3

「問いましょう。魔術とは貴女たちの手で起こされる奇跡ではなく、では何か」

「魔術とは、主の御名の下に貸し与えられた奇跡の代行である」

 唱和する。飾り気のない厚手の修道服に身を包んだ少女たちが。

 それはいつから続いているのかも定かでない慣習だった。実技を伴う魔術教習の前には決まって、己に言い聞かせるかのようなその文言を復唱させられた。

「ふぁ……」

 姫乃は小さく欠伸をして、古い長机に頬杖をつく。

 雪はひとまず降り止んだようで、窓からは色を持たずに煌めく陽光が射し込んでいる。

 押し隠すように開かれた魔導書の下には、自ら引き裂いた数枚の紙きれがあった。

 光季の助けを借りて、なんとか仕上げたレポートだった。

 シスターが教室を見渡している。マリア・ネヴァンリンナが、まるでこの世に苦しいことなど何ひとつとして無いかのような癪に障る声で返事をして、踊るように進み出る。

 白く小さな手がぱんと一度打ち鳴らされるだけで、空の鉢はみしみし音を立てた。虚空から土くれが降り注ぎ、宙に浮かんだ七色の如雨露から水が滾々と注がれ、薫るような緑色が芽吹き始めた。ただ花を咲かせるだけで満点の実演で、マリアは遥か先を行く。

 教卓に置かれた鉢植えの中は、ひとつの楽園になっていた。そこはまるで箱庭のように、小さな木々は森を成し、小さな花々は丘を成し、小さな小鳥が舞い飛んで、どこからともなく虹が架かっていた。

 魔導書を片付けて、姫乃は、自らの鉢を机の中央へ引き寄せる。どちらかと言えば、枯らす方が得意だった。というか、そういう類の魔術であれば、姫乃は教室の誰にも負けないと自負していた。もしかしたらマリアよりも、と。

「姫乃さん! 我々は手早く済ませて、周りの皆さんの相談に乗ってあげましょう! 『駒草会』ですから!」

 光季の鉢の中の土には、つくしのように見えなくもない鉛筆が一本突き立っていた。

「……あれぇ~? ミッキーちゃんでも失敗しちゃうこと、あるんだねぇ……かわいい~」

「失敗? 何がです?」

 きょとんとした顔で髪を耳に掻き上げる光季。

 朝顔の蔓が音もなく伸びて、鉛筆に巻きついていった。

「……なんでもな~い」

 一度カチューシャを外し、前髪をぴったりと上げ直す。ここで恥をかくわけにはいかなかった。

 光季は、姫乃を笑うことはないだろう。ただ内心で、研鑽への自信という鉄の城塁をより強固にするだけだ。

「それにしても、困ったものですね! 彼女、杖の補助があってあの様子では……試験の際はどうするのでしょう?」

 音を殺して鼻で長く息をしながら、細心の注意を払って姫乃が咲かせた花の、褪せた朱色を。光季は見てもいなかった。

 誇るべき出自を持たない彼女にとって、実技の授業は優越を確認するための貴重な時間なのだ。そんな光季の卑しさを姫乃は見下していて、それはきっと同族嫌悪に近かった。

「あぁ~、そばかすちゃんかぁ」

 くしゃくしゃの髪とそばかすが目立つ、幸の薄そうな少女がいた。彼女の名前を、修道女学院の誰も、よく覚えてはいなかった。

 小さな泥の染みがついたままの修道服の裾を引きずるように歩き、がさがさした手の甲で目元を擦っていた。杖を持たなければまともに魔術を使えなかった。

 今も、洟をすすりながら何度も杖を振っているが、鉢の底には砂がぱらぱらと降りかかるだけだ。大きく小さくそれぞれに花を咲かせ終えた少女たちは、忍び笑いを漏らしていた。

「ミッキーちゃん、手伝ってあげたらぁ? 可哀想だよぉ~」

「そうですね! ……ただ、それが本当に彼女のためになるのでしょうか」

 む、と。

 珍しく、光季は手を加えていない太めの眉を歪めてみせた。

「魔力を認められこの学院へ入ってきているのですから、それをきちんと使えないのは単なる努力と自己管理が不足しているからに過ぎないはず! 座学の理解が追い付かない方には手助けできることもあるでしょうが、実技の相談に乗ろうとするのは怠慢を肯定することになり、『駒草会』として正しい姿だと言えるのか甚だ疑問です!」

 姫乃は思わず吹き出しそうになった。

 口にしている間に頭に血が上ったのか、光季はポニーテールを揺らして、そばかすの少女の席へずんずん歩いていく。 

「大丈夫! やればできます! だって、私にできたのですから!」

「まあ、とっても素敵な言葉ね! わたしも一緒に応援したいわ!」

 秀才と天才の視線を左右から受けながら蒼い顔をして杖を握るそばかすの少女は、何を思っているのだろう。

 そこに座って小さくなっているのが自分でないことを、姫乃は心の底から安堵した。

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