第31話 悪魔現る

俺の背後から、殺意と悪意を感じ取る。

だが、振り向こうにも金縛り状態に陥ってしった。 

身体の自由が奪われ、身動きが取れない。


「カー」カン助の雄叫び。

 カン助が、得体の知れないモノにぶつかる。

 そのお陰で金縛りが解けたようだ。


「すまん、カン助」

 俺は上体を反らして、体勢を整えようとする。

 だが、見えないナニカは諦めないようで、ねちっこい視線を感じる。

 得体の知れないナニカは、俺の直ぐ側をすり抜ける。

 不格好な透明人間。

 ハッキリとは見えないのだが、確実に存在するナニカ。

 そいつは器用に俺の背後を取ったのだ。


 見えない『手』が、俺の首元を狙う。

 ――そして、バチッと、ナニカを弾いた感触が伝わってきた。

 そこはラフィーナがくれた護符の張られた場所だ。

 護符が見えない『手』を弾いてくれたのだ。


『ぐおっ』見えないナニカの声。

 俺は、声のする方へ左腕を伸ばし、見えない『腕』を握りしめる。


 恐ろしく冷たい。いや、熱い。

「ぐ」

 激痛が襲う。

 まるでドライアイスを素手で掴んだような感じだ。、

 触った皮膚がめくれ上がり、骨がむき出しになったようだ。


 俺は魂だけで、身体は無いはずなのに……。

 子供の頃、転んで骨折したのだが、その時とは比較にならない痛みだ。

 激痛は更に酷くなる。

 まるで左腕をえぐり取られたように感じてしまうほどに。


 だが、コイツを倒さないと俺は殺されてしまう。

 激痛よりも恐怖が上回った。

「ええい!」

 強引に左腕でソイツを引き剥がす。

 指先の感覚は無い。だが、無闇矢鱈と腕を動かすと、どうにか見えないソイツを引き剥がすことに成功した。

 無傷の右拳で殴り飛ばした。


 ナニカがすっ飛んでいったのは判った。

「う」右手で、左腕をさする。

 あやふやな感覚が気持ち悪い。

 ……左腕はあると思いたい。


 だが助かった。

 俺はナニカが飛んでいった先を見据える。


「ちいっ」と、見えない『ナニカ』が舌打ち。

『小僧。意外とやるな』ナニカと目が合ったような気がする。


 少しだけ冷静さを取り戻した俺は、カン助の力を借りる。

 何か得体の知れないナニカを見つけた。

 おぞましいナニカ。そいつは動きが鈍いような気がする。

 俺の鉄拳が効いたのかも知れない。


 倒すなら今だ。

 俺は左腕の治療よりも攻撃を優先する。

 身体の残ったマナを斬馬刀に集中させる。

「くたばれっ」

 俺は残った右腕で斬馬刀を投げつけた。もちろん、渾身の威力で!


『ぐ』ナニカが、俺の斬馬刀に反応する。

 どす黒い液体が滲み出ると、真っ黒な塊と化してナニカを守る。


 斬馬刀と、真っ黒な塊がぶつかる。

 周囲を巻き込む強烈な光。

 閃光の中で、ナニカが避けたような気がした。

「くっ仕留め損ねた?」

 それとも弾かれてしまったのだろうか。

 追撃しようにも、俺に力は残されていない。

 斬馬刀を構えようと試みるが、杖の代わりにしかならないのだ。



 何も無い空間が歪む。

 空間が大きく揺らぐ。

 虚空に皸が走る。

 

