第44話 玲奈視点・悪魔
土煙が視界を遮る。薄らと黒い影。
とても大きい。背丈は優に二メートルは超えているだろう。
人間の背丈ほどある巨大な戦斧を軽々と片手で持つ。
牛の頭を持つ魔物がいる。この魔物がミノタウロスなのだろう。
兵士たちが口々に叫んでいる。
悪いことにその数は十二体もいる。
みんな慄いているのが分かる。それほどミノタウロスは強い魔物なのだろう。
「く。みんな、僕に続けっ」
テオドールはそう叫ぶと、手前のミノタウロスに向かって突っ込む。
「は、はいっ」
アーダが補助魔法を唱え、クルトはミノタウロスの側面を狙う。
激しい戦いが始まった。テオドールの果敢な攻撃に味方の士気は回復。
騎士達も強敵に立ち向かう。
魔法攻撃が再開される。
残り少ない魔術師も渾身の力を使う。
戦力は味方がやや優勢。だけど、黒い魔物はともかくミノタウロスが強すぎる。
ミノタウロスに立ち向かう兵隊さんたちは、まるで木の葉の様になぎ倒されていく。
「よ、ようし」
アタシはレギーナさんを見やる。
「ええ」頷くレギーナさん。
ギードさんも伴い、怪我人の元へ駆けていく。
アタシに負けじと医療班の人たちも続く。
おっかない。恐ろしい。悲鳴と怒声と鳴き声が入り交じる戦場へ
アタシも負傷兵の人たちを必死に治癒魔法で治していく。
回復魔法の術士さんたちも夢中になって負傷兵を治す。
テオドールがミノタウロスの首を刎ねる。
クルトもギードさんとレギーナさんと組んで、ミノタウロスを一体づつ確実に仕留めて、敵を追い詰めていく。
仲間の騎士さんたちも、必死に魔物の群れを押さえ込む。
少しずつ、少しずつ敵の数が減り、味方が有利になり始めた。
どうにか、勝てる。
みんなに希望が生まれる。
――だけど……。
みんなの希望をあざ笑うかのように、再び黒いシミが、虚空から生まれ出た。
悪魔。
以前視たヤツとは違う。
姿は違ってもイヤラシい邪悪で軽薄な笑みは同じだ。
あんなヤツがもう一体いたのね。
黒い波動が戦場を覆う。
破壊の魔法が味方を襲う。
その後の事はよく覚えていない。
今さっきまで喋っていた人が動かなくなる。
「待ってて」アタシは夢中でその人に駆け寄り、治癒魔法をかける。
それでも倒れていく騎士たち。
回復魔法が追いつかない。
せっかく治したのに。せっかく元気になったのに。
あざ笑うように、踊るように兵隊さんたちを斬り殺す悪魔。
アタシの目の前で、ギードさんが倒された。
恐らく、死んでしまった……。
頭の中が真っ白になる。
お願い、お願い、目を覚まして!
夢中になって回復魔法をかけていたと思うのだけれど、「その方には無駄です」と誰かが言うのを聞いたような気がする。
誰かが「もう駄目だ」と叫び。
誰かがアタシの手を引く。「逃げて」と叫ぶ。
「レイナよ、君だけでも逃げてくれ!」テオドールに似たヒトが叫ぶ
「みんなは、テオドールはどうするのよ!」アタシも叫ぶ
「僕たちはここで食い止める」
女騎士の護衛。逃げる途中で騎士が倒れる。ミノタウロスが行く手を遮る。
テオドールに似た誰かが、アタシを庇って倒れた。
誰だろう。頭がボンヤリする。
理性が追いつかない。理解が追いつかない。
「あ、ああ」
アタシの心が悲鳴を上げる。なんて無力なんだろう。
アタシたちの目の前に、悪魔がイヤラシい嗤い顔を浮かべて、ユックリと近づいて来た。
と、その時。
「カー」雄叫びを上げて、悪魔に突撃する小さな影が見えた。
「君は……」
カン助ちゃん?
コツンとクチバシで頭を突かれた。
「痛っ」
ナニかが割れた音がした。アタシの頭にナニかが乗っていた?
