龍の来るネイルサロン

@matsuri269

龍の来るネイルサロン

 渋谷駅から徒歩一五分ほどのところにある、小さなネイルサロン、At your service。開店前の午前九時五〇分、店の前を掃除していたバイトのキョウカは、長さ一メートルほどの白い龍が落ちているのを見つけました。

 その白い龍は、全身がとうめいな鱗に覆われており、朝の光をきらきらと反射していました。瞳は深い青色で、胴体には小さな足が四本ついています。

 キョウカは、とりあえず店長に報告したほうがいいかなと思いました。マニュアルには龍が落ちていた時の対応は書いてありませんでしたが、勝手な判断で追い払うのもよくないかなと。

 ともかく、店の目の前に龍がいると、これ以上掃除ができません。

 キョウカはほうきでその龍を沿道に寄せようとしました。

 そのとき。

「あの、ここでネイルの施術は可能でしょうか」

 と声がしました。キョウカが目を上げても、それらしいひとはいません。ではどこから声がしたのでしょうか。

「お代なら払いますので」

 キョウカの足元にちくちくとした感触があります。下を見ると、さっきの龍がキョウカの足元にすり寄ってきていました。さっきの声は、この龍が発したものだったのです。龍が喋れることを知らなかったキョウカは驚きましたが、しかし、これで今後どうするべきかは決まりました。

「開店まで今しばらくお待ち下さい」

 開店時間は一〇時です。一〇分前だから、エントランスで待っていてもらうのがよいでしょう。幸いなことに、今日は飛び込みの枠が空いています。

 

 キョウカが扉を開けると龍はするすると浮いてついてきました。エントランスには龍用のスペースはありませんが、人間用のソファに座っていてくれるようでした。

 

「店長、龍が来ました」

 キョウカが店長に報告すると、店長はウォーターサーバーの水を飲み干してから言いました。

「龍? まあたしかに、ここのウェブサイトには人間専門とは書いてなかったから、龍が来るってことも、あるかもしれないね」

 でも、と、店長は続ける。

「龍の爪って小さいから、塗ってどうするんだろうね」

 

 一〇時になりました。施術のカウンセリングは応対したキョウカがやることになりました。

「お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 ヒアリングシートに記入する名前を尋ねると、白い龍はぴよぴよとした音を出しました。どうやらこれが名前のようです。キョウカは龍のことばを学習しているわけではないので、よくわかりませんでした。なのでとりあえずお客様と呼べばいいかという結論を出しました。

「本日はどのようなスタイルで」

「えっと、今度親族の結婚式があるんですけど、ほら、見ての通りわたしって地味じゃないですか」

「そうですかね……」

 ほのかにパールがかかった白い鱗を持つその龍は、キョウカには地味には思えなかっえませんでした。人間で言うならば、常にうっすら偏光パールのネイルを塗っているような状態なので。

 龍はキョウカを気にせず続けて言います。

「なので、この鱗ぜんぶにネイルを塗ってほしいんですけど」

「鱗にネイルを!?」

 てっきり足の爪の方だと思っていたので、キョウカは驚いてしまいました。たしかに、龍の鱗は人間の爪に似ています。だからネイルポリッシュを塗ってもいい。そうかもしれませんね。

「しかしお客様、鱗の方は何枚ありますか……?」

 少なくとも一〇枚よりは多いはずです。

 龍は身体をくねくねさせながら答えました。

「お恥ずかしながら、五一〇枚ですね……」

 ごひゃくじゅうまい。キョウカは繰り返すしかありませんでした。人間の手指の爪五一人分です。

 だけど、とキョウカは思い直します。

 五一人分ということは、五一人分の料金を請求できるのではないか?

 ということは、けっこう、いいお客さんなのではないか?

 そこまで思い至ったところで、

「はい、承ります!」

 と元気よく答えていました。

 

 ジェルネイルは龍にどんな影響があるのかわからないのと、硬化するためのライトが人間用の小さなものしかないので、今回はポリッシュでの施術となることとなりました。そこまで決まれば、あとは何を塗るかです。

「ところで、今回のテーマとかって決まってるんですか?」

 キョウカが龍に尋ねると、

「ネイルにそんなに詳しくないので、とりあえずおめでたい感じにしたいんですが」

「おめでたい感じ……赤と金とかがいいですかね?」

「あ、赤と金は花嫁の色なのでだめなんですよね」

 龍の世界の結婚式の常識を知らなかったキョウカはなるほど……と答えます。

「じゃあ、他の人……龍のみなさんって何色が多いんですか?」

 そう聞くと、龍はまたしてもぴよぴよとした音を発していました。どうやら人間の言葉には存在しない色のようです。

「それなら、赤と金は外して、こっちでいい感じにしちゃってもいいですかね?」

「お願いします!」

 龍は顔を上げて微笑みます。いや、龍の表情は人間にはわからないから、キョウカがそう思った、というだけなのですが。

 

 さて、人間の施術スペースではちょっと龍には小さいです。なので、パーテーションを取り外して、テーブルに横になってもらうことにしました。一二時までは予約のお客さんが来ないので、あと二時間でどうにかすることになります。店長も、キョウカも、先輩のユリも、総出で行うこととしました。

 なんせ鱗は五一〇枚あるのです。

 デザインはユリが考えることになりました。赤と金以外で、おめでたい感じ。人間の常識ではわからないところがあるので、龍に確認しながら進めていくこととします。

 まずはすべての鱗にベースコートを塗ります。速乾のものです。最初のほうが乾いたら、その次に頭から尻尾にかけて薄いベージュからシルバーにグラデーションするように単色で塗っていきます。

 龍いわく、シルバーは縁起のいい色だということです。

 それから、すべての鱗というわけにはいかないのですが、一列おきにレースのような模様と、キラキラとしたガラスストーンを置いていきます。これで、遠くから見ても輝いているし、近くに寄っても龍の面々から称賛の声が上げられることでしょう。

 最後に、トップコートを塗って完成です。

 

 施術後、全身を鏡で見た龍は、しばし目をぱちくりさせたあと、

「こんなにきれいになれるんですね!」

 とはしゃいでいました。施術を終えた三人もは、疲労もありながらもお客さんがよろこんでくれたのでよかったなと互いを称え合っていました。

「お客様、お会計は」

 とキョウカが言うと、龍はどこからか丸くてとうめいな一〇センチほどの珠を取り出して、

「こちらでお願いします」

 と朗らかに言い、店の窓から飛び出していってしまいました。青空にきらめく龍の姿を見て、

「これ、いくらになるんですかね……」

 と店長がこぼしました。

 後日、この珠を骨董店に持っていったら、五一人分どころではない値段がつき――店長は結局その球を売らないことにするのですが、それはまた、別のおはなし。

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