6 紅花

 肥大化するメロンパンの笠に、秋刀魚を突き立てて、瞬時に受け身を取る。宙に投げ出される身体。腫れたメロンパンからは、血が爆発する。世界に血の雨が降る。

「ナユタくん、下!」

 ホンファさんの鋭い声がして下を見ると、さっき開いた切り口から、また新しいメロンパンが発芽している。それも瞬く間にビルほどの背丈になり、襲う。安定のしない空中戦。今度こそ、殺られる。


「防茶——茉莉花ジャスミン

 落ちゆく背中に、メロンパンが触れる瞬間。春めいた香りに包まれた。気づけば、自分の身体は、紅茶のしゃぼんの中で、ぷかぷかと宙を浮かんでいる。

「ホンファさん、これは?」

「話はあとよ。いまはメロンパン狩りに集中」

 ティーポットから放たれる紅茶弾は、すべてのメロンパンに命中し、その度に血の爆発が起こる。聳え立つメロンパンが、次々と萎む。

「ひどーい!! たくさん咲かせた、かわいいキノコがあ。あの女、ぜったいにゆるさない!!」

 メロンパン少女のベレー帽の中から、肉塊と芽がこぼれ、顔を覗かせる。それは、まるで博物館で見た寄生虫に侵されたクジラみたいで、痛々しかった。


 四方から伸びる芽を、ホンファさんはお茶を乱射して撃ち落とす。アスファルトに肉片が積もり、動く。血飛沫が多方で起こる中、少女は一気に間合いを詰める。ホンファさんも強く地面を蹴る。

「あんた、だいっきらい!! クールな顔して、どうせモテるんでしょ。知ってるんだから!」

「ええ、モテてきたわ」

「は!? 腹立つ。あんたも、わたしとおんなじ傷をつけてあげる。そしたら、誰も寄ってこなくなるんだから!」

 メロンパン柄の手袋が美しい顔を襲う。瞬時に、ホンファさんはお茶で薄い壁を作って、攻撃を凌ぐ。深くなっていく夜にふたつ。荒れた息が溶けていく。


 自分を乗せた泡は、ゆっくりと地上に降り立って、弾けた。少し後退して、間合いを取ったホンファさんが息を切らして、言う。

「お茶を撒いておいたから、貴方も戦いなさい」

「ホンファさん」

「なに」

「今度は、自分が守ります」

 中国茶を撃ちながら、カッコつけちゃってと笑う彼女。その声を置き去りにして、駆け出した。お茶の海を、殺意を乗せた秋刀魚が泳ぐ。

 メロンパン茸の森を縫って、抜けて。刀はついに少女に触れる。紅茶弾も、空気を裂く。それらを少女はグローブで全てを弾く。火花が散る夜空。斬るか、斬られるか。金切り音が首都高速に響く。


「きらい、きらい!! どうせあんたも、あの女のことが好きなんでしょ。だから守るんでしょ」

「ああ、好きだ。やさしいからな」

 少女の脇腹を刃が掠め、血に濡れる。理性を失った少女の打撃もまた、自身の肩を抉る。刀と拳が交差する度、命の削れる感覚が増す。

 血を浴びて、秋刀魚を振り続ける中。ホンファさんは、生え続けるメロンパン茸を撃ち抜きながら、自分にお茶をかけてくれた。傷ついた身体がすこし、再生する。思えば、誰かに守られたのは、今日が生まれてはじめてだった。


 子どもの頃からずっとひとりだった。物置の端っこで、親っていう存在に憧れを抱いていた。俺はただ、誰かに助けて欲しかったのだ。

 だから俺は、メロンパン少女の叫びも理解できた。きっと彼女も小さい身体で、苦しさを抱えてて。それは、自分の幼少期とおんなじだった。

「いたーい!! なんで斬るのさあ。私だって、女の子なのに。だれもやさしくしてくれない」

 本能か、その言葉に攻撃の手を緩めてしまう。しかしその同情が、命取り。気づけば、手袋の軌道が、頭を捉えた。頭蓋骨が砕ける音が耳に響く。脳が細切れになり、額から飛び散って、消える。空が朱に染まる。

 見開いた目に、自分の血が流れ込む。赤くなる世界で、少女が楽しそうに跳ねる。大きく振りかぶった拳は、再度、容赦なく腹部に撃ち込まれる。歪んで、ぼやける視界。最後、遠いところで、薄くホンファさんの声が聞こえた。


「砲茶——プーアール」

 大きな音が轟いて、目の前を水の塊が横切る。それは、お茶でできたバズーカ砲。少女は粉々に砕け散り、ベレー帽だけがひらりと舞って、落ちた。桜の花びらのように。


 ❖


 本当に生き返るのねって、聞き馴染みのある声がして。目を開けると、ホンファさんが覗き込んだ。その右手には、小さなティーポットが傾いて、お茶が自分の心臓に注ぎ込まれる。

「ホンファさん」

「あら、おはよう」

「おはようございます」

 ホンファさんは、まるで理科の実験をはじめて見る小学生のように、俺の再生した頭を触って、すごいってこぼした。

「ナユタくん。私たち案外、相性がいいかもしれないわね」

「そう、ですね」

 お茶で生き返った身体を起こして、ホンファさんとふたり、車に戻った。戦闘ですべての車が燃え上がる中、ジャスミンのドームに守られた彼女の車だけが無傷だった。キムチもすやすやと眠っている。

「ホンファさんは、なんで俺やキムチのこと、守ってくれるんですか」

 世界の果てが見える助手席で、大切な人だけを必死に守るっていう彼女の言葉を思い出す。もしかして、ホンファさんは俺のこと——


「そ、それは。貴方を横浜に連れて行く任務があるからよ! 簡単に死なれちゃ、私も困るわけ」

 頬を赤らめて、車のエンジンをかけるホンファさん。お茶を濁して怒る彼女は、かわいかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る