7月 高校生
最近、仕事帰りの電車の中で、運動部らしき高校生の姿がよく目につくようになった。大きな荷物を持ち、真っ黒に日焼けした彼ら彼女らの姿は、まさに青春という感じだ。
運よく空いた席に腰を下ろし、入り口付近のテニスラケットを背負った集団を眺めていると、自然と自分の高校時代が思い出された。
高校一年生のクリスマスイブ、初めてキスをした俺と理玖は、その後も人目を盗んではキスを交わし、手をつないだ。男同士ということに戸惑いがないわけではなかったが、当時の俺たちにとって、それはなぜかとても自然なことのように思われた。
それでも、付き合っていたのかと改めて問われれば、首を傾げざるを得ない。これまた不思議なことに、俺たち二人はお互いに、「好きだ」と口にしたことは一度もなかった。
きっと、なにもわかっていなかったのだ。恋と欲の違いも、またそのつながりも、体ばかり先に大人になった俺たちは全くわかっていなかった。
それでいて、自分がなにもわかっていないという事実だけを、俺たちは悲しいほどに直感的に、よくわかっていた。青く硬く、齧れば酸っぱさが舌先を跳ねる、透明でガラス質な日々。
だから好きとは言えなかった。キスより先にも進めなかった。それが恋と知りながら、何ひとつ踏み出せなかった。
あの時、あと一歩大人になれていたら、俺と理玖はどうなっていただろう――そういう疑問と共に、俺は未だに時々、高校三年生の夏休みのことを考える。
受験生だった。理玖の部屋で、当時はまだ、夏はこんなに凶暴ではなかったから、クーラーはつけていなかった。強でつけた扇風機が、部屋の隅でハエの羽音のような音を立てていた。
問題を教えようと近くに寄った俺の後頭部を、理玖が引き寄せた。触れた唇は熱く、綿菓子のように甘く、いつも通り身を預けていたら、肩をぐっと押された。
天井は見えなかった。理玖の白い頬と、黒い瞳だけが、あの時俺の世界の全てだった。
「まき」
たった二音。幾度となく鼓膜を震わせた音律。にも関わらず、それは俺の中心を熱くした。思わず漏れた吐息の隙間から柔い舌先が侵入してくる。理玖の右手が俺の左耳をくすぐる。理玖の左手が、俺の脇腹を冷やりとなぞる。
そのまま腰に手をかけられ、体が跳ねた。「んっ」と漏れ出た自分のものではないような喘ぎ声に、意識の奥底に沈められていた理性が突然姿を現した。
「いっ、嫌だ」
へそのあたりからこちらを見上げた理玖は、濡れた瞳に驚きと戸惑いをにじませていた。あとは少しの――あれはきっと、寂しさだっただろうか。
「できない。したくない」
なぜ、と問いかけられたような気がして、そんな乙女みたいなことを口走った。自分でする時とは全く違う感覚に、俺は怖気づいていた。
でもそれをきちんと伝えるには、あまりに言葉が足りなすぎた。傷ついたように、理玖の目が伏せられる。「ごめん」とつぶやいて、華奢な体躯が遠ざかる。
なにごともなかったかのように、理玖は勉強を再開した。俺も体を起こし、理玖の向かい側、自分の問題集の方へ戻ってシャープペンシルを動かした。
カサカサ、カサカサ。
ブーン、ブオーン。
……ゴトンゴトン、ゴトンゴトン。
「――飛び込みでのご乗車は大変危険ですので、おやめください」
はっと我に返って、俺は膝の上で抱いていた鞄を持ち、慌てて立ち上がった。高校生たちは、もういなかった。
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