「うーん。やっぱりどうも登場人物に立体感がないんだよなぁ」


 香坂彩音こうさかあやねは原稿読み終わるなりそう言った。陶器のごとき白い肌にヒビのような皺が寄っている。


「君の感想、そればっかりじゃないか」


 赤崎慶あかざきけいは大きく息を吐いた。日曜日の昼下がり、家賃が安いこと以外は何一つ誇れる部分のない都内の1Kで、赤崎は時折こうして自分の小説を彩音に読ませていた。


「だって本当だもん。主人公以外の登場人物が薄っぺらいんだよね。物語上割り振られた役割をこなしてるだけっていうか」


「手厳しいな」


「あ、でも主人公は良く書けてて好きだよ。愚かで頭悪くて汚くて、人間だなぁって感じがする」


「それは、どうも……」


「まるであなたの生き写しみたい」


「全然嬉しくないな」


 彩音はケラケラと笑った。綺麗な歯並びを惜しげもなくさらす、赤崎以外には見せない表情だった。


 数年前に赤崎は小説家を辞めていた。現在はとある電力会社に勤めている。仕事内容は創作とは関係のない、ごく普通の仕事だった。普通の仕事とはつまり、システムの不具合を手入れする仕事だ。


「AIが人間の仕事を奪う」などという論が隆盛していた時期もあったが、蓋を開けてみればそんなことはなかった。確かに人間の仕事の多くはAIに取って代わられたが、同時に新たな雇用を生み出したのもAIだった。


 それはかつての議論で唱えられていた「単調な作業はAIにまかせ、人間らしい創造的な仕事に需要が生まれる」といった結末とは異なっている。テクノロジーの進化に伴い、企業を運営するシステムは大掛かりになった。結果、開発後に逐次発生する不具合や要件漏れにあわせていちいちシステムを組みなおすよりも、人間を雇ってシステムの保守維持やトラブルの個別対応をさせるほうが費用対効果がよくなったのである。この時代の人間の主な仕事は、次のアップデートまでのシステムの手入れというAI以上に機械的なものになっていた。


「やっぱり自分のことを書くのが一番リアリティあるよね。言葉選びに責任感がにじみ出るというか、いい意味でも悪い意味でも正直に書こうとするからさ」


「まあ、確かにそうだけど」


「だから私はMWしか認めないの!」


「またその話か……」


 出版界隈の実情は、創作生成AIの登場により大きく変化していた。文章を作成する生成AI自体は十数年前から存在したが、創作用に調整されたものが現れたのは数年前である。当初は書籍出版の基準とされたAIスコアリングを突破するために作家の中で秘密裡に使用されていたが、とある高名な文学賞の受賞作が創作生成AIによるものだったと発覚したことをきっかけに、各出版社で爆発的に普及した。


 創作生成AIは数年で飛躍的に機能を向上し、テーマやジャンル、文体、ページ数等々を設定すれば、ものの数分で物語を書きあげることができるようになっていた。


 今や流通する小説には多かれ少なかれAIの作成部分が含まれている。作品の要素だけを決め、内容は完全にAIに書かせるAW(オート・ライター)、骨子をAIに作成させ人間がアレンジを加えるHW(ハイブリッド・ライター)というスタイルが主流となり、むしろ最初から最後まで自力で書く作家、MW(マニュアル・ライター)は少数派となっていた。


 もちろん、読者の中にはこの潮流を良しとしない者もいる。彩音はその過激派ともいえた。この話題になると普段の冷静な面持ちからは想像もできないほどの激情に駆られていた。


「創作AI使うなんて信じられない!」


「……」


「創作者としてのプライドはないのか!」


「…………」


「そんなやつ、作家辞めちまえ!」


「……だから辞めたんじゃないか」


「あ、そっか。そうだったね」


「君、わざと言ってるだろ」


 彩音は赤崎の同僚であった。物静かで冷静、誰に対しても隙の無い慇懃な対応をする彩音は、社内では近寄りがたい存在とされていた。赤崎がそんな彩音と話すようになったのは、彼女が彼の読者だったことがきっかけだった。


「大学時代に『月は笑わない』を読んで、それからずっと新作が出るたびに追ってました」


 そのときがほぼ初めての会話であったのに、自分のデビュー作について熱く語る彩音の姿に圧倒されたことを赤崎はよく覚えている。彩音は会うたびに自作の、感想を伝えてくれるようになった。一文一文を丁寧に読み込み、自分にとっても無意識だった部分を掘り起こしてくれる彼女の言葉には、読み手としての創作者への最大限の尊敬が込められていた。


 自分の作品にこんなにも真剣な読者がいたことに、赤崎は言い知れないほどの感動を覚え、そんな読者を裏切ったことを強く後悔した。


「もう、書かないんですか」


 心底残念そうに彩音にそう問われたとき、赤崎は彼女になら見せてもいいと思った。


 職業としての作家を廃業した後も、赤崎は未練がましく小説を書き続けていた。彼女にそれを読んでもらったら。行き場のないアイデアや捨てられない言葉の掃溜めとなっていたPCを見せたら、彼女がどんな反応をするのか。赤崎は知りたくなっていた。


 赤崎は彩音に自分の作品を読んでもらうようになっていた。最初こそ恐縮していた彼女だったが、回数を重ねるうちに途中から遠慮のない批評も飛び出すようになった。それも、赤崎にとっては嬉しいことだった。そのまま二人が交際関係にいたるまで、それほど時間はかからなかった。


「どうしてそんなにMWにこだわるんだ?」


「うーん。AIの書いた文章ってさ、文法的に正しいからとか、流行り的に売れそうだからとか、お偉いさんに評価されそうだからとか、そういう基準でコロコロ変わるじゃない」


「まあ、蓄積されたデータが変われば内容も精緻化されるな」


「それが気に食わないのよ。正しくなくても、売れなくても、偉い人に罵倒されても『これじゃなきゃダメ!』って気概があるからこそ、その痺れる一文が生まれると思ってるんだよね」


 赤崎はいつしか彩音のためだけに小説を書くようになっていた。彩音に何を伝えたいか、彩音がなにを思うかを考えながら書くことが、赤崎にとっての創作となっていた。

 誰かのために言葉を紡ぐことが、これほど幸せで、これほど難しいことだと、赤崎は知らなかった。


 彼女が言うところの「痺れる一文」を生み出せたら、創作者としてそれ以上の幸福はない。そのためなら、残りの生涯を使い切ってもいい。赤崎は本気でそう思うようになっていた。


「要するに、責任感だね。自分の言葉に責任を持って欲しいってことよ」


「ああ、そう。それは、そう、だよな」


「そうそう。責任感、大事だよ。何事にも、ね」


「……何が言いたい」


「何か言いたいのはそっちなんじゃないの?」


 ニヤニヤと笑う彩音を見ながら、赤崎は顔をこわばらせていた。彼女の顔は、全てを見透かしているようだった。


 赤崎は苦々しげに奥歯を噛みしめた。ポケットの中で握っている四角い箱がズシリと重くなったような気がした。

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