第40話 一緒に
夜道を全力で駆け戻り、ギールはマンションに到着した。
ドアノブに手をかけたところで、動きを止めて目を伏せる。
(エフィー……)
許してもらえるだろうか。不安が胸をよぎる。
怖いけれど、真っ直ぐにエフィーと向き合って謝らなくてはならない。
ギールは強めに息を吐いて、身体に力を入れた。ドアを開ける。
ワンルームのウィークリーマンション。
玄関から見通せる、白い電気に照らされたリビングルームに向けてギールは呼びかけた。
「ただいま、エフィー」
返事がない。無視されているのだろうか。
胸がズキリと痛むが、ギールは気力を奮い立たせて家の中に入る。
——呻き声のようなものが耳を掠めた。微かな、鉄錆のような匂いも。
嫌な予感が悪寒と共に身体を突き抜けた。
ギールは床を蹴り飛ばす。
駆け込んだリビングルーム。玄関からは死角だった隅の方で。
包丁が胸に突き刺さったエフィーが、血の海に沈んでいた。
「ッ!? エフィー……!」
駆け寄って胸から包丁を引き抜く。鮮血が飛び散る。
エフィーがゴボッと血の塊を吐いた。
金色の光が煌めき、即座にエフィーの身体が治療される。
ギールは彼女の頭の下に右手を滑り込ませ、床からほんの少し浮かせた。
「ギール、さん……」
エフィーの涙にまみれた瞳が向けられた。
悲痛に喘ぐように、その顔が歪む。
「ごめ……なさい……ごめん、なさい……」
彼女から告げられた謝罪の言葉に、ギールは目を見開いた。
「殺してしまってごめんなさい……死ねなくてごめんなさい……」
エフィーの目から涙が溢れる。
彼女は両手で目元を押さえながら、声を震わせて泣きしきる。
「産まれてきて、ごめんなさい……」
心臓を殴られたように、胸が詰まった。
——ごめん……産まれてきて、ごめんなさい……。
幼い自分の言葉が、脳裏に蘇る。
その言葉に至るまでの壮絶な苦しみを、自分は知っている。
心が砕けそうになるほどの激烈な痛みを、自分は知っている。
「エフィーっ……!」
ギールは彼女を思いっきり抱き締めた。
「ごめん、ごめんね。救われていたんだ。俺も君に会えて……!」
言葉がまとまらない。それでも、伝えなければならない。
この子に。傷つけてしまったこの子に、自分の想いを。
ずっと気づかない振りをしていた、この想いを。
「君が俺と一緒に生きる事を望んでくれたから……俺も、生きる事を許されたような気がしていたんだ」
彼女の真っ直ぐな好意は、自分にとってはまるで「生きていても良い」と背中を押してくれているみたいに感じられていた。
だからこそ自分はエフィーに惹かれ、だからこそエフィーを拒絶した。
「本当に嬉しかったんだ。だけど、守れなかった人がいたから……自分だけが幸せになるなんて、裏切りだと思った」
——あなたが生きてくれているだけで、嬉しいの。
かつてアリアーヌが贈ってくれたその言葉が、自分の生きる理由だった。
そのアリアーヌが死んだ事で、自分は生きる理由を失った。
だけど実際のところは、ただ自分がそう思いたかっただけだった。
「本当は分かっていたんだ。生きる事は裏切りなんかじゃない。大切な人が生きる事を望まない人なんて、いるはずがないのに」
分かってはいたけれど、アリアーヌがいない世界で生きる事が苦しすぎて、ただ死ぬための動機を求めていた。
生きる必要なんてないのだと、そう思い込もうとした。思い込みたかった。
そんなときに自分は、エフィーと出会った。
好意を向けてくれる人がいる。自分が生きる事を、望んでくれている人がいる。
ギールにとって、それは何よりも得難い救いだった。
「一緒に生きよう、エフィー」
エフィーを強く抱き締めながら、ギールは告げた。
けれどもエフィーは首を横に振り、涙混じりの声で震えながら言った。
「だけど、どうやって生きれば良いの……?」
胸を締めつけてくる、悲哀に満ちた響きの声。
「大勢の人を殺して、幸せを壊してしまったのに……そんな私が、どうやって生きれば良いの……?」
分かっている。
この純粋な少女にとって、これほどの罪を抱えながら生きていく事は地獄だろう。
フラッドの計画を伝えれば、この子は自ら望んで命を差し出すに違いない。
だが——この子を悲しいまま死なせるなんて、許せなかった。
これは本当に、自分のわがままだ。
「俺が隣で支えるよ。どう生きれば良いのかも一緒に探すよ。だから、一緒に生きよう」
「ギールさん……」
エフィーの手が背中に触れる。
そのままエフィーは、縋りつくように大声を上げて泣いた。泣いて、咽せて、それでも泣き続ける。
ギールは胸の痛みを
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます