第18話 神父の書斎で

「うわっ!」

 

 私は声を上げた。

 体勢が崩れて、健太から押し倒された状態になってしまった。

 

「……静かにしてくれ」

 

 健太から口を両手で塞がれる。鼻先がくっつきそうな程の距離だ。心臓の音がうるさいのは、体勢のせいだろうか、それとも緊張しているからだろうか?

 

 足音がすぐ近くで止まると、ガチャガチャ……とドアの鍵を開ける音がした。私は息をひそめる。


 神父だ。侵入者を嗅ぎつけてきたのだろうか。緊張感が走る。私と健太はテーブルの下で身体を密着させたまま動けないでいた。神父が書斎に足を踏み入れる。カツン……カツンと靴音が響き渡る。その音は一歩ずつ、確実に近づいて来た。


 神父は数歩歩いた後、「おや」と声を上げる。


 「何か物音がしたような気がしましたが……思い違いのようですね」


 独り言を呟き、本棚を物色し始める。本棚から分厚い本……聖典を取り出した。

 健太と視線が合った。衣ずれの音がして、神父は足早に去っていく。

 扉に鍵が掛けられると、健太は腹の中の空気を全部吐き出した。


「はあ……、はあっ……」

「……行ったかな? そろそろ上をどいてくれないか」

 

 私が小さな声で、さも迷惑そうに口を尖らせると、健太はピクッと反応した。私に覆いかぶさる体勢だったことに気づき、慌てて身体を離す。

 

「わ、悪い!」

「いや、ちょっとびっくりしたけど」

 

 私も身体を起き上がらせる。さっき床にぶつけたお尻が少し痛い。私は動揺した様子など一切見せないで、襟元を整えた。

 私と健太はテーブルの下から這い出て、私は「まあ、一件落着かな」と言って伸びをした。

 平然を装っていても、さっきの体勢を思い出すとドキドキが隠せない。


 なぜ健太は平然としているのか? それは、怪盗ヴェールが男だと思っているからだろう。

 しかし違う。私は秋山葵という家業が怪盗の女だ。

 特殊マスクを着けていなければ、顔面が真っ赤になっていたことを隠せなかったはず。だからこそ変装してよかったと心から思った。


 ……焦った。健太が涼しい顔をしていると、余計に焦る。


 健太を目にするのは心臓に悪くて、その感情の正体がわからなかった。

 

 健太は先程神父が触っていた本棚の前に立つ。分厚い聖典を取り出して慎重に本を開けると、透明な袋に粉のようなものが入っていて、彼は確信を持って頷いた。


「麻薬の保管場所がわかったのは、収穫だったな」

「よかったね。今度は僕の目的のための協力も頼みますよ。探偵くん」


 怪盗としての絵画の回収も達成したいところだけど、健太はわざとらしく意地悪な目をしてきた。


「いや、盗みのための協力はするとは言っていない」

「ええー? そこは手を貸してくれないとフェアじゃないでしょう」

「泥棒は協力できない。だが、麻薬捜査をしていたら、いつの間にか教会から絵が消えていた、というシナリオなら許されるのでは、と思っている」

「いつの間にか消えていた、ねえ……」


 探偵という警察に協力している立場上、できないこともあるのだろう。

 

「仕方ない、探偵くんを信じてやってみるよ」

 

 私のその言葉に、健太は疑心暗鬼の目でじっと見てきた。

 

「なあに?」

「……いや、やっぱりやめよう。俺はお前を信用しない」

 

 私はむすっとした表情で言った。

 

「それじゃ僕に得がないじゃないか! あーもう! 探偵くんのケチ!」

「ケチではない! お前の目的がわからないから、信用できないだけだ」

「ええー……?」


 そんなやりとりをしていると、何かが足りないとふと思った。なんだろう。

 いつもの任務ではやっているのに、今回は抜けている。

 それは……。

 私は手がムズムズしてきて、指先を擦り合わせた。


「……あれがないと落ち着かないんだよな」


「あれ、とは」

「これのことだよ」


 私が手元に出したのはカードの予告状だった。その右下には、怪盗ヴェールのモチーフである赤い薔薇があしらわれている。

 

「怪盗の必需品だからね」

 

 私がカードを見せると、健太はちらりと見て納得したように頷いた。

 

「ああ……なるほど。これをどうするのか?」

 

 わかってるくせに。わざわざ言わせようとするのは、探偵の性分だろうか。

 

「君の仲間、呼んじゃう?」


 警察を動員するのは大がかりなことに違いないけれど、お茶に誘うくらいの気軽さで言った。

 健太は呆れたように息を吐く。


「国の大事な税金を、怪盗の遊びで使ってほしくないが」

「遊びじゃないよ。僕はいつだって真剣さ」

「……真剣に遊ぶのも、遊びと言うんだ」

「あらら。気が合わないね」


 困ったねぇ、と言いながら、私はへらりと笑った。

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