。
「キムチ、逃げろ。六花たちを連れて、できるだけ遠くに」
❖
ボクは指示通り、後ろ脚を蹴って、駆け出した。振り返らず一直線に、原宿からの脱出をはかる。ナユタなら絶対死なないっていう信頼があるから、できたことだった。逃げ切った先で、いつだって彼は、大きなしあわせを持って、待っていてくれる。
「ねこくん。あれは生クリームだよ」
途中、口におさまるダックスフンドが言う。
「わたし、鼻がいいからわかるの。ご主人さまから、よくひと口もらってた。生クリームはいろんなものに入ってるんだよ。クレープとか、マカロンとか」
「なにが言いたいんだ」
彼女のまんまるの瞳には、死にかけた青空が映る。そして、そのかわいい声からは似つかない、えげつない真実が露わになるのだった。
「つまり、わたしが言いたいことは、さっき戦ってたクレープの蛭からも生クリームの匂いがしたってこと」
❖
溶けている人間を観察して、やっとわかった。菓子虫たちの目論見と戦法、そして八ツ喰が3人もこの原宿に呼ばれた理由。それは凄まじく残酷な、どんでん返しだ。
「どうやら、こりゃ寄生虫のようやな」
「そう、みたいっすね」
クレープ蛭も、マカロン百足も、いちご飴蜘蛛も、すべて生クリームに寄生された奴隷で、捨て駒でしかなかったのだ。すべては少しでも傷をつけて、喰い人に生クリームを寄生させるための罠。知らずのうちに我々は、内部から組織を破壊されて続けていた。
ただひとつ、多くの喰い人が溶けてもなお、解けない謎があった。それは自分の身体のこと。夜達磨さんが寄生されていないことは理解できる。なぜなら、彼は無傷だから、寄生される場所がない。しかし俺の腕には蜘蛛の群れと戦った際の、小さな傷が多く刻まれていた。もう寄生されているのだろうか。
そんな不安を裏腹に、溶けた生クリームたちはアメーバのように地面を這って、一点を目指している。そして集まったそれは、すらっとした足を作り、次に短いスカート、ワイシャツ、ピースした指先と、輪郭を持つ。やがて出来上がるのは、制服姿にマイクを持って韻を踏む、歌姫だった。
「ハロハロ、MC五月雨です♡ 寄生して殺すモチベーション、やがておうちデートから、臓器提供。ゴキジェットでみなさん、ごきげんよう♡」
登場を祝うかのように、まわりからはぷしゅーっと殺虫剤の煙が立ち上がり、彼女は斜めストライプのネクタイを締めて、笑顔で立っていた。そのえくぼは、いのちの落とし穴。すべてのものに臆さない、若くて酸っぱい狂気が立ち込めている。
「闘えるか、サンマ野郎」
「もちろん。わくわくしてます」
夜達磨はガハハと大きく笑って、ほんまに阿保やなお前って小突くのを合図に、ふたりは走り出した。彼女がマイクを持って歌うたびに、生クリームの飛沫があがり、それをカタカタ鳴る秋刀魚で斬って進む。夜達磨はそれを躱しながら、相手を分析しつつ、最善の一発を狙う。
ビル群を駆け、空気を斬り、生クリームの水たまりを飛び越える。毒のソースをまき散らし、巨体を影のように消して這いよる。そんなふたりはまるで、人間の形をした悪魔だった。
「きゃー♡ めっちゃこわいんですけどお。よーいドン、で始まるオーディション。超微妙でも勝てたら好印象。香辛料をふるった料理長。気づいたときには共依存♡
コンディションは最高、強心臓。後遺症、もしくは脳震とう。どうしようか迷った逃避行。あまーい生クリーム包囲網♡」
彼女も他の虫と同様に、韻を踏む行為を制限としているであろう。であれば、四方から囲われる生クリームの壁に、鋭く切れ目を入れ、間合いを詰めて、時間の経たぬうちに。自分は秋刀魚を握る手に力を入れて、彼女の頭に真っ向切りを仕掛けた。
しかし、その剣先は届かない。どころかMC五月雨は顔の形を変形させ、前方に鋭く伸ばす。そしてそれは、影から現れて自分を庇った夜達磨の腕を貫いていた。生きた真っ赤な血飛沫が飛んで、その傷口には白い糸状の虫が巣食う。彼は笑った。
「ほんま、阿保やで。お前も、わいも」
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