7月 海

「真輝ー! 早くこっちまで来いって!」



 青い海原の先で、理玖が大きく手招きをした。海水で潰れた黒髪が、白い頬にぺったりと貼りついている。俺は浮き輪に腕を乗せたまま、水中で蹴るように足を動かした。



「遅い。遅いってば」



 イルカのようなしなやかな泳ぎで戻ってきた理玖は、浮き輪のロープを引っ張ってぐんぐんと勢いよく体を進めた。寄せては返す波に上手く乗り、顔を出したまま器用に泳ぐので、思わず「へえ、」と感心してしまう。



「真輝、サボるな。なんか重い」

「ごめん。理玖は上手に泳ぐなって、見惚れてた」



 腕を伸ばして頬を撫でる。「うるせえ、馬鹿」と照れ隠しの悪態をついて、理玖は浮き輪の牽引に戻っていく。



「だから、重いんだって。足動かせ、足」

「動かしてるよ」

「じゃあなんで、こんなに重いんだよ」

「さあ」



 しばしその場にとどまり、二人で顔を見合わせて沈黙する。浜辺の家族連れの喧騒は、もうずいぶんと遠い。上も下も青く染まった世界で、強い日光がジリジリと後頭部を焼いていく。



「海坊主」

「は?」

「俺が泳げなくなった理由。まあ元々、苦手なんだけどさ。小さい頃に絵本で知って、海にも妖怪が出るって思ったら、怖くて浮き輪なしじゃ入れなくなった」



 だって、水中から足でも掴まれて引き込まれたら、抵抗のしようがないだろ。



 俺が説明すると、理玖は頬を強張らせて、「なんで、」と小さくつぶやいた。



「なんで今、その話を俺にした?」

「だって、俺は足を動かしてるのに、理玖が重い重いってぼやくから」



 サッと青ざめた顔で、理玖は俺の上腕に飛びついてきた。「だって、本当に、」と泣き出しそうだった声が、笑いを堪える俺の口元に気づいてぴたりと止む。



「真輝、お前、やりやがったな……!」



 恥ずかしさと安堵を怒りで包んで、理玖は俺の肩のあたりをぺちぺちと何度も叩いてきた。その度に上がる細かい飛沫が、寄せては返す波の合間に俺の頬を濡らしていく。



「だってさ、寂しかったんだ」

「なにが」

「俺のことほったらかして、理玖だけ先にどんどん泳いでいっちゃうのが」



 ちょっと意外そうな顔で目を見開いた理玖は、やがてごめんと小さく謝った。その襟足に掌を添える。ぐっと引き寄せて、唇を重ねる。



 塩辛さが口角に染みた。癖になりそうな、夏の味だ。

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