 皸が走った空間、そこが再び揺らぐ。

 皸から黒いシミが滲み出る。

 それはヒトの姿形になる。


『本当にねえ。

 ……ククッ忌々しいくらいに戦えるのか。

 流石は勇者と言うべきでしょうかねえ』

 黒ずくめの男が現れた。

 見るからに仕立ての良いタキシード。

 短くそろえた黒髪と特徴的な仮面。

 黒い男は、ニイッと嗤って見せた。


 男から感じる忌避感と嫌悪感。

 俺は、ソイツを見ているだけで吐き出しそうな感じがする。

 胃があったら吐いていたかもしれない。

「おい、コイツは……」

 俺は振り返り、仲間たちを見る。

 誰もが満身創痍。立っているのがやっとみたいだ。

 ――いや違う。このヒトに似たナニカを見て動きだせないのだ。


「……悪魔だ」ぼそりと呟くクラウス。

「え」俺はまじまじとクラウスの顔を見る。

 目の前の男に向ける真剣な眼差しは、嘘だと言っていない。

「僕も初めて見る。だから確証は無い。

 だが、僕の本能が悪魔だと警告しているんだよ」


 悪魔が実在する。

 荒唐無稽な気がするが、異世界なら居ても不思議ではないのか。

 目の前の黒い男を見ていると、本物だと信じてしまう。


(やはり、仕留め損ねたのは拙かったか)

 俺は強敵の出現に身構える。動く右腕に力を蓄える。

 早くマナの回収を……。

 ここで、どうにかしないと拙いと。

 悪魔が俺たちを侮っている間に、どうにかしなければ!



『ククッ。お初にお目に掛かるよ勇者クン』

 会釈。仕草は丁寧なのだが、仮面の下から覗かせる下卑た笑顔。

「なんだ、喋れるじゃないか。

 アンタ初めからそう言えば、お茶くらい出してやったのにな」と、俺は嫌みタップリに男に答えた。


『ククッ。こう見えて私は照れ屋なのでね』

 黒い男は、肩をすくめて見せた。

 戯けて見せているつもりだろうが、悪ふざけにしか見えない。


「……貴方は」まだ青白い顔をしているラフィーナ。

 少しふらつきながらも、悪魔を睨め付ける。

『やあラフィーナ』

「何故わたしの名前を知っているの」

 ラフィーナの声のトーンが一段落ちる。

『さあ、どうしてだろうね』黒い男は、再び肩をすくめて見せた。

「まさか。その声は……」

 ラフィーナの眼が見開く。何かに気づき、心が折れた顔。


『おお。キミから流れ出す絶望のオーラ。

 美味。実に美味だ!

 力が漲るよ!』

 黒い男は、おぞましいほどの歓喜の笑みを浮かべる。

「――お父様なの……」

 ラフィーナの顔から表情がそぎ落とされて、怯えの色が滲み出る。

 それから、腰砕けとなり、蹌踉めき、地べたに座り込んでしまった。


「しっかりしろラフィーナっ、ソイツの話を真に受けるんじゃない!。

 ヒトの心をのぞき込み、相手の弱み突いてくるのは、悪魔の常套手段だぞ!」

 とクラウス。ラフィーナへの叱咤と同時に放たれた攻撃魔法。

 渾身の魔力が込められた岩石を、黒い男目がけて叩きつける。

 が、またしても弾かれる。見えない強力な膜――恐らく上位の結界が、黒ずくめの男を守ったのだ。


『君たち、下等生物の攻撃なぞ無意味……』

「そうかもな!」

 俺は斬馬刀を投げようと構えると、

『おお怖い怖い』

 黒い男は、素早く俺との間合いを広げた。

 戯けているように「見せている」が、先ほどの攻撃を警戒しているに違いない。

『せっかちは良くないよねえ』


 男には、何らかのダメージは与えられたのだろう。

 仮面のために表情は読めない。

 だが、俺を睨みすえる瞳。

 俺のことを、ただの「獲物」から『敵』へと意識を変えたのではないだろうか。


『仕方ないねえ』

 黒い男は、そう言いながら、己の分身を生み出していく。

「ぐ」

 どれが本物か見分けがつかない。どれもがどす黒いオーラを纏っている。

(まさか、全部本物とか言うなよな)

