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「そういえば最近、魔獣被害の話を聞きませんわね」

 三年生、席次二位。友子・サーリネン。

「藍色熊を総出で狩ったのは去年か? あれで三年分働いたぜ」

 三年生、席次三位。詩杏・レッパルオト。

「昨年十一月です。以降の報告は一件。私たち二年で処理しました」

 二年生、席次一位。琴美・キルペライネン。

「詩杏せんぱいは視野が狭いから、一緒に仕事したくないのです」

 二年生、席次二位。倫・トゥルネン。

「なべて世はこともなし、さ。はは、平穏に勝る価値などないよ」

 二年生、席次三位。知恵・アコンニエミ。

「私も早く実戦を経験したいです! 魔導騎士たるもの!」

 一年生、席次二位。光季・ヌルメンカリ。

「尊敬しちゃいますぅ……姫、動物さんと戦ったりなんかできな~い」

 一年生、席次三位。姫乃・ホロパイネン。

 少女たちは、談話室にいた。

 放課後をそこで過ごすことが、彼女たちの義務であった。三年間そうすることで、卒業と同時に魔導騎士の叙任を受けることができた。一流の魔術使いたる証として望む場所でそれを生業にすることができたし、伝統派魔術学会『テーマパーク』で学究の道を歩むにしても下にも置かれない。ましてや嫁の貰い手に困ることなど決してなかった。いずれにしても、日々の数時間をその空間でただ無為に費やすだけで、彼女たちは華やかなりし将来を約束されるのだった。

 それが少女たちの模範となる特別神秘勉強会、通称『駒草会』の特権であった。

「お待たせ」

 三年生、席次一位。眞織・ユリアンティラ。

「ねえ眞織、今日は何をして遊ぶのかしら? とっても楽しみだわ!」

 一年生、席次一位。マリア・ネヴァンリンナ。

 彼女たちこそ、今年度の『駒草会』。秘密のサロンへ足を踏み入れることを許された、各学年を代表する優等生である。

「ごきげんよう、眞織さん。……余計なお世話ですけれど、今日も一段とお顔色が優れませんわね。きちんと睡眠をとっておいでですの?」

「……こういう顔なのよ。放っておいて頂戴」

 ソファに腰掛けて脚を組み、立ち上がりかけた友子を手の平で制した眞織は、自ら紅茶のポットを引き寄せる。

 ぞっとするほど白い肌に、年中しっとりと肌に貼りつく細く長い黒髪。体調が優れないように見えるというのは、否定のしようがないことだった。

 ただ、その言葉の裏をさらに念入りに深く読むなら――「いつも汗水垂らしてのお勉強、ご苦労様」という蔑みのひと雫を、感じ取れないわけでもない。ネヴァンリンナは伝統派魔術の名門一家ではあるものの、それはあくまで『テーマパーク』的価値基準においてである。上質な魔術貴族の家系の血のみを入れ、偉大な賢者を家庭教師として雇い、当人の努力や研鑽などを伴わずとも優秀な魔術使いを作り上げることに誇りを持っているのが、サーリネンを始めとした魔術貴族なのだった。

「マリア。こちらへいらっしゃい」

 眞織は、大テーブルにとてとてと近寄っていったマリアに向かって小さく手招きをした。

「おーおー……んじゃ、アタシらはカードでもやるか。お姫様に悪い遊びを教えると怒られちまうみてえだからよ」

「なんでみんなで遊びたいって素直に言えないのですか、詩杏せんぱいのおばか」

 慎ましさを象徴するような修道服の長いスカートの裾を大胆にたくし上げ、引き締まった太腿までも晒しながらがばりと脚を広げている詩杏の非難がましい耳障りな声に呼応するように、小柄な倫がわざとらしい溜息をついて立ち上がった。

 新興の民間魔導軍事会社のCEOに女手ひとつで育てられた詩杏は、粗暴で無遠慮な性格故に一年生の頃などは問題ばかり起こしていたため、原則的には各学年の成績上位三名ずつとされている『駒草会』入りの条件を満たしてしまったばかりに教員室のシスターたちは喧々たる議論を強いられたものだった。

