第47話 無に還る

 やがて光が収まり、ギールは仰向けで倒れるマガリーの元に歩み寄った。

 マガリーは胸元を押さえて泣いていた。


「……痛いわ」


 悲痛な声が、彼女の口からこぼれる。


「死んでしまいそうなくらい、心が痛い……」


 マガリーを貫いた魔眼の光線は、精神の回復をつかさどる慈悲の光。

 心が正常に戻った今、マガリーは愛する人たちを喪った痛みに震えているようだった。

 涙に濡れた彼女の瞳が向けられる。


「ここから先……私、どうすれば良いの……?」


 ギールの目元にも熱が集まる。

 滲み出した涙をこらえ、ギールは声を絞り出す。


「生きていきましょう。亡くなった人たちの記憶を守りながら、生きていきましょう」


 マガリーが両目を手で押さえ、嗚咽おえつをもらした。

 かけるべき言葉をそれ以上見つけらず、ギールは佇む。

 肩に柔らかな感触が触れた。振り返ると、アミラが顔を埋めていた。


「ギール、ごめんね……」


 涙の混じった声。それでギールも限界を迎えた。涙が頬を伝う。

 胸が痛い。それでも、自分たちは前に進まなければならない。

 アミラが離れた。泣きながら、それでも彼女は笑みを描いていた。


「エフィーの元に行ってあげて」


 ギールは涙を拭って頷いた。

 魔法陣の上で倒れているエフィーに駆け寄る。


「エフィーっ……!」


 その身体を抱き起こすと、エフィーは身じろぎをして微かに目を開いた。

 無事だった。安堵に全身の力が抜けかける。


「エフィー、助けに来たよ」

「ギールさん……」


 エフィーの目元に涙が浮かぶ。

 ギールは彼女を強く抱き締めた。温かい。愛しい温もりが伝わり、胸が溢れる。


「帰ろう、俺たちの家に」


 ギールはエフィーを横抱きに抱え、魔法陣の外に連れ出した。

 守れた。今度こそ守り切った。心の中に熱が広がる。

 顔を上げると、ちょうどレマとカイスが室内に入ってきたところだった。二人もこちらを見て、微笑みながら手を振ってきた。

 彼らが助けに来てくれなければ、エフィーを守る事はできなかった。

 ギールは心からの感謝を込めて、彼らに笑みを返した。

 ——そのとき、タタタと足音が聞こえた。

 アミラが駆け寄ってくるのが見えて、ギールは立ち止まる。


「ギールさん、大丈夫です。下ろしていただけますか?」


 エフィーが前を向いたまま、落ち着いた声で言う。


「分かった」


 ギールは言われた通りにエフィーを地面に下ろした。

 アミラは涙を流しながら、エフィーの手を握って頭を下げた。


「ごめんね、エフィー……」

「謝るのは私の方です、アミラさん」


 そっと首を横に振って。


「ギールさん、皆さんも」


 エフィーは静かな声で告げた。




「——本当に、ごめんなさい」




 直後、ギールの身体を衝撃が襲った。視界が暗転する。


「っ……!?」


 気がついたらうつ伏せで倒れていた。

 頬に冷たく固い地面の感触が伝わる。立てない。痺れたように身体が動かない。

 ギールは視線を走らせる。エフィー以外の全員が倒れていた。


「エフィー? 何を……」

「嬉しかったです。ギールさん、あなたが一緒に生きると言ってくれたとき」


 振り向いたエフィーは泣いていた。

 泣きながら、微笑みを浮かべていた。


「だからもう、十分なの」


 そしてエフィーは背を向けて歩き出した。

 悪寒と恐怖に襲われ、ギールは声を張り上げる。


「エフィー、待って……! 待ってくれっ……!」


 彼女の元に辿り着こうと暴れる。

 しかし血管が破裂しそうなほどに力を込めても、身体が上手く動かない。

 小さな背中が遠ざかる。

 先ほど連れ出したはずの魔法陣の中に踏み入り、エフィーは立ち止まった。

 直後——魔法陣が光を放ち、エフィーの身体が輝き始めた。

 その頭上に輪が、背中に翼が出現する。

 神々しい光を振り撒き、天使が振り返った。悲しげな笑顔だった。


「アミラさん……私がぬいぐるみを直したときの事、覚えていますか?」


 背後でアミラが息を詰まらせた気配がした。


「今の私は、あのときよりも凄い事ができるんです」


 そしてエフィーはこちらを見て、祈るように胸の前で両手を重ね合わせた。

 涙を溢れさせながら、彼女はボロボロの微笑みを浮かべていた。


「私はギールさんに救ってもらいました。本当に幸せにしてもらいました。だから、次はあなたの番」


 そこでエフィーは、少しだけ唇を引き結んだ。

 けれども、すぐに微笑みを戻す。


「ごめんなさい。見てしまったのです、机の上の写真……アリアーヌさん、素敵な方ですね」


 ギールは首を横に振り、大声で叫んだ。


「エフィー……!」




「——ギールさん、どうかアリアーヌさんと幸せになって」




 エフィーの全身が眩い光に包まれ、爆ぜた。

 光の粒が宙に舞い上がる。

 その煌めきも、すぐに色を失って消滅した。

 身体が楽になる。ギールは飛び上がって魔法陣に駆け寄った。

 けれども、エフィーはもう存在しない。

 肉体は全てゼロに還り——彼女が着ていた服だけが、そこに残されていた。

 ギールは膝をついて遺された衣服に触れる。


「エフィー……まさか……」


 震える手でスマホを取り出し、電話をかけた。もう二度と繋がらないはずだった、その電話に——。


『もしもし、ギール? どうしたの、こんな時間に』


 愛しい人が出た。ずっと聞きたかったアリアーヌの声が、鼓膜を撫でた。

 エフィーが戻したのだ。自分の未来と引き換えに、壊してしまった世界を。


「っ……こんなの」


 手からスマホが滑り落ちた。胸を食い破るほどの悲愴が喉から溢れ返る。


「救われてない……こんなの、全然救われていないじゃないかっ! エフィー……!」


 天を見上げ、涙を撒き散らし、ギールは声の限り叫んだ。

 愛しい少女の名前を、叫んだ。

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