すると、視界が広がったような気がする。
今まで見えなかったものが見えるようになった。
いつの間にかロンちゃんもいる。
傷だらけだ。アタシを庇ってくれたのだろう。
「ゴメン、ゴメンね」
涙がポロポロ溢れて来る。
ロンちゃんがペンダントを咥えて、アタシに差し出す。
何処かに、誰かに繋がっているのだろうか。
「優兄、怖い怖いよ」
声の主は……。カン助ちゃんから、一番聞きたかった声が聞こえる。
『玲奈。無事なのか』
「うん。アタシは今のところは無事だよ。だけど……。兵士のみんなが……」
みんなアタシを守るために戦ってくれている。
そして、今もアタシを逃がすために戦ってくれている。
自分たちが大けがを負ったとしても……。
「アタシを守るため、倒れていくの『聖女様を守るんだ』ってさ。
アタシにはそんな特別な力なんて無いよ、一人助けても直ぐに別の誰かが傷つき倒れていくんだ」
アタシは一息に言い切った。優兄に自分の無力さを、愚痴を聞いてもらいたくて
「力が、力が追いつかないの。みんな死んじゃうよ」
アタシは一息にまくし立てる。
誰かに聞いて貰わなければ頭がどうにかなりそうなんだ。
『勝てないなら逃げちまおうぜ?』
「え、ええ?」
優兄は何を言っているのだろう。
頭の中にクエスチョンマークが何個も浮かぶ。
『出来るかどうかもわかんないのに、聖女だ何だと言って、お前を祭り上げた連中が悪い。
ド素人が戦場に突っ立っているんだぞ。普通は何も出来ないだろうよ』
「だ、だけど……」
優兄が言っていることは、正論である。
アタシは、聖女だとか何だとか煽てられ、持ち上げられてしまった。
でも実際の所は、城の中に閉じ込められて、豪華な部屋に住む囚人である。
つまり、拉致されたのだ。
アタシを掠った犯罪者たちを助ける義理は何も無い。
そして同時に暴論でもある。
都合の良い駒がアタシであったのだとしても、この国が困っていることに変わりは無い。
アタシが居ることで生まれる希望もあるのだと、複雑な気持ちだけど理解してしまったんだ。
城の人たちは、気に食わないヒトもいるけれど、助けてくれた人も勿論いるのだ。
その人たちを何とかしたいと思うのは、ただのお人好しの愚か者なのだろうか。
『俺はな。大切な誰かと見ず知らずの誰かの命が同等だなんて、思っちゃ居ない。
そこまで人間は出来ていないからな。
そいつらの命より、玲奈の命ほ方がずっと上なんだからな』
「アタシは逃げても良い? だけど……」
誤魔化すのはよせ。本当は逃げようと考えていたのよ。
『まあ、選択肢の一つとして、「逃げるのは有り」だと、考えておけよ。
生きるか死ぬかの選択を、急に選べなんて言われたら、頭の中が真っ白になっちまうからな』
優兄は、言い含めるようにユックリと言う。
「……うん。もし、駄目だったら……」
『その時は、カン助の後をついて行けよ。アイツの目は凄いから、きっと逃げ道を見つけ出してくれるさ』
「うん。そう、だね。駄目ならそうするよ。
でも、優兄はどうするの?」
アタシは意地悪な質問をしてみた。
『悪いな。ちょっと今、手が離せないんだ。
なに、こんなクソッタレなんてさっさと倒して迎えに行くからな』
優兄は少し困ったような口調で言った。
本当は……
「優兄も、助けたい人が居るんだね」
『まあな』
「アタシもね」大きく深呼吸――「もうちょっとだけ頑張ってみるよ」
優兄も本当は、誰かの為に戦っているのだ。
自己中で身勝手なヤツの為に戦うのは御免蒙る。
けれど、助けてくれた人がいて、その人が困っているのならば手伝ってあげたいのは本心からだ。
アタシもそう願う。
「よおし」
両手で思いっきり自分のほっぺたを叩く。 バチンと大きな音。
活が入る。
黒い悪魔を睨みすえる。
状況は甚だ悪い。
アタシを庇って負傷してしまったクルトとアーダ、そしてテオドール。
生きているのか分からないギードさんとレギーナさん。
もう動かなくなった名も知らない騎士さんたち。
彼らが命懸けで生み出したチャンス。
今なら逃げられる。
アタシ独りだけ。
今なら神殿へ行けるだろう。
――だけど
「アタシは行かない。ここで何とかする。してみせる」
光の筋が見える。それが周囲をキラキラと輝く宝石のような輝き。
「クー」ロンちゃんがアタシの頭上をくるりと回る。
その動きに続いていくように光りが集まる。
光が瞬く。
「アタシの中にある聖女のチカラよ。みんなが崇めるようなご大層なチカラなら、今ここで使わないでどうするのよっ」
アタシの胸元に光りが集まり、溢れる。
悪魔は間抜け面をしてアタシを見詰める。
余裕があるのか、身動き一つしない。
いいや、出来ない。させやしない。
「ホラ、嗤って見せろよ。さっきみたいにさっ」
黄金の魔力がアタシと悪魔を包み込む。
悪魔は粉々に砕ける。
「やった、の」
身体からチカラが素通りするのが分かる。
あ、調整を失敗した。
多分死ぬことはない、と思う。だけど強烈な眠気が襲ってきた。
アタシはその場に倒れ込む。
「ククッ」
誰かの笑い声。この場には似つかわしくない下卑た笑い声。
「誰?」
重い首をやっと動かして、声の主を見やる。
アタシを見下ろすのは――。
テオドールだ。
「ククッ。どうにか間に合ったよ」
雰囲気が違う。優しげな目元が、底意地の悪そうな三白眼に見える。
まるで別人。テオドールではないの?
ユックリと「テオドール」の手がアタシに伸びる。
「テオドールじゃない。アンタは誰」
動けない。力を使い過ぎたみたい……。意識が、ぼやける。
「優兄……」
そして、完全に意識は真っ暗になった。
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