 しかしながら実際には、まるで対極に見える後輩であるところの、魔術茶道の家元家に生まれた文化系魔術使いでありこれまた無遠慮でマイペースな倫が、感情的な詩杏の唯一のストッパー役として機能し、それなりに上手く回っているというのだから、思春期の少女たちの人間関係とは大人にはさぞ度し難いことだろう。

「ね、ね、ミッキーちゃん……姫ね、明日の生命魔術のレポート、終わってなくってね……?」

「え? 今やればいいと思いますが……うん、完全下校時刻まで二時間もあります! 頑張りましょう!」

「あっ、ううん、そうじゃなくてぇ、ミッキーちゃんのを見せてもらったりぃ……」

「もちろん、詰まってしまったら私も助言できますが! 自分で手を動かして調べた方が確実に力がつきますからね!」

「……チッ。んだよ……クソが」

 光季・ヌルメンカリは、この修道女学院においては珍しい出自の少女だった。両親共、魔術使いでない一般人なのだ。

 魔術とは無縁のごく普通の家庭に育ち、都会の中学校で陸上競技に打ち込んでいた彼女は、大会であまりに非現実的な記録を連発したことから魔術界に連絡が行って検査を受けることになり、自らの細胞が微かに魔力を帯びていることを知らされた。それは大した才能というわけでもなかったのに、神秘の存在に全く触れてこなかったところから僅か数年間で『駒草会』にまで上り詰めたのは、ひとえに彼女の常軌を逸した努力の賜物である。

 そんな彼女と同期であるという、ただそれだけの理由で、姫乃の努力はなんとなく霞んでしまう。それなりの魔術貴族の家の次女でしかない姫乃がそれなり以上の成績を収めているのは、相応の努力あってのことに違いないのだが、彼女はそれを人に見せるのを嫌っていつも不真面目そうな雰囲気を作り、媚びるように周囲を見つめていた。

「実に素晴らしいことだと思わないかい、琴美。可憐な乙女たちが睦み合うこの学舎は、そう……この雪深い森の中にあって……彩を……まるで……ふむ……琴美、我らが本の王たるきみならどう表現するだろうか」

「……話しかけないでください、本に集中したいので」

 短く切った髪に長身痩躯、中性的な麗しさを湛える知恵は、言わずもがな男子禁制の学院において、匂い立つような憧れの視線を一身に集めていた。それらが帯びている湿度の高低など、恐らく彼女自身にはよくわかっていないだろう。『テーマパーク』の学閥のいくつかを束ねる大賢者である祖父からそのものまさしく「知恵」という名を与えられていながら、魔術学者ではなく詩人になると言い張って憚らない、詩人というより奇人そのものであった彼女だが、その人間観察力は文学を志すには粗末に過ぎるものであった。

 こつこつ書き溜めた投稿論文によって卒業後の『テーマパーク』入りを内定させた同期の琴美が、もし自らが知恵の立場でさえあればどれほど研究の幅が広がるかと鉄の無表情の下に仄暗い羨望を隠していることなど、彼女は想像したこともないのだろうから。

 ぼさぼさの髪を二つ結びにし、大きな丸眼鏡をかけた琴美は、魔術貴族出身として裏の世界では有名な、表の世界の舞台女優の一人娘だった。笑顔のひとつも見せることなく、概ねいつも魔導書のページを捲っている彼女なので、そんな噂が真実であると出会ってすぐに見抜ける者は決して多くない。

「マリア。お茶のお代わりが欲しいのかしら」

「……!」

 ぱあっと顔を輝かせる、マリア・ネヴァンリンナ。

 彼女のことは、誰も何も知らなかった。

「ええ、すごいわ眞織! わたし、何も言っていないのに、どうして気付いてくれたのかしら?」

 絢爛なりし『駒草会』。

「まるで、お伽話の魔法使いさんみたい!」

「……貴女ほどではないけれど」

 そう高らかに呼ばれる少女たちの、素顔のままの日常は、音もなく降り積もる雪だけが見つめていた。

「私たち全員、一応ね」

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