イモコの弁当を邪魔するな

北見崇史

イモコの弁当を邪魔するな

 赤尾中学校に転向してから一週間が経った。

 少しずつクラスに慣れてきているけど、まだまだぎこちない日々だ。受験を控えているので授業に集中したいのだけど、すごく気になることがあるんだ。

 俺の席は窓側の後ろから二番目。後ろの席が女子なんだけど、そいつがすごくおかしい。顔とかはふつうなんだけど、ある時になると人間離れした様子になるんだ。

 それは、給食の時間だ。

 後ろの女子は、みんながイモコって呼んでいるんだけど、そいつがやたらとガッついて喰うんだ。一か月エサを与えていない野良犬みたいに、バキバキ、ガシガシ、ムシャムシャって汚らしいクチャ音をまき散らすんだ。

 しかも、猛烈に臭う。

 生臭いんだ。魚とは違う、なんだかよくわからないけど、とにかく生っぽい感じだ。

 そもそも、イモコは給食を食ってはいない。あいつだけ弁当持参で、いっつも音楽の教科書を立てて、そこに隠れながらムシャムシャやっている。なにを喰っているのか誰にも知られたくないオーラを出しているんだ。

「あのイモコってのが喰っている弁当って、なに?」

 少し話しをするようになったグループで、俺はおもいきって訊いてみたんだ。

「気にすんなよ」

「イモコは放っておけ」

「そうそう、あいつの弁当だけは見るなよ」

 みんなは、あえて気にしないようにしていた。

「あのニオイはひどくないか。臭すぎて給食が食べられないんだ」

「だから、しょうがないんだって」

「その話はもうするなよな。ぜったいにするなよ」

「あいつには、なにがあっても手を出すな」

 イモコの話題に近づいてはダメみたいな雰囲気だ。これ以上訊くと、みんなからハブられてしまいそうなので黙るしかなかった。

 それにしても、毎日毎日すごい勢いで喰うんだ。教科書を立てて壁にしているんだけど、汁とかが飛んできたらイヤだなと思った。喰いかたが汚いと、弁当の中身まで不潔に思えてしまう。残飯でも入っていそうだ。

「俺の背中に飛ばすなよ」と言ってやりたいが、イモコの方に振り返る気力がない。なんとなく近づきがたいんだ。

 今日の喰いっぷりは、とくにすごい。

 ガツガツと、箸を弁当箱にでも突き刺す勢いはいつも通りだけど、ちゅるちゅると啜る音が下品すぎて泣けてくる。たまたま給食のメニューがラーメンなんだけど、後ろからの汚らしい雑音で食べる気がしなくなった。生ぬるくなったナルトや脂肉がゲボに思えてしまう。ウッと吐き気までこみ上げてしまった。結局、ラーメンは残してコッペパンだけ食べた。

 先生に何度も席替えをしてくれるように言ったんだけど、俺は相変わらずイモコの前にいる。三年三組は、生徒数がけっこう多くて席に余裕がない。せめてお昼休みの時ぐらいは離れたいけど、前にも横にも移動できない。少しもズレることができないんだ。

「おい、イモコ」

 放課後、イモコに声をかけた。俺と彼女は教室の掃除当番をやっている。

「おまえ、いっつも何喰ってんだよ。給食あるのに、なんで弁当持ってきてんだ。バカなのか」

 かなり頭にきていたので、強めに問い詰めてみた。触るなと言われていたけど、勢いが先に出てしまったんだ。

 イモコは俺を無視して、せっせと箒を動かしていた。腹立つほどの知らん顔だ。 

「おい、なんとか言えよ。なんであんなに生臭いんだ。おまえの弁当の中身に刺身でも入ってんじゃないのか」

 少しバカにしたように言ってみたけど、やはり無反応だった。

「しかも、腐ってるやつ」

 これは効いただろう。本当はゾンビの肉と言ってやりたかったが、あんまりキツイのもどうかと思って、ちょっと引き気味になったんだ。

 イモコの箒が止まった。たぶん反抗してくるなと待っていたけど、そのままだ。じっとしている。

 ひょっとして泣いているのか。転校してきたばかりなのにやらかしてしまったのかと、ちょっとばかり後悔し始めた時だった。

 突如、俺に顔を向けたんだ。

「うっ」

 目玉がまん丸になっているけど、顔は無表情で口だけくちゃくちゃと動かしていた。なにかを喰っているようだが、かなり大きな感じでなかなか飲み込まない。いやらしい音をたてながら、いつまでも噛み続けていた。

