4月 花見

 日曜は雨だという噂を聞いたから、上野公園に行くのは土曜日にした。改札を抜けると幅広の歩道はおびただしい数の花見客で埋め尽くされていて、花見よりも人見と言った方がふさわしいような光景である。



 真輝は人混みに目を凝らしながら「動物園はまた今度かな」と呟き、正面の流れから外れて左側へ向かう。その先には歩きながら桜を見ることができる花見用の通りが整備されていた。



「咲いてる、咲いてる」



 薄ピンクの花をふんだんに咲かせた木々を見て真輝はご機嫌だ。賑やかな雰囲気と満開の桜に俺の心もふわりと浮き足立つが、惜しくもあと一歩、テンションが上がりきらない。なんといっても、あいにくの曇り空である。



「晴れてたら最高だったんだけどな」



 つい不満をもらしてしまう俺を真輝は責めない。ぽんぽんと二度ほど俺の頭を撫でて、「イカ焼きでも食べる?」と言いながら花見用の通りとは反対の方を指差す。その先では少し開けた広場の左右の端に沿ってキッチンカーが所狭しと並び、その間を人がさざ波のように蠢いている。



 ケバブ、イカ焼き、ホタテのバター焼き、ビールにアイスにかき氷……。



 朝食を食べ損ねた腹が鳴る。イカ焼きの気分だったが、屋台に近づいて匂いをかいだらケバブが勝った。東南アジア系のお兄さんたちに直結する列に並ぶと、「券を買ってからそちらに並んでください」と別の列に案内された。



「今日の理玖は花より団子だね」



 妙に幸福そうな顔で真輝が言う。ラップケバブよりサンドの方がうまいんだ、としきりに言うので、俺もサンド方を注文した。八〇〇。ラップケバブの方は一一◯◯円。なぜ、と一人で首を傾げる。中身よりも生地の方が高いのかもしれない。



「うわ、うまいよ、これ」



 受け取ったケバブをさっそくかじって真輝が言う。真似をしてかじる。ソースが少ない。キャベツが多い。でも……――。


「本当だ」



 俺が笑うと、真輝の瞳に安堵の色がにじんだ。申し訳ない気持ちと途方もない愛しさが同時に襲ってきて、俺は思わず真輝の頬に触れていた。



「ん? ソースついてた?」

「……ああ」



 指についたソースを舐めるフリをしてから残りのケバブに口をつける。小さな半月形の食事で満たされたのは、間違いなく腹より心だ。俺に甘い真輝が好きだ。でも真輝の好意に甘える自分は、少し嫌いかもしれない。



 「来年は晴れた日に来たいねえ」



 穏やかに真輝が笑う。翌日の日曜が見事に晴れて家の近所で花見をやり直したのは、また別の話。

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