3月 特別な
理玖が突然温泉に入りたいと言い出して、この土日はとある県の山奥にある温泉旅館で過ごすことになった。ちょうど雪が降った後だったので、タクシーの窓から見える樹氷がとても美しかった。
「すご、」
理玖が眩しい笑顔で俺を振り返る。理玖といると、美しいものはより美しく、鮮明な記憶となって、俺の脳内に焼き付けられていく。俺は理玖にうなずき返して改めて道脇の木々を眺めた。こちらにしなだれかかるように伸びた枝葉に雪がびっしりと積もり、午後の日差しを反射して銀色の煌めきを放つ。都会ではなかなかお目にかかれない光景をしっかり目に焼きつける。
「着いたらー、風呂入ってー、バイキング行ってー、もう一回風呂入ってー、」
楽しそうに予定を呟く理玖に向かってタクシーの運転手がバイキングのおすすめメニューを語りだした。近くの牧場で採れた牛乳を使ったプリンがとにかくおいしいそうだ。しばらく話が弾み、やがて道がガタガタしてくると、車内に沈黙が訪れた。道の凸凹に沿って大きく揺れる車内で、理玖は飽きもせず窓の外を眺めていた。
十五時にチェックインを済ませて部屋に向かった。七階の和室には小さな縁側がついていて、雪化粧をした山肌が見渡せた。ここで酒でも飲んだらうまそうだな、と考えていたら、理玖が全く同じことを口に出した。
「露天行こうぜ」
さっさと荷物の整理を終わらせた理玖が洗面道具を持ってにんまりと笑う。俺も自分の荷物を準備して、二人で部屋を出る。ロビーを通り過ぎ、部屋とは反対側に位置する棟の三階に露天風呂へと続く扉があった。渡り廊下を渡ると左手に紺と赤の暖簾が掛かっていて、それぞれに男、女と書かれている。紺色の方を二人でくぐる。
「真輝はさ」
「ん?」
「俺以外の男の身体見て興奮する?」
館内用のスリッパを下駄箱に入れながら俺は思わず吹き出した。こいつは何を言っているんだ。
「するわけないよ」
「じゃあ女の身体は」
「知らないし興味ない」
「ふうん」
「なに、急に」
「別に」
理玖はさっさと脱衣所に向かい潔く服を脱ぎ始めた。あまりそちらを見ないようにしながら俺も自分の上着を脱ぐ――脱ぎながら、不思議なものだと考える。身体の構造なんて同じ男なら何ら変わりない。なのになぜ、彼のものだけ、こんなにも。
自分の耳がぱっと熱くなるのを感じて、慌てて思考を止めた。「寒すぎ」と呟いた理玖が逃げるように洗い場へ駆け込むのを気配で感じる。自分の唇から漏れ出た悩ましいため息を聞きながら、俺はたっぷり時間をかけて残りの服を脱いだ。
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