18 胡瓜

 彗星の欠片のように落ちる涙が、戦場に落ちるたび、そこから秋刀魚が生まれる。苦しんだり、幸せだったり、俺の制限はそういった感情を知るほど、強くなれるものだった。

「どれだけ、やべぇ相手だとしても、俺は絶対に死なねえ! だからキムチ、てめえも簡単に死ぬんじゃねえぞ」

 カラフルな血をまき散らしながら、秋刀魚の魚群は渦を巻いて、確実に蜘蛛の海を切り裂く。ピンクが刺されて、青が飛び散り、透明に消えていく。それは、俺にとって存在証明でもあった。どうしようもない世界でも、自由に舞って、生き切ってやるという若い気持ちのまま、秋刀魚で黄緑を潰した。

 そんな芸術の一瞬、ソースの匂いが鼻の先をくすぐった。直後、一本の串カツが頬を掠め、その先にいた蜘蛛の親玉を射止める、一撃。すると、今度は大きな爆発とともに柑橘系の香りがあたりを破壊した。ビルが倒れ、きのこ雲があがり、蜘蛛の群れは一気に腹を見せて動かなくなる。砂煙の向こう側から聞こえるのは、雷鳴のように鋭い関西弁だった。

「わいに二度目はないで。一発で殺りきるんが、甲賀流忍術の基本よ」


 敵がさっぱりいなくなった荒野のまんなかで、自分は刃先を下に向けて、その景色を見ていることしかできなかった。「八ツ喰」の夜達磨が、すぐそこで大きい身体を揺らしている。

「なにぼーっとしてんのや、サンマ野郎。お前、ほんま阿保みたいな顔してるで」

「いま、なにをしたんですか……」

 周りの蜘蛛だけが一掃されて、自分だけが立って生きている状況が読み解けない。夜達磨は、背負った大きい壺から「蜜柑の串カツ」を取り出して、豪快に笑った。

「ほんま、おもろいやつやな。教えといたる。敵を倒すんには、まずその敵を知ることからや。蜘蛛は柑橘系の木や果物には寄り付かへん。それは奴らにとって、毒となるから」

「どく?」

「せや、毒や。世の中には毒がわんさかあんねん。そして生物によって、毒となるものもちゃう。毒を上手く扱えるっちゅうことは、要するに殺したい奴を殺せて、守りたい奴を守れるっちゅうことやねん」

 聞き馴染みのない関西弁で、小難しいことを捲し立てる彼。ほとんど理解できなかったが、守りたい奴って聞いて、真っ先に思い出すのはやっぱりキムチのことだった。

「わいがなにを言いたいか、わかるか?」

「いいえ。ぜんぜん、わかりません」

「どれだけ、身体を鍛えても、制限をつけても、阿保やったら守りたいもんも守れんってことや」

 そう言って彼は、大きなこぶしで俺の肩をど突いた。その勢いで、自分の身体は吹き飛び、瓦礫の山に突き刺さる。凄まじい威力。

「ははは、丈夫やなあ、お前」

「なにすんだ、てめえ! アホアホって、てめえこそアホだろ!」

 悲しそうに佇む夜達磨の身体は、逆行を浴びて神々しく輝いている。それは、世界を守る正義のヒーローにも見えたし、亡き人を想って墓参りをしている一般人にも見えた。そんな背中が振り返って、大きく笑う。

「わいも、めちゃくちゃな阿保かも知らんな」


 ❖


 ぷぷーっていう不気味な汽笛を鳴らしてやってきた蛭列車は、駅のホーム全面を覆いつくすように停まった。ドアが開いて、車内で喰われたであろう人間の骨が、からからと落ちてくる。

「ねこくん! これたいへんなんじゃ」

「そうだね……」

 人間の女の子も腰を抜かして、あわあわ言っている。そんな状況に慈悲があるはずもなく、蛭電車からは肉の手が大量に生え、それがボクらを一斉に狙った。

 ふたりを咥えてボクが避けると、それは駅のベンチや、電光掲示板、点字ブロックなどにあたり、粉々になる。動物病院の構内看板に映るモデルの猫も、腹に穴が空いていて、もし自分だったらと考えては、恐ろしくなった。

「ボクは、一度。死んでるんだ」

「え?」

「それを、ナユタが生き返らせてくれた。ナユタは、ボクが死ぬのは悲しいみたいだから」

 どこからか、簡単に死ぬんじゃねえぞって彼のやさしい怒号が聞こえた気がして、ボクは相手の触手を爪で切りつけた。どろっとした血が飛び散って、また肉の手が飛んでくる。ひとつを躱して、ふたつを噛みちぎり、最後のひとつに飛び乗った。そのまま全てを受け流し、間合いを詰め、列車まであと一歩。

「炎蔦――오이김치オイギムチ

 肉塊に嚙みついた自分の背中から、赤く燃えるツタが生える。それは一瞬にして成長して、蛭の列車を捕らえた。燃え上がる駅のホームには、よく見ると電球のようにキュウリが垂れている。熟れたそれがむくむくと膨らんで、やがて爆発する。

 蛭の言葉にもならない悲鳴が響いて、焼け溶けた肉の間から、本来の山手線が顔を覗かせる。肉の手とツタが絡まりあって、勝負は互角。犬と女の子は、ボクの胸のなかで目の前の光景に身体を震わせていた。


 そんなふたりの勝負を、冷ますような女性の機会音声が空気を刺す。ころころと伸びてきたレッドカーペット歩く、真っ白な装甲ドレス。耳には真珠のピアスが揺れて、何より手に持った日傘が強い気品を照らしている。

「タベモノ駆除専用機械人形MK-1、ミナトクロイドと申します。原宿駅構内にて、クレープとキムチの戦闘を確認。どちらも駆除対象ゆえ、直ちに駆除いたします。お手柔らかに」

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