 口の端から薄い朱色の汁が滴っていた。見開いた目玉が俺をガン見しているけど、あくまでも無言で噛み続けている。

「は~」と静かに息を吹きかけてきた。

「うっわ、くせえ」

 クソ臭かった。ウンコのニオイがしたんだ。それと生っぽいような鉄っぽさも混ざっていた。こいつの口臭なのか、喰っているもののニオイか知らないけど、吐きそうになった。

「佐々木、おま、なにやってんだっ。なにやってんだっ」

 最近話すようになったクラスメイトが俺に向かって怒鳴っている。弱っちいやつなんだけど、めちゃくちゃ怒っていた。

「やだ、マジなの、なんてことしてんのっ」

「ウソーーーー、ウソでしょー」

 続いたのは女子たちの金切り声だ。どこにいたのか次々とやってきて、十人くらいが教室の入り口付近で固まっている。

「いや、俺はイモコが何を喰っているのか訊いただけだ。何の弁当かって、ただそれだけだよ」

 みんなの表情がおかしかった。

 血の気がないし、固まっているし、最悪の運命でも悟ったようにこっちを見ているんだ。  

 バタバタと足音がする。誰かが廊下を走って近づいてくる。そいつがドアのところに止まって大声で言った。

「おい、ヤバいぞ。大木先生が職員室でぶっ倒れた。尻から血が出てたって。椅子が血だらけだって」

「ええー」とか、「終わったー」とか、みんなが言っていた。救急車のサイレンが近づいてくる。

 ハッとしてイモコの方を見た。

「うっ」

 ビックリして声が詰まり、息をするのも忘れていた。

 イモコの顔がすぐ目の前にあった。三十センチくらいの距離しかない。まん丸に見開いた目玉でぐっと見つめられている。相変わらず表情はないんだけど、それでいて口は忙しくクチャクチャしていた。

 ウンコ臭さが、より強烈になったような気がする。なんだかトイレに行きたくなった。

「なっ」

 イモコが口を大きく開けた。中身を舌で押し出しているようで。なにかがせり出してきた。

 それは俺の知っているモノだ。じっさいに見たことはないが、いや、自分のモノを何度か鏡に写したことがある。誰だってやっているはずだと思うけど、けっして大きな声では言えない。

「肛門だー」

 イモコの口の中にあるのは、どう見ても肛門だった。舌で奥から押されているので、そのたびに、モヘ~モヘ~と縦縞のすり鉢がせり出したり引っ込んだりしていた。ウンコが出てきたらイヤだなあと思っていたら、それはなかった。ただし、ニオイは強烈なんだ。

 さんざん肛門を見せつけてから、イモコの口が閉じた。そして、すました顔で食べ始めたんだ。あれがどのくらいの硬さか知らないけど、けっこう弾力があるのか、ザクザクと嚙み切る音がした。