 つかみ所の無い男なら、やるかもしれない。


 俺が攻撃を躊躇っていると、

『まあ、本命は楽しみに取っておくとしようか。では……』黒い男は、東を見やる。

『あちらも良い塩梅にこなれてきたみたいですね。

 今日のメインディッシュは、あちらにするとしましょうか』


「まさか。ビアンカたちか」とハンスも弾かれたように東を向く。

「させるか」俺は、斬馬刀を投げつけた。黒い男の一人を貫く。だがそれは本体ではなかったようだ。

 斬馬刀で貫かれた影が、揺らぎかき消されると、他の影は一人の男の元に集まり、

『ククッ。ではご機嫌よう』巫山戯た声だけを残してかき消えた。

その場に残された俺たちは、男の居た場所を見詰める。



「何故。悪魔が」

 ぼそりと呟くラフィーナ。

 疑問と不安に押しつぶされそうな顔をしている。


「判らない。何故」

 クラウスも顔色が悪い。

 自慢の魔法は全く役に立たなかったからだ。


 俺も左腕を見詰める。周囲のマナを取り込むことによって、少しずつは動かせるようになった。

「ユウト様、気づかずに済みません」

 謝るラフィーナ。彼女の顔色は悪い。言っては悪いが死人のようだ。


「いや、いいよ」

 俺よりもラフィーナの方が重傷みたいに思えてしまう。

 ラフィーナは何かを知っているのか。

 あの悪魔に心当たりがあるのだろうか。


 彼女がかけてくれる回復魔法が心地よい。痛みが溶けたように消え失せていくのが判る。

ラフィーナと視線が合う。

「済みません」再び謝るラフィーナ。

 彼女は気まずそうに目を伏せた。


(ラフィーナは何かを知っているのか。心当たりでもあるのだろうか……)

 彼女は、確かに何かを知っているだろう。

 彼女が「関わった不手際」が原因なのだろうか。

 そのことを気にしているのかもしれない。 


 ――もしくは、単純に理解出来ない。想定外の出来事が判らないのかもしれない。

 混乱、困惑、知らないことへの恐怖心。

 入り交じった感情は、普段の気丈な彼女からは想像出来ない。

 まるで叱られた幼子のようにも見える。


「アイツと戦えるのかい?」

 俺の問いかけに、ラフィーナは目を伏せた。

 指先は、小刻みに震えている。

 恐怖を追い払うように、大きく深呼吸。

 肺の中を空っぽにして、呼吸を整えると、ゆっくりと目を開く。

 「はい」と答えた。

 その瞳は力強く、決意を感じさせる。


「……そうか」俺は頷く。

 ラフィーナは『味方』だろう。何となく信用出来ると感じてしまう。

(相手が美少女だからか?)

 内心苦笑してしまう。

 だが、ラフィーナが『敵』ならば、悪魔やミノタウロスとかの魔物を使ってまでして俺を殺そうとする必要はない。

 そんな回りくどいことをしなくても、ラフィーナならば、簡単に俺を殺せるのだ。

 さっさと首元の護符を引き剥がして、何処かに監禁して干上がらせればいいだけなのだから。


 ――ただ何らかの利用価値が、俺にあることに違いはないだろう。

 それは想像出来ないけれど……。

(まあ、美少女のウソに乗ってやろうか)

 恐らく、どぎつい嘘ではないだろう。

 相手を騙して上前をはねる。そんな性根の腐った人間ではない。

 そんなヤツならば、命を賭けてまで誰かのために戦うなんて、気高い決意はしないだろうから。

 

 ――ならば今、俺たちに出来ることからやってみよう。


「どうする。みんな行けるのか」俺は東を見ながら問いかける。

 既にヨハネスたちは、悪魔と激闘を繰り広げているかもしれない。

 あの強敵を相手にして、どれだけ立ち向かえるのだろうか。

 だが、ヨハネス率いるパーティーに、俺たちが加われば、悪魔を討ち取れるチャンスがやって来るかもしれない。


 俺の問いかけに対してハンスは肩をすくめて見せると、

「愚問だな」と答えた。

 他の仲間たちも頷く。

 クラウスとカミラも同意見のようだ。


 最後にラフィーナを見やる。

「勿論です」と、彼女は言い切ると笑って見せた。

 多分強がっているのだろうが、下を向いているよりは遙かに良い。


「みんな、強いな」

 やはり、勇者や聖女を目指しただけのことはある。

 腹が据わり方が違うのだ。

「ユウトはどうなんだ?」とハンスは茶化すように訊いてきた。

「愚問だな」

 俺はそう答えると、ニヤリと笑って見せたのだった。


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