第3話

 とても狭い部屋だった。

 シングルベッドが一つ、それでほとんどだ。

 横の僅かなスペースに、僕はしばし立ち尽くす。

「あの……昨日はご馳走さま」

 気のきいた言葉が見つからない。

「外、暑かったでしょ。そろそろ涼しくなっていいのにね」

 そんな事を話しながら、ミユちゃんは慣れた手付きで僕のベルトを外す。石鹸の香りがした。

 ジーンズを脱がされ、Tシャツも脱がされ、彼女の指がパンツに掛かった時、慌てて言った。

「あ、それはいい。自分で脱ぐから」

 ミユちゃんは後を向くとベビードールを脱いだ。ブラジャーはしていない。

 白い背中が、薄暗い部屋に鮮やかに浮かび上がる。

 そして、彼女もパンツを脱いだ。

 昨日、一目惚れしたコが、今、眼の前で全裸になった。

 敗北感にも似た感情に、僕は戸惑う。

 僕に背中を向けたまま、彼女は奥に進んだ。そこにシャワー室があった。

 その狭さに、僕らは身体を密着させて立つ。ぬるいお湯が身体を濡らした。

「ごめんネ。ガッカリしたでしょ?」

「え?」

「私、オッパイ小さいから……」

 確かに小振りだが、ツンと上を向いた形の良い胸だ。

「そんなコト無い。とてもキレイだ」

 ミユちゃんは、ようやくリラックスした笑顔を見せてくれた。

「ありがと。さてはオヌシ、貧乳好きだな」

 僕も笑った。

「バレた?」

 ボディソープが身体中に塗られる。

「スゴい筋肉、こんなの初めて見た。さすが東洋チャンピオン」

 東洋チャンピオンとは、例の格闘技団体にいた頃の僕の役回りだ。退団前の最後の興行で、僕は韓国チャンピオンと東洋タイトルを懸けて闘い、ダウンの応酬の末、辛くも判定勝ちを収めた。

 と言っても、前にも書いた通りシナリオ有りのショーで、真剣勝負ではない。

 退団した今となってはあまり触れたくない事なのだが、ケンは僕を誰かに紹介する時、必ずこの話を持ち出した。毎回自腹で観に来てくれたし、今更この話はするなとも言えず、いつも中途半端に笑うしかなかった。