「うわあ」

 とてもじゃないけど、その場にいられなかった。俺は掃除当番をなげ出して逃げ帰ってしまった。


 次の日の朝、教室に入るとクラスの空気がピンと張っていた。みんなが緊張しているようで、背筋が伸びている。イモコに変わりはない。いつも通りの能面で席についていた。

 担任は来なかった。かわりに副担任の田川先生が教壇に立った。

「大木先生は入院のためしばらくお休みします」

 誰からも質問はなかった。みんなは時間が止まったようにじっとしている。

「先生」

 俺は手をあげた。

「なんで入院したんですか」

 昨日、担任が救急車で運ばれたことを知っていたが、どういう病気なのかすごく気になってしまったんだ。訊かずにはいられない。

「重度の痔だ」

 一瞬で全身の血が引いて鳥肌だらけになった。イモコが昨日喰っていたモノを思い出して、俺の中でザワザワが止まらない。

 後ろの方から馬みたいな鼻息が聞こえてくる。振り向きたい衝動に駆られるが、それは止めておいた方がいいと本能が止めるんだ。できるだけ気にしないようにした。

 お昼休みとなった。ふつうの給食時間なんだけど、いつもと違うことがある。

 後ろが静かなんだ。

 あの、ガツガツ、クチャクチャと喰いまくる下品な音がない。イモコのやつ、今日はどうしたんだ。弁当を忘れてきたのか。

 確かめてみたくなった。この目で見ないと気がすまない。それはよせと心の声が言うが、かまうものか。

 振り返った。

 やっぱり、イモコは食事をしていない。キチンとした姿勢のまま前を見ている。俺はその目線と合わせたくなくて、少し下を向いた。

 弁当箱があった。

 銀色に輝く金属製の四角い箱だ。ただし、すごくデカい。何人前なんだよ。

「ジャジャジャ、」

 突然、イモコが叫んだ。目玉をまん丸にして、デッカイ弁当箱の蓋に手をかけた。誰かが悲鳴をあげたが、俺の目は銀色の箱に釘づけだ。ほかを見る余裕なんてない 

「ジャーン」

 ふたが開けられた。

 中身を見た途端、ただちに「オエッ」となった。

 なんとなくそうではないかと思っていたが、やっぱり生肉だった。しかも、どうやら内臓らしく、カットしていないそのまんまの形の肉があった。よほど新鮮なのか、しっとりと濡れた表面がツヤツヤしていた。

「お豆の香り~、お豆のかおり~、おまめのかほり~、オシッコ臭っ」イモコが言った。

 腎臓だとわかった。巨大な肉の豆が二つあって、イモコはそれらを左右の手にのせてヘンな歌を口ずさんでいた。豆からは細長い管が垂れ下がっていて、血混じりの朱色っぽい汁が滴り落ちている。たしかにオシッコ臭かった。

「フンガッ、んぐ、フンガッ、んぐ、フンガッ、んぐ」

 鼻を馬のように鳴らしながら、イモコがすごい勢いで喰い始めた。右の肉豆にかぶりついたと思ったら、すぐに左の肉豆を喰いちぎった。まるでそれらが親の仇であるように、奥歯に力を込めての激しい咀嚼なんだ。

「ギャアアアー」

 耳の奥のやわからい膜が破けそうなほどの、けたたましい悲鳴だった。

 俺の右のそのまた右の席にいる福原という男が喚いていた。なぜか机の上に立って、少し前かがみになった。

「しょんべん、しょんべんが」

 いきなり、ズボンを脱ぎ始めたんだ。ガチャガチャとベルトを外してから急いでおろして、さらにパンツまでとってしまった。

 女子たちがキャーキャー言って騒ぎ始めると思った。だけど、女子はおろか男子の誰一人として声を出さない。

「出る出る出る出る」

 そいつのアレからオシッコが出てきた。番茶みたいな濃い色で、ジョボジョボジョボジョボと、背中を丸めてオッサンみたいな立ちションをしているんだ。

 香ばしいんだけど、めたくそ尿臭くて吐きそうになった。高いところから小便しているから、バチバチとしぶきが飛んで、それがまたひどいニオイなんだ。

 福原の小便に勢いがなくなった。最後は、つぼみのような先っちょから点、点、点、点って真っ赤っな汁がしたたった。

 ガツガツ、ムシャムシャと、イモコがうるさい。両手に持った肉豆を、口の中へすべて放り込んだ。リスのように頬っぺたをふくらませて喰っているんだ。口の端から汁があふれ出てきて、タラコみたいに大きい唇を濡らしていた。

