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「検証が終わりました」

 談話室に、琴美・キルペライネンが入ってくる。日頃は相互にさほど関心を持たない『駒草会』だが、今日ばかりは誰もがすぐさま彼女へ視線を向けた。

 時刻は十時を回ったところだ。依然として外の空気は冷え切っているものの、談話室の窓から白んだ日中の光が斜めに射し込んで空気中を漂う埃を映し出している光景は、放課後にしかここを訪れない少女たちにとっては見慣れないものだった。

「シスターの先生方とも見解が一致しました。サーリネン先輩が受けたのは魔術的攻撃で間違いなく――それも、再臨派魔術によるものだと断定できます」

 生徒、それも『駒草会』メンバーの死亡というかつてない緊急事態を受け、授業は悉く中止となり、生徒は全員、シスターたちが防備を固めた寮に籠もっている。対策のため拠点たる談話室に集まった『駒草会』を除いて。

「再臨派……?」

 光季・ヌルメンカリは、聞き慣れない単語に眉根を寄せた。魔術界にルーツを持たない彼女の知識は、入学後、修道院が保有する魔導書から学んだことが全てである。情報を念入りに抹消された異端のことなど、知る由もない。

「再臨派……って、何なのです?」

「派っつーからには……アレか、異端か」

 他の面々も、ほぼほぼ光季と変わらないようだった。

「その通り、異端魔術学派のひとつです。神学発生以前の神話的存在の力を行使するものだそうですが……『テーマパーク』によって議論の末に奇跡の代行としての正当性を否定され、その存在は公には語られなくなりました。戦前には既に影響力を完全に失い、解体状態にあったそうです」

 博覧強記たる琴美でさえ、伝聞調で語ることしかできない。異端とは、今を生きる乙女たちにとって、都市伝説にもなりはしない、「そういうもの」でしかなかった。

「そこの細部は後にしましょう。まず私たちが考えるべきことは、友子殺害の実行犯が何者なのかよ」

 長い黒髪に手櫛を入れて、耳の後ろへ流しながら。

 あくまで『駒草会』の筆頭として、眞織が凛然と口を開いた。

「侵入した異端の魔術使いなのか、たまたまその妙な魔術的性質を帯びた魔獣なのか……この学院の、生徒なのか。それによって対処が変わる」

「あ? 何も変わんねえだろ。何であれさくっとぶっ殺す、以上。じゃね?」

「……琴美。シスターたちの方針は?」

「寮で一般生徒の保護と捜査に専念したいそうです。我々には、学院敷地内の安全確認と……適性魔術存在を発見した場合、無力化を試みるように、とのことでした」

 魔獣が対象の場合、「無力化を試みる」とは駆除を視野に入れた対処を指していた。さほど信仰に篤い少女のいないため指示の通りに任務を遂行できてしまう『駒草会』と宗教者たちとのコミュニケーションの間には、そういう工夫があった。つまり、今回の状況におけるシスター側の意思も、推し量ることができていた。

「ええ~っ、姫こわい~……それってぇ、死ぬならまず姫たちからっていうことですよねぇ……?」

 姫乃・ホロパイネンの一言に、誰も、何も返せない。

 それは端的に事実であった。『駒草会』は単なる成績上位者のサロンではなく、有事の際にはその魔術能力を使って他の生徒たちを守るという名目で諸々の特権的な待遇を受けてきたのだ。これまで偶然にもその「有事」が起きなかったというだけの話。

 獣を狩るのとは訳が違う――既にひとり、昨日まで同じ部屋で過ごしていた学友が、命を落としているのだから。

「……つまり事実上、私たちに投げられたわけね」

「ああ……本当に、哀しいことだ。僕たちには、仲間を悼む暇さえ与えられないとは」

 知恵だけが、緊張しているのだかいないのだかわからない面持ちでいた。

 友子は、ただ優秀なだけでなく、実戦能力も高い方である。その彼女をあれほど無残に殺しきった相手に、これから立ち向かわなければならない。騎士と言っても名ばかりで、せいぜいが迷惑な動物の対処くらいを荒事として捉えてきた、お嬢様育ちの彼女たちが。

