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「眞織! お待たせ! できたわ!」

 煌めきを全身に纏い、少女は転がり込んでくる。

 ステンドグラスを蹴り破って。……そのお転婆な振る舞いは、彼女が帯びる聖性を欠片も損なわず。

 むくりと起き上がって、そこで彼女は、目にした。

「なあんだ。……眞織ったら、変なことを言っていたと思ったら……死んでしまったのね?」

 射し込む午後の光を受けてきらきらと光る氷柱がいくつも突き刺さり、オルガンの上へ倒れ込むように事切れた眞織の姿を。破壊された大扉を抜けて吹き晒す寒風の中で、融けた氷と血が混じって滴り、病的に青白い亡骸の脚を伝いながら再び凍り付いていた。

「もう、がっかりだわ。つまらない」

 頬を膨らませたきり、マリアは、あれほど懐いていた眞織への興味を失った。

 楽しく遊ぶことのできない相手は、マリアにとって、等しく無価値なのである。

 小山のようなシャンデリアの下に、霜の巨人は虚ろに立っていた。ぐるりと首を回す。べきべきと音を立て、周囲の空気が渦を巻いては瞬く間に凝結していく。

「あなたも一緒に食べにくる? いいわよ! お茶会は、ひとりでも多い方が素敵だものね。『今夜 ケーキの上で待ち合わせ』」

 修道服の裾を翻して霜の巨人に駆け寄り、彼女は抱き着くように両腕を精一杯に広げ、一瞬の躊躇もなく全天術式を行使した。

 それは夢の魔術。世界の反転原理。全知による律の破壊と再構築。万物を操る程度の能力。

 一度揮う毎に歴史が書き換わる、楽園に遺されたはずの奇跡。

「あら?」

 しかし、時計の針は進み続けた。

 何も起きないことを不思議に思って、マリアは首を傾げる。ずるりと、肩の上で首が斜めに滑ったことにも気付かないまま。

 次の瞬間、玉のような肌にじわじわと線が浮かび上がり、氷の刃が内側から彼女を六つに裂いた。

 熟れすぎた葡萄のようにぱくりと弾けた小さな身体が、バランスを崩してぐちゃりと倒れる。存在自体に光が射しており、周りの目にはこの世のものではないかのように映っていたマリアだったが、滔々と零れ出る血液は当たり前のように赤黒く、礼拝堂の床を汚していった。

 既に、礼拝堂の中の冷たい空気には充満していた。霜の巨人の魔術によって、微細なダイヤモンドダストが。それらは、吸い込んだマリアの肉体が持つ海のように豊富な魔力を吸い上げて、ひとりでに炸裂した。

 この死地へ飛び込んできたその時点で、マリアの運命は確定した。聖域たる彼女の内側に浸入する不敬など、再臨派の異神にとっては関係のないことだったのだ。

 マリア・ネヴァンリンナは、魔術の歴史を変えるはずだった現世の天使は、誰にも看取られることなく、虫けらのように死んだ。

 かくして、復讐譚の序章は幕を下ろす。

 常に白き修道女学院の、大教室で。談話室で。森の湿地で。回廊で。礼拝堂で。

 憎みあったり睦みあったりしながら、輝かしい未来へ向かって人間らしく懸命に生きていた『駒草会』の少女たちは、物言わぬ冷たい肉片に成り果てた。

 彼女たちは力を持っていた。安穏とした伝統派魔術の世界では蝶よ花よと持て囃されるのに相応しい、輝ける灯火の力を。故に彼女たちは魔導騎士団の真似事をすることになり、学院を守るただひとつの特殊部隊であった。

 語られるべき物語は彼女たちにももっともっとあったのだろうが、再臨派魔術に殉じた人々の圧倒的な絶望と憎悪の前には、吹けば飛ぶほどのものでしかなかったという、ただそれだけの話。

 霜の巨人は、ゆらゆらと礼拝堂の外へ歩み出る。

 瘦せ細った昏い目の少女のように、それは見えた。裸足で、今や全身を薄く氷が覆っていた。その全身には、出力された異なる神に付随する術式が数限りなく装填されている。彼女――否、それの一部として、要塞も既に準備された。生贄に捧げられた優秀な魔術使いたちの魂が、氷雪の砲を制御する魔術的人工知能としてその中へ永遠に組み込まれた。

 異端を踏み躙ってきた伝統派魔術を根絶するための、再臨派魔導兵器。

 舞う粉雪の中で、それは、浴びる日中の光をきらきらと乱反射させていた。祝福のように。

 音もなく地に霜を走らせながら虚ろに歩を向ける先には、白く煙る寮がある。

 友愛・勤勉・貞節の戒律の下、時にはそばかすの少女を嘲笑ったり痛めつけたりもしながら、慎ましく生きてきた罪なき少女たちの家がある。

 そこから温度が消えた後にも、行くべき場所はいくらでもあった。魔術貴族の邸宅が並ぶエメラルドの都か。この世の全てを見下す象牙の塔『テーマパーク』か。

 霜の巨人は一度だけ瞬きをした。目の端で弾けた雫の欠片は、たちまち氷の鏃となった。

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霜のゆりかご 穏座 水際 @DXLXSXL

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