「ごっくん」とノドが鳴った。口の中のぐちゃぐちゃを一気にのみ込んだんだ。その瞬間、クラスの何人かが「ひぃー」って言った。

「レバー、レバー」俺に話しているのではなくて、ひとり言だった。

 次にイモコが手に持ったのは、赤黒い内臓だった。レバーと言っているので肝臓なのだとわかった。

 すぐには、かぶりつかなかった。レバーのプニプニな感触が気持ち良いのか、手のひらにおいて十分に揉みほぐしてから喰った。

「ううっ、うー、くっ」

 横の席の女子が苦しみだした。腹を押さえて呻いていた。顔色がおかしい。濃い黄色になっている。目玉も黄土色で、かゆい、かゆいと言っていた。

「もうやめろ、いいかげんにしろ。おまえが喰うから誰かが苦しむんだ」

 クラスの連中が苦しんでいるのは、ぜったいにイモコの弁当のせいだ。

 だが、俺が注意してもイモコは知らん顔だった。

「バカヤロー、イモコにかまうな。オレたちはイモコをイジメたんだ。クラスのみんなでイジメた。先生もおもしろがってイジメた」

 斜め右の席にいる佐藤が大声で言っている。俺がイモコを責めたことに、すごく怒っていた。

「だから、だから、イモコは弁当を喰うんだ。オレたちのやったことに、イモコなりのケリをつけてるんだ。それを見ちゃいけない。放っておかないと、うわーっ」

 言い終わらないうちに佐藤が床に崩れ落ちた。胸を押さえてエビのように丸くなって、カッと目を見開いている。死んではいないようだが、もうすぐ死にそうだ。

 イモコを見た。手に持っているのは血でびっしょりと濡れた心臓だ。ドクンドクンと鼓動を繰り返していて、とても生々しかった。

「ちゅー」と吸い始めたんだ。

 心臓のぶっ太い管に口をつけて、まるでタピオカジュースを飲んでいるかのようだ。深く吸い込んでいるために、イモコの頬が老人のようにこけていた。

 死んだようになっていた佐藤がバタバタと暴れている。めちゃくちゃ苦しくて痙攣しているように見えた。

「このクソ女がっ」

 すべての元凶はイモコなんだ。この女が弁当を喰うたびにクラス中が苦しんでいる。だから、やめさせるために掴みかかった。首元を両手で締め上げてから、何度も何度も殴った。

 しかし俺に殴られている最中でも、イモコの弁当は止まらない。リンゴを食べ進めているように、心臓が削り取られていくんだ。ソフトボールくらいあったのに、もう芯の部分しか残っていない。俺の息が切れたタイミングで、最後のひとかけらを口に放り込んだ。

「まだ喰うのか」

 さらに、イモコの手が弁当箱の中をまさぐっている。顔はもうボコボコに腫れているのに、鬼のような食欲だ。誰かが俺の名を叫んだような気がした。

「うわっ」

 弁当箱から掴みだした肉の塊を見て、俺はのけ反った。イモコの胸倉から手を離して自分の机によりかかり、そのままズルズルと後退った。

「ちんちん」と言い放ったんだ。

 イモコが握っているのは男のアノ部分だ。竿と玉があって毛も生えていた。先っぽは福原よりも皮がかぶっていて、すごくいびつな形をしていた。

 それを俺はよく知っている。自分のと、まったく同じだからだ。

「ぎゅーっ」と言って、イモコが握った。同時に俺の股間が猛烈に痛くなった。息ができないくらいの苦しさで、死んだほうがマシなレベルだ。

「や、やめてくれ」

 イモコにお願いしたんだ。あんまりの激痛に声がかすれているけど、「たのむ、たのむ」と目線で訴えた。

 だけど握りは強くなる一方であって、俺の脳ミソの中で痛みの血が猛烈に噴き出しているんだ。

「はい、あーーん」

 キンタマを握りつぶしながら、棒の部分を口の中に入れようとしていた。すごくいやらしいのだけど、その先にあるのはとんでもない地獄なんだ。

 イモコの口が大きく開いている。俺の棒が大きいからではない。なるべく助走をつけてから、力を込めて噛み千切りろうとしているんだ。ノコギリみたいなギザギザの歯を見て、俺の絶望が果てしない。

 最期の一瞬前、イモコと目が合った。すごく粘っこく見つめられた時、弁当を邪魔してしまったことを心の底から謝りたいと思った。

 

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