第46話 決着

 一瞬、足元が崩壊したかと思った。

 肺が痛み、ギールは呼吸を忘れていた事に気づく。しかし上手く息を吸えない。


「な……何を、言っているんですか……?」


 声が震える。


「エフィーは天使です。天使だったじゃないですか。なのに、今さら何を……」

「古代文明時代にね、人類は最高位の天使を一名殺害したの」


 マガリーが語る。

 話の繋がりが読めず、ギールは眉をひそめた。


「そこでね、当時の人々は考えた。今ここには最高位の天使の亡骸なきがらがある。これに霊体——つまり精神と魂を憑依ひょういさせて蘇らせる事ができれば、かつてないほど強力な戦闘兵器を手にできるのではないか、ってね」


 ギールは寒気に襲われた。


「ま、まさか……そこで使われたのが……」

「そう、エフィーちゃんの霊体よ。しかもね、エフィーちゃんは現代の人間なのよ」

「っ……!?」


 衝撃が脳を突き抜けた。


「全てモルスが見つけた記録書にあった話よ」


 ギールは唖然としてマガリーの話を聞いていた。


「古代文明時代の生物の精神には、神に対する『信仰心』が深く刻み込まれていたの。当時の人間たちは無理やり抑えつけていたそうだけど、そのまま人間の霊体を天使の肉体に憑依させたとき、どうなるかが分からなかった。最悪の場合、信仰心が目覚めて神の元に戻ってしまう可能性もあった」


 マガリーは静かに目を伏せる。


「そこでね。過去の研究者たちは、信仰心が薄れた未来の人間に目をつけたの。そして犠牲になったのがエフィーちゃんだった」


 ギールは何も言えなかった。脳が情報を受け止め切れない。


「信じられないかしら。だけど、エフィーちゃんに現代の言葉が通じていたでしょう? おかしいと思わなかった?」

「————ッ!」


 確かに。古代文明時代の天使だとしたら、古代語を話すはずなのに。

 今さらながらギールは驚きと共に納得する。


「そうやって、現代人だったエフィーちゃんは過去の戦いに巻き込まれた。でもね、神がそんなのを見逃すはずがなかったのよ。結局数日後には、エフィーちゃんは神の裁きを受ける事になった」


 マガリーが説明を続ける。


「天使の肉体に対する冒涜ぼうとくと、神を殺そうとした不敬——『罪人』の烙印を押されたエフィーちゃんは、元の世界に叩き返されたの。神に許容量を超える魔力を流し込まれて、肉体を内部から破壊されながらね」


 まるで風船を破裂させるように——と、マガリーはこぼした。


「ここまでが記録書に綴られている内容よ。あとは推測だけど、エフィーちゃんに叩き込まれた破壊的な魔力は、最終的に『ルビー・ダスト』の暴発という形で現れたんだと思う。少なくとも、『ルビー・ダスト』があの子の意思じゃなかった事だけは確かでしょうね」


 ギールはハッと目を見開いた。

 同じ様子のアミラが、隣で掠れた声をこぼす。


「それじゃあ、エフィーは何も……」

「ええ。何も悪くないわ。あの子はただ理不尽に巻き込まれただけ」

「そんな……私……」


 アミラが俯いて身体を震わせる。

 ギールは胸を潰されたような痛みに、奥歯を噛み締めた。


「だけど大丈夫よ。『最期の祈り』で天使の部分が全て消滅しても、人間部分であるエフィーちゃんの霊体は消滅しないから」


 マガリーが優しい声で言う。


「冥界でちゃんと謝れば、きっとエフィーちゃんも許してくれるわ」


 冥界で、という言葉が胸に重く響く。

 ギールはマガリーに向けて、声を絞り出した。


「マガリーさん……あなたの計画は、エフィーには……?」

「話したわよ。エフィーちゃん本人の事も含めて全部話した。だけどエフィーちゃん、首を横に振ったのよ。あと二日しか生きられないのにね」


 ギールは息を詰まらせる。

 そうだ。マガリーに裏切られた今、『天使の修復魔法』の代償に抗う道は閉ざされたようなものであった。

 あと二日でギールかエフィーのどちらかは死ぬ。

 その場合、エフィーは絶対に自らの死を譲らないだろう。


「エフィーがこのまま死んだら、その霊体はどうなるのですか……?」

「本来であればね、天使としての死を迎えれば、エフィーちゃんの霊体は元の身体に戻るはずだった。だけどね」


 マガリーが目を伏せる。


「エフィーちゃんの人間の身体は、既に死んでしまっているみたいなの。だから、その霊体は冥界に行く。あと二日で、エフィーちゃんとは本当にお別れよ」

「っ……」


 胸が焼け焦げるような痛みが走り、ギールは顔を歪めた。

 マガリーが優しげな笑みを浮かべる。


「だけど、私に任せてくれればお別れせずに済む。みんなが幸せになれるわ」


 胸が痛くて、ギールは俯いた。


(……マガリーさんに従えば、全員が冥界で再会できる)


 アリアーヌともエフィーとも、一緒にいられる。

 肉体がないからもう死ぬ事もなく、ずっと一緒に——。


(だけど、エフィーはそれを跳ね除けた)