 スゴい筋肉とは言われたが、僕のジュニアは緊張から萎縮したままだ。ミユちゃんは、そこも洗ってくれたが、ピクリとも反応しない。

 もう一度、僕の大胸筋に手を当てた。

「この身体で何人の女を泣かしたのかしら」

「泣かしてないよ」

「冗談よ。この仕事も長いとね、その人が女を泣かす男かどうかくらいわかるの……」

 ミユちゃんは身体の泡を流し始めた。

「……女を泣かすタイプじゃない。どちらかと言うと泣かされるタイプ、かな」

 彼女はシャワーを止めると、バスタオルで僕の身体を拭いた。

 拭きながら、僕の唇に唇を重ねる。

 彼女の柔らかい舌が口の中に入ってきた時、急にスイッチが入ってしまい、僕は荒々しく彼女の舌を求めた。


 唇を離すと、ミユちゃんは言った。

「ベッドに行って、うつ伏せに寝て」

 言われた通りにすると、エアコンの冷たい風が背中を通り過ぎる。

 少し寒いな、と思っていると、ミユちゃんの暖かい身体が被さってきた。

 彼女の舌が背中じゅうをはい回る。僕はその時、男の性感帯も全身にある事を初めて知った。

 舌がアナルに入ってきた時、「ぁぁん……」と女の様な声が出てしまい、自分で驚いた。

 あお向けになる様に言われ、僕は素直に従う。既に全身で大きく息をするほどメロメロになっていた。

 ジュニアも、さっきとは別人だ。

 もう一度唇が重なると、首から胸、胸から腹へと舌は下がっていく。

 そしてジュニアに辿り着き、焦らす様に、だけど丹念に袋を刺激する。

 意識が朦朧としてきた頃、とうとうジュニアは暖かい口の中に含まれた。

 僕を咥えて上目遣いで見上げるミユちゃんの視線と合った時、物理的な刺激というより、精神的な興奮で僕は一気に高まった。

「あっ……ヤバッ」

 訴えると、ミユちゃんは口を離し、クスッと小さく笑う。

 一旦、僕から身体を離し、どこからかゴムを取り出す。それを彼女は、口を使って器用に僕に取り付けた。

「下でいい?」

 意味が分からないまま、僕はうなずく。

 ミユちゃんは僕を跨ぐと、ゆっくりと腰を落とした。「下でいい?」とは、騎乗位でいいか、という意味だったようだ。

「こんな……硬くて大きい……私のほうがヤバいかも」

 苦し気に訴える。

 何度か腰を上下した。

「ああ……どうしよう……奥に当たっちゃう」

 ミユちゃんの呼吸が荒くなっていく。腰の動きが小刻みに速くなった。

「もうムリ……ああん、ガマンできない」

 抑えていたものを振り払うように、ミユちゃんは腰を大きくグラインドする。

 そして、僕の身体の上に伏した。

「……ィ……クッ……」

 彼女の中が僕を飲み込もうとする様に痙攣を繰り返し、僕も達した。

 大きな呼吸を繰り返しながら、ミユちゃんは独り言を呟いた。

「またやっちゃった……今日はラストまでなのに……身体もたない……」


 サイフから五千円札を取り出すと彼女は言った。

「ケン君から聞いてたんだ……でも今日は、私が勝手にやったから……」

 受け取ってくれなかった。

 部屋を出る時、ミユちゃんは僕の首に手を回してキスをする。

「次はモンテカルロバレエ団だね」

 彼女が言ったので、僕は「うん」とだけ答えた。


 細い階段を降りていると、二階の受付に客が一人来ていた。一杯飲んで来たのだろう、耳の先端まで赤くなっているバーコード頭の中年男だった。

「このコで頼むよ」

 男が指差しているのは、例の巨乳のコだった。一番目立つ場所に貼ってあったのに、さっきはなぜ気付かなかったのだろう?

「申し訳ございません。こちらのコは90分待ちとなります」

 リーゼントが丁寧に説明する。

「90分かぁ、ちょっと勘弁だな」

「こちらのミユさんでしたら、すぐにご案内できますが」

「小ちぇオッパイのコだな……まあ、美人さんだし、このコでいいや」

 僕はリーゼントと客の横を通り過ぎた。

 後でリーゼントの声がした。

「ありがとうございましたぁ。またのお越しを……」


 店を出て、僕は電信柱の後にしゃがみこむ。

 そして、吐いた。

「オエッー!」

 朝からロクに食べていないので、胃液しか出ない。

 すぐに胃液も無くなり、吐く物が無くなっても、僕の胃袋は痙攣を続けた。

「オーエッ、オーエッ」

 吐く物が無いのに胃が痙攣する。これ程の苦しみはなかなか無い。

 僕の顔は、涙と鼻水とゆだれでグシャグシャになった。

 カップルが、汚い物を見る様な眼で僕を見て、急ぎ足で歩き去る。

――お前らみたいな幸せな人間に、僕の気持ちがわかるもんか!

 心の中で、そう悪態を付いた。

 だが、知らない人が見たら、僕はただの酔っぱらいだろう。

 口に残った胃酸の味を噛みしめながら、店の入っているビルを見上げた。

 あの三階で今、ミユちゃんは僕にやってくれたような事を、あのバーコード頭にやっている。

 そう思うと、僕の胃はまた痙攣を始めた。

 耐え難い苦しみの連続……。

 ようやく痙攣が収まると、僕は逃げる様に家に帰った。

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