「ひとつ、確認なのだけど。……詩杏、貴女、この状況に対して、全天術式を使うつもりはないのね」

 詩杏・レッパルオトの全天術式『ふたつのピアスみたいに、永遠』。

 それは、非常にシンプルな効果を持っているようだった。「ようだった」というのも、彼女はこれを実際に使用したことが一度もないからだ――ただ、実験と考察の記録や術式の形に整えた手順をまとめた論文があまりに非の打ちどころのないものだったため、シスターたちは彼女の全天術式の執筆が完了したと見做さざるを得なかった。

 詩杏だけが記憶を保持した状態で、詩杏の誕生以降の任意のタイミングまで、時間を巻き戻すことができる。ただし代償として、詩杏は術式を使用した瞬間に再び到達するまで、および、それに加えてそこからの十年間、一切魔術を行使できなくなる。

「ねえけど」

 時間を巻き戻す――そのあまりにも暴力的かつ絶対的な大魔術で、友子・サーリネンの死をなかったことにするつもりはないと。

 彼女は、はっきり言い切った。

「そりゃアタシだって友子に対して死んでくれとまでは思ってなかったぜ。でも、アタシが十年っつーコストを払ってまであいつを助ける義理はねえ。人生で何回も使えるもんじゃねえからよ、書いたアタシには本当にいざって時まで取っておく権利があんだろ」

 その主張には説得力があり、誰が糾すこともできない。彼女が支払う代償は誰も肩代わりできず、かつ、道徳心と天秤にかけるには重すぎるのだから。

 だが、それはそれとして、きっぱりと断言した詩杏に対して、少女たちはどんな視線を向けるべきか考えあぐねていた。

「すご~い、ここでそう言えちゃうの男前すぎます~」

「……」

 何人かが詩杏を説得できないか期待の視線を送る中、倫は唇を噛み、爪の先を弄りながら俯いていた。

 そうして、時間だけがとろとろと流れる。数分間、千金にも値したのかもしれないその時間。だが、前例のない事態に対して、少女たちが決断を下すのに僅かな時間も浪費するなというのはあまりに酷だったことだろう。

「わかったわ。これは他人が強制できることではないから、一度、その可能性は忘れて動き出しましょう。……琴美、戦略はあるかしら」

「はい。では……全天術式『多重色彩下におけるアナムネーシス』」

 眼鏡を外してテーブルの上に置いた琴美は、そのまま目を閉じる。

「学院敷地内の鏡面を全てリンクさせました。各自、スプーンか何かを取っていってください。それらが端末になります。一度触れると、範囲内の任意の鏡面が反射可能な光景を覗けます。もう一度触れると、指定範囲のどこに鏡面があるか、地図上の点として示されます。この時、反射可能な光景の範囲で大きな魔力の揺らぎを検知した鏡面を表す点は振動しますので、状況判断に役立ててください。また、物体は不可能ですが、魔力だけであれば鏡面を通して転送することができます。適宜、援護や撹乱を」

 躊躇いは寸分もなく、一息に、琴美は自身の術式について説明した。周囲の少女たちはめいめい顔を見合わせる。

 琴美はこれまで一度も、開示する義務はないからと、自身の書き上げた全天術式について明かさなかったからだ。

 誰よりも冷静沈着な彼女が下したその判断は、この状況がいかに恐るべきものであるか、あまりにも明確に伝えていた。

「……ただ、この魔術の発動中、私はこの場を一歩たりとも動くことができません。何なら、今、既に。ですので……ヌルメンカリさん」

「は……はいっ」

「警護についていただけますか。他の皆さんが探索に出ている間、談話室の扉の前を固めてもらえれば結構ですので」

 全ての鏡面の「親機」として設定したテーブルの上の眼鏡に意識を集中させ、琴美は淡々と偵察を進める。学院敷地内の鏡、水面、ガラス、金属ひとつひとつに視線を飛ばし渡り歩いて目視で索敵しつつ、魔力の揺らぎに網を張り、異状を洗い出そうとしているのだ。

