19 日傘

 世界にまっすぐ向けられた傘の先端は、無機質な銃口だった。感情のない彼女は、不気味なウインクをして、死を狙う。あたりに走る緊張と、その沈黙。それらを切り裂くのは、ぼんって響く発砲音と、おかしな日傘の声だった。

「hey—オマチ。マグロデース!」

 その弾道は鋭く、瞬きをする間もなく蛭の身体を打ち抜いた。ぱんぱんに膨れた肉袋が破裂して、あたりに飛び散った返り血を、今度は傘を開いて避ける彼女。機械の目の奥からは、汚らわしいって感情が見え透いていたり、いなかったり。彼女は、また傘を閉じて、寿司を乱れ撃った。

「hey—オマチ。タコ、カレイ、アワビ、エビ、タコ、イカ、ウニデース!」

 傘の銃口からは一本の煙が昇って、機械音声はホームで異常に響く。寿司はあらゆる方向に飛び、ひとつは線路に撥ね返り、ひとつは駅名標を回り込み、そしてひとつはボクに向かって一直線にと、いのちを貫こうとしていた。

 瞳が捉える死へのカウントダウン5。直感でわかった、なぜなら一回死んでいるから。寿命が尽きたあのときと、一緒の香りがした4。朝から昼に代わるあのやさしい時間に、彼が連れて行ってくれたあの公園の香り。一緒に草を食べて、笑い合ったあの瞬間に、ボクは最高に生まれてよかったと思った3。

 だからもういいんだ。野良猫にしては、十分にしあわせだった2。それも全部、ナユタのせいで、おかげ。ボクは目を閉じて——そのときを待った1。


 しかし銃弾も、その直感も当たらない。まぶたの裏側で、どんっていう鈍く大きな音がした後、今度はかんっと銃弾を弾いた音が響く。恐る恐る目を開けると、そこには床を突き破った巨大な蟹の腕。そして見覚えのある、おっとりしたお団子ヘアーが揺れていた。

「あらあ、ロイドちゃん。ごめんなさいね。この子はね、横浜班で飼ってるネコちゃんなの」

 そう言いながら、にゅっと伸び出た蟹の腕は、爪をカチカチって鳴らしてから、瀕死の蛭にとどめを刺す。ぶしゅって潰れて、簡単に消えた。あたりに血が流れる。

「お言葉ですが、リーファさん。中毒覚醒が行われた動物は駆除対象となります。直ちに駆除するのが、私たち喰い人の責務です」

 ミナトクロイドは無駄のない動きで、ワンピースをひらりと揺らし、ボクにまた傘を向けた。

「基本的には、そうね。機械的に考えれば、ロイドちゃんの言う通りよ。でもね、この世には数式では解けない例外もあるんじゃないかしら」

「いいえ、規律違反は、規律違反です」

「そう、じゃあ同じ八ツ喰の骨丸くんはどうなるのかしら。あの子だって、中毒覚醒をしたカラスじゃない」

 リーファさんは仕方ないわねって顔をして、蟹の爪をカチカチ鳴らす。わかり合えないふたりは、お互いを向かいあって、一歩も引かない様子だった。

 先に頭を働かせて動いたのは、リーファさん。犬と少女を咥えるボクを、大きな爪で掴んでは、この場から逃すように駅の外に放り投げたのだった。

「キムチくん、あなたはその子たちを安全なところまで運びなさい。これは、命令よ」


 ❖


 蜘蛛を倒した後、俺は夜達磨率いる大阪班と、原宿中を回り、残りの菓子虫を駆逐していた。

「これで200匹目じゃ、こらあ!」

 秋刀魚の先端で記念すべきチョコ蜂が苦しそうに足を動かしている。虫で溢れていた原宿も徐々に綺麗になり、振り返ると戦地はカラフルな血で覆われていて、これはこれで原宿っぽいと思った。


「ありゃ、なんや。ライオンか?」

 色とりどりの景色を、ひとつの大きな影が横切った。上を見ると、駅の方向からなにか飛んでくるものがある。それは立花とその犬と、それを咥えた。

「キムチ!!」

「なんや、お前の仲間か。はよ言えや」

 しかし飛んでくるのはそれだけではなかった。遠くの方で響く発砲音とともに、小さいなにかがキムチを鋭く追っている。

「あれは……ロイドの寿司か? 機械っちゅうのは、融通が効かんから、困ったもんやな」

 強く言いながら、どこか愛娘を見るようなやわらかい表情をする彼は、ポケットから小銭を数枚ばら撒いてから、すみやかに手を胸の前で合わせ、ど派手な印を結んだ。

「甲賀流忍術三ノ型——はんぺん150円!」


 地響きを起こして、地面から生まれるのは、通天閣より高いはんぺんの壁で、それはキムチと寿司銃弾の間に一気に聳え立った。

 ぽふって音を立てて、寿司が埋まり、その後爆発を起こしてもなお、はんぺん壁は無傷。その隙に俺は思いっきり跳んで、空中のキムチを抱いた。安心したのかキムチも、にゃあって鳴き、立花がそれに続く。

「あの、ねこさんにとてもお世話になりました。ありがとうございます」

「ねこさんじゃねえ、キムチだ」

「ふふ、キムチって言うのね」

 彼女の笑い方は小さい頃の印象とは違って、落ち着いていて、不思議と見入ってしまった。そしてこの際、覚えているかわからないが、過去のことを話そうか悩んだ。

 しかし戦地ではそんな暇はなく、遠くから走ってきた大阪班員の業務報告が響き渡る。

「夜達磨さん、竹下通りの虫は完全に駆除できていました。あとは裏路地だけやと思います」


「お前、その顔どうしたんや」

 夜達磨の言葉で、しあわせのひとときに、緊張の冷たさが触れる。異常なのは一目瞭然。彼の顔半分は白く溶けて、細長いミミズのような虫が、大量に顔を覗かせていた。

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