7 茶会

 朝陽門を抜けると、真っ直ぐと伸びる黒ゴマプリンのアスファルトに、小籠包の街灯ランプが等間隔に並ぶ。両脇には大きな中華料理店が軒を連ね、青や赤のネオンで描かれた「中國楼」や「銀都魚翅酒城」「福満園」といった看板が顔を覗かせる。

 道ゆく人は、チャイナドレスを着ている者もいれば、ビーフンのニットや、小松菜のスカートを靡かせる女性もいて。ここ、中華街は何十年もかけて、独自の文化を築いていることが窺えた。


 そんな中華料理の溢れる街を、ホンファさんはするするっと抜けていく。その背中を見失わないように、俺とキムチは早足でついて行く。

「ホンファさん、待って」

「ちゃんと、ついてきて。迷子になっても知らないわよ」

 彼女のそっけない言葉の奥に、温かいなにかがあることに。その時の自分は、気づけていなかったと思う。

「ナユタくん。見て、わかると思うけれど。中華街のほとんどは中華料理で構成されているの」

「そう、みたいですね」

「これはね、2023年から始まった取り組みで——」

 横浜市食物対策駆除課に向かうまでの道中。ホンファさんから、この街のことを教えてもらった。店の壁面に敷き詰められた春巻きも、寒天ゼリーのガラス窓も、マンゴープリンの点字ブロックも。曰く、すべてアメリカのUnited Onion社が特殊技術で作ったものだと言う。

 レジン液のようなものに食品を漬けると、硬化して腐らなくなる。その技術は当時掲げられていたSDGsの観点からも評価されるもので、中華街でもフードロスをなくす取り組みとして広まったとのことだった。

「私の着けてる茶葉のピアスも、この技術で作られているの。どう、かわいいでしょう」

「はい、とっても」

 彼女が振り返って笑うと、街の賑やかさに負けない中国茶の香りが鼻を掠めて。さわやかな気持ちになった。キムチはそれに茶々を入れるように、俺の腕のなかで鳴いていた。


 これが横浜班の本部、とホンファさんは指をさした。それは中華街の中心部に突如現れた、巨大な上海蟹の形をした建物で。喰い人の制服を着た人々が、蟹の口から出入りしていた。

「すごいですね」

「蟹でしょ」

「蟹、ですね」

 呆気に取られていると、ホンファさんはもう歩き出していて。蟹の口の前で手招きしていた。ほらおいで、こっちよって。


 中に入っても、そこは中華料理で溢れかえっていた。杏仁豆腐の廊下を、生春巻きの蛍光灯が照らす。壁には、立派な蟹の爪や、伊勢海老の頭が飾られている。

 突き当たりの「一蟹間」と書かれた部屋を開けると、そこは千葉でいう課長室のようだった。奥にある餃子のソファに、お団子あたまの女性がひとり。寝転がっていた。

麗花リーファさん、失礼致します。紅花ホンファです。千葉で生き残ったナユタという男を連れて参りました」

 ホンファさんは目配せで、自己紹介しろって伝えてきたため。それに続く。

「千葉から来ました。ナユタって言います」

 女性がむくっと起き上がると、頭のお団子がふたつ揺れる。この人が横浜の長なのだろう。

「あらあ、なゆたくんって言うのね。会いたかったわあ。こっちにおいで、よく顔をみせて」

 言われた通りに彼女に近づけば。ホンファさんは、私はこれでって部屋から出ていく。広い部屋に課長とふたり。それでも緊張しないのは、彼女の雰囲気のおかげだろう。

「お姉さんはね、麗花リーファっていうの。なかよくしようね」

 彼女はゆっくりと俺の頭を撫でる。それは、保護猫にそっと触れるようでもあったし。我が子を愛おしむようでもあった。

「きてくれてありがとう。横浜ここは、珍しく女の子がほとんどを占めているの。ほら、いっぱいいたでしょう」

「はい、いました」

「私のもとで闘いたいって、移り住んでくる子もいるのよ。紅花ちゃんもそのひとり」

 ふわふわと動きながら彼女が話す度に、頭のお団子と胸が揺れる。それに見入って、話が入ってこなかったが。どうやら歓迎しているっていうことらしい。リーファさんは最後に、ぱんっと手を叩いて、思い出したように言った。

「そうだ、なゆたくんも来たことだし。お茶にでもしましょう。おいしい菓子があるの」


 リーファさんに連れられて着いた場所は「蟹楽園」という大部屋だった。金と赤の彫刻が細部まで彫られた空間に、大きな円卓が置いてある。

小鈴シャオリン。みんな、集まりそう?」

「は、はい! えっと、すぐ揃うと思います!」

 すでに何人かの喰い人が集まっていて、その中には紅花さんもいた。みんなの席に大きなティーポットでお茶を汲む。温かく、香ばしい匂いが充満する。最後の一席が埋まる頃には、台湾カステラが運ばれてきて。合計6人で、お菓子を囲う形になった。

「じゃあ、お姉さんが説明するわね。こちらが、千葉班のなゆたくん」

「ナユタと言います。よろしくお願いします」

「そして、こちらが四季蟹シキガニのみんな。つまり、班長といったところかしら。規模が大きいから、ここでは課を四つに分けているの」

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