 魔術戦の支援に特化した琴美の全天術式は、他者を攻撃するものではないが、誰よりも戦争を前提としたものであった。

「おい、ちょっと待てよ」

 琴美の戦略的行動は理に適っており、ここでわざわざ口を挟む理由など何ひとつなかった。

「急に指揮官気取り出したかと思えば、てめえのことは後輩に守らせて、他のバカ共は命張れってことか?」

 それでも詩杏が口を開いたのは、納得できなかったからだ――学院の有事に際して行動する特殊部隊であるとはいえ、初めての実戦を迎える『駒草会』である。その指揮系統がなあなあで決定されることは、いずれ致命的な衝突を招きかねない。魔術軍人を親に持つ詩杏にとってそれは当然の考え方であり、実際、間違ってはいなかったのだが、詩杏はそれを表現するのがあまりにも下手だった。

「……あの。今そういう状況ではないことくらい、理解していただけませんか」

 そして、普段は言葉を戦わせることもないから顕在化しないだけで、詩杏と琴美の相性は最悪だった。感覚でコミュニケーションを取る詩杏のような人種を琴美は明確に見下していたし、それを隠そうともしていなかった。

「私より高性能な探知系の魔術を使える方がいるなら、喜んでお譲りしますが。……それに、リスクはお互い様です。常に魔力を土地全体に流しているようなものなので、逆探知も容易ですから」

「本来指揮を執るべきなのは私なのだから、琴美に投げた私に責任があるわ。……争っている場合じゃないのも確かよ。ここは譲って頂戴、詩杏」

 見かねた眞織が割って入る。定位置であるソファの上で、彼女は集中が切れて眠くなってきた様子のマリアに肩を貸していた。

「……チッ。へいへい、学年首席はお偉いこって……じゃあ行こうぜ、倫。下っ端の役目はバケモン探しだとよ」

「あれだけ器の小ささをさらけ出しておきながら平気でそういう感じになれる詩杏せんぱい、もう普通に尊敬なのです」

「お前マジぶっ飛ばすぞ」

 いつも通りの無表情でちくちくと詩杏を煽りながら、人数分のティースプーンを出してきて配る倫。

 それが彼女なりの愛嬌だった。倫が貶めてみせることで詩杏は集団に繋ぎ留められていたのだったし、辛辣なようでいて倫は洒落で済む時にしか詩杏を批判しなかった。

「光季。琴美が言った通り、あなたにはこの談話室の防衛を任せるわ。他は二人一組で、敷地内の様子を見て回りましょう。私とマリア、詩杏と倫……知恵と姫乃。何か見つけても絶対に自分たちだけでは手を出さないで、琴美の術式を使って連携を取り合いましょう。ペアの片方はスプーンから目を離さないようにして、陽が暮れる前には一度ここに集合ね」

「はいっ! 不肖この私、蟻の子一匹通さない覚悟で臨みます!」

 光季は拳を固めてみせる。『駒草会』入りを打診された日、彼女は将来のことよりも何よりも、魔導騎士という称号自体に目を煌めかせていた。

「んぅ……なぁに、眞織? わたし、眠たくなってしまったわ。もしかして遊びに行くお話を聞きそびれてしまったかしら?」

「いいえ、マリア」

 その面持ちは、様々だったが。

 修道服を纏う若き魔術使いの少女たちが、突如として学び舎を襲った冷たい影に立ち向かうべく、そこに揃っていた。

「また遊びに行けるように、頑張りましょう」

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