15 立花
メレンゲの甲殻を砕けば、緑の血が潮水ように噴き上がる。突き刺さった刀に重い韻を乗せて俺は、百足を真っ二つに切り落とした。
「秋刀魚の刀で一刀両断、心臓発作起こす韻の操作、それは必勝法か真骨頂か、原宿を晴らす希望の歌」
百足は半分になった上半身を動かして、力強くこちらを向く。最後の命、散り果てるまで殺りあおうという意思で、殻を破った生身の姿で襲いくる。
「見せてく百足の殻破り、ばら撒く韻すら型破り、ビートの
百足の牙と、秋刀魚の刃。音楽に乗ったふたつは、お互いに鋭く空気を切り裂く。しかし、それらが交差することはなかった。
秋刀魚が触れる前に百足は、ビルの間から現れたいちご飴の蜘蛛に捕らわれて、そのまま影に消えていった。刹那の安心の間で、ふたりと2匹は息を吐いて空を見上げる。
「ありがとう、助けてくれて」
「礼はいらねえよ。仕事だから」
「ううん、ありがとう」
廃れた世界で眩しく笑う彼女。その足元には、怯えたように犬が隠れている。もう大丈夫だよってささやく無邪気な声は、どこかで聞いたことのあるような気がした。
❖
テレビの奥で「サンマ男」について報道されているのを見た時、私はすぐにあの子だって気づいた。
『昨夜未明、千葉県中央区で観測されたにんじんの発芽を、たったひとりの喰い人が討伐したとの情報が入りました。千葉市食物対策駆除課によると、彼の名前はナユタといい、秋刀魚の日本刀を使う戦闘スタイルを取るとのことです』
その画面に映る、秋刀魚を握る手、失うもののない目、命を顧みず向かってくる、その感じ。全部変わらなかった。お母さんと雪合戦をしてたあの日に「おれも仲間に入れて!」と現れたあの子だ。
あの時、一緒にした雪合戦が、私は忘れられない。忌み嫌うように本気で投げるお母さんに、彼は臆することなく立ち向かった。
「だから、来るなって言ってんの。キモい」
「うるせえ!」
コスプレのスカートを揺らした彼は、飛んでくる雪玉を避けて、お母さんに飛びついた。そのままふたりは、雪に倒れる。
「キモい! 触んな」
「ぶっ殺してやる、子ども舐めんな!」
「あっちいってよ、もう」
「行かねえ!」
大人とか子どもとか関係ない。彼がいる場所では、彼が主人公で。私が捨ててしまいたい家族とか世界とか、そういうものだって、彼なら壊してくれるような気がした。
それでもその時は、びっくりして彼と何も喋れなかった。お母さんが酷く怒って、それからは寒かったのを覚えてる。
「りっちゃん、もう帰るよ」
「うん」
お母さんのあとをつけて、彼に背を向ける。それでもなぜか、彼にはまたいつか会える気がした。その時は、しっかり感謝を伝えられるといいな。
その彼がいま目の前にいる。マカロン百足に立ち向かって、また守ってくれた。それは奇跡的な偶然で。私は数ある言葉の中から、自然なものを選んだ。
「あの、私たち。どこかで会ったことないですか」
❖
彼女の言葉は、まるで背後から貫く矢のようだった。彼女もまた「会ったことがある」と感じるなんて。そんな偶然が、あるのか。そんなことを考える暇もなく、
「人違い、ですか」
「ああ、俺は女と話したことなんて、数えるくらいしかねえ」
彼女を背に、飛んでくる蛍の光を一斉に斬り刻む。喰い人じゃない彼女には、こんな世界にいてほしくなかった。真っ当に恋をして、しあわせになってほしかった。だから、振り返らない。あの子だって気づいていたけれど。
ビルの隙間から、さっきの蜘蛛が顔を出した。捕食した百足の足を口から覗かせるそれは、大きい身体を音もなく移動させて、忍びのように動く。俺は秋刀魚を構えて、彼女に背中で聞いた。
「名前は」
「え?」
「名前はなんて言うんだ」
彼女は呆気にとられながら、
「六花、向こうに行くと改札がある。そこから来た電車に乗って、原宿から逃げるんだ」
「そんな、君はどうするの?」
「俺は蜘蛛を足止めする」
そんなことできないって泣く彼女。それでも、俺は逃がすようにキムチに合図した。キムチは大きな愛で空に鳴いて、むくむくと身体を膨張させる。何倍にも大きくなったキムチは、毛を逆立てて、彼女らを加えて走り出す。
「キムチ、頼んだぞ」
「にゃー!」
千葉班の先輩も、ホンファさんも、戦場に立つ人間は守れなかった。だから、今回は逃がすことにした。彼女もキムチも、俺のいないところで十分しあわせになれる。
蜘蛛は糸を吐いては、ビュッと飛んでくる。相変わらず、後ろではラップが絶え間なく流れてる。その音に合わせて、思い切り刀を振る。蜘蛛の身体と剣先が触れ、火花が散る。また会おうねって彼女の言葉が、切ない歌詞のようで、刀を握る手に力が入った。
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