 永遠の別れが来ると分かっていても、あの子は今ある世界を守る事を選んだ。

 ギールは手元に視線を向ける。肩に触れた手からアミラの体温が伝わっていた。

 そうだ。大切な人と触れ合ったときには、温もりと愛しさが伝わる。

 それは肉体があるからこそ——生きているからこそ、感じられるもの。

 ギールは顔を上げて立ち上がった。マガリーを見据え、身体に力を込める。


「そんなのは、本当の幸せじゃないっ……!」


 魔眼から光線を放った。

 目を見開いたマガリーの眼前で、光輝は見えない障壁に阻まれた。


「どうして……?」


 マガリーが驚愕した表情で呟く。


「大切な人とまた会えるのよ……? ずっと一緒にいられるのよっ……? それの、どこが気に入らないのっ!?」


 呟きは絶叫に変わった。マガリーの顔が泣きそうに歪む。


「どうしてっ!? エフィーちゃんだって、あと二日で死んじゃうのにっ……!」


 ギールは一瞬息を詰まらせ、けれども即座に声を張り上げた。


「まだ『浄化魔法』があります……! 必ず死ぬと決まったわけじゃないっ!」

「不可能だわっ! この世界が優しくない事なんて、あなたも痛いほど知っているでしょう!?」


 マガリーの鋭い視線が向けられる。

 操られたフラッドが斬りかかってきた。


「それでもっ!」


 ギールは飛び退きながら叫ぶ。




「——生きているこそ、俺たちは誰かを愛しいと思えるんです!」




 フラッドの身体が震えたように見えた。

 次の瞬間、フラッドは膝をついて額に手を当てた。長剣が音を立てて地面に落ちる。


「……ギール……俺は……」

「フラッドさんっ!」


 着地と同時に、ギールは彼の元に駆け寄る。

 フラッドは玉のような汗を浮かべながら、苦悶の表情で口を開いた。


「ギール……すまなかった。こんなのは、やはり間違っている」

「どうしてっ!? どうして、みんなっ!?」


 マガリーが怒りに燃えた瞳で怒鳴る。

 そして不意に、声を上げて笑い始めた。


「良いわ、全員まとめて殺してあげるっ! 冥界で愛しい人と再会したとき、自分の間違いに気づきなさいっ!」

「マガリーさんっ……!」


 ギールは彼女の前に立ち塞がり、魔眼に限界まで魔力を注ぎ込む。

 だが、魔眼から放たれた光線は再び見えない障壁に阻まれた。

 マガリーが口を動かす。


「——何人も死を免れる能わずMortem effugere nemo potest.


 瞬間、マガリーの眼前に闇色の魔法陣が展開した。

 ギールは息を呑む。全身に悪寒が走った。

 咄嗟に右手を前方に構えて詠唱する。


「——眼の啓示:太陽は肉体に安息を、月は精神に慈悲を与える」


 ギールは伸ばした右腕に左手を添えた。


「——右眼は太陽である」


 魔眼が赤い光を帯びてギールの右手の前に移動した。魔眼を中心に、円形に光の防壁が展開する。

 マガリーが狂ったように口元を歪めた。


「無駄だわ! これで終わりよ、ギール君!」


 ——その瞬間、マガリーの周囲で透明な何かが砕け散った。

 ガラスの破砕音のような甲高い音が響き渡る。

 マガリーの表情が凍りついた。

 彼女の意識が逸れたせいか、闇色の魔法陣が掻き消える。


『ギール君、カイスがマガリーさんの防御の魔法陣を破壊したわっ!』


 突如、レマの声が聞こえた。

 ギールは驚きと共に視線を走らせる。壁付けのスピーカーから声が響いていた。


『今ならマガリーさんに攻撃が届く!』

「「っ……!」」


 ギールとマガリーは瞬時に叫んだ。


「——左眼は月である!」

「——私を助けよ!Serva me!


 マガリーの眼前に白く輝く障壁が出現した。

 ギールの手の先で、青白く変化した魔眼から光線が放たれる。

 光輝が衝突し、閃光と衝撃が襲った。

 ギールは魔眼を掴む。マガリーに向けて突進し、光線ごと魔眼を障壁に叩きつけた。

 雄叫びを上げながら、全身から力を振り絞る。


「お願い、邪魔しないでっ……!」


 マガリーの頬には、いつしか涙が伝っていた。


「もうすぐ会えるの! 大好きなあの人と、あの子に……! もう一度会えるのにっ!」


 悲痛な叫びが耳を打ち、ギールの胸にも苦しい想いが広がる。

 衝撃に耐えかねて魔眼に亀裂が走った。それでもギールは下がらない。

 マガリーが泣き喚く。


「どうしてっ……! どうして、みんな邪魔をするのっ!? 愛しい人とずっと一緒にいられるのに……どうしてっ!?」

「終わりが来ると知っていながら、それでも永遠を願い祈りをかける——そんなきしむような切なさを『愛情』と呼ぶんです。永遠を手にしたら、人はいずれ愛情を忘れる……」


 ギールは真っ直ぐに叫んだ。


「マガリーさん、あなたも知っているはずです! 大切な人と触れ合うときに感じる愛しさを……生きているからこそ伝わる温もりをっ!」


 マガリーが目を見開いた。障壁がひび割れる。


「——それは絶対に、奪ってはいけないものなんだ!」


 光線がマガリーの胸を貫き、限界を迎えた魔眼が燃え上がるように爆発した。

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