第39話 宣言

 アリアーヌと死別した日の夢を見て、暴れ回る心臓に苦しめられたあの夜。

 抱き締めて寄り添ってくれたのは、エフィーだった。

 ギールは目を閉じて涙を抑え、深く息を吸った。

 あのときのような、甘い匂いはしない。包み込んでくれる温もりもない。

 冷たい空気と血の匂いが胸の中に広がり、思わず目を開いて顔を歪める。


 エフィーの体温とあの優しい石鹸の香りが、猛烈に恋しくなった。


(……そうだ、あの子は……)


 エフィーに苦しめられているとばかり思っていた。

 けれども、あの子はいつだって真っ直ぐに優しさを伝えてくれていた。

 この荒んだ心に、優しく触れてくれていたのに。

 その優しさを歪んだ目で見て、苦痛に変えていたのは自分だった。

 例えエフィーが『ルビー・ダスト』を引き起こしたのだとしても、あの子が自分にくれた優しさは本物だったのに。


(それなのに、俺はっ……)


 ギールは痛恨に唇を噛み締める。骨が軋むほどに、強く両手を握り締めた。

 何が正しいのかはまだ分からない。

 でも、だからこそ、今はエフィーに寄り添ってあげなければいけなかったのに。


 どうして自分がここまで苦悩していたのか。

 それは、エフィーが心優しい少女だったからだ。


 だとしたら、エフィーだって苦しんでいたはずだ。

 突然身に覚えのない罪を突きつけられ、友人からの憎悪と殺意に貫かれて。

 あの純粋な少女が、苦しんでいないはずなどなかったのに。

 そのうえ、信頼していた人に拒絶されたとあっては、エフィーの心はどれほど傷ついただろうか。


(エフィー……)


 あんなにも傷つけられたのに、ずっと自分の心配をしてくれていた少女。

 あの子の元に帰らなければならない。帰って、謝らなければ。

 ギールは身体に力を込める。

 まずは、この拘束から脱しなくてはならない。

 大丈夫だ。回復魔法の効果はまだ続いている。今ならば、行ける。

 ギールは顔を上げて唱えた。


「——廃墟までも滅びたりEtiam periere ruinae.

「ッ……!?」


 フラッドが表情を強張こわばらせた。

 瞬間。眩い光輝が炸裂し、熱と衝撃がギールの全身を突き抜けた。

 しかし、回復魔法により即座に痛みが消える。ギールは椅子から立ち上がった。

 少し離れた場所で倒れているフラッドが、顔だけをこちらに向けた。

 彼は痛みを堪えるように呻く。


「ギール……何をした……!?」

「もしものときのために、カイスさんにお願いして両手足に『爆破魔法』を仕掛けて置いたんです」


 ギールは答えながら立ち上がった。

 コートにこびりついている焼け焦げた肉片をはたき落とす。

 椅子の拘束に囚われたままの肉塊から靴を取って履いてから、フラッドに向き直った。


「すみません、フラッドさん。ですが、エフィーを殺させるわけにはいきません。俺は——あの子を守ります」

「!? ギール、エフィーは大勢の人々を殺したんだぞ……!?」


 目を見開いたフラッドが、焦ったような声を上げた。


「だとしても、今のあの子はただの優しい女の子です」

「馬鹿なっ……!」


 驚愕を浮かべながら、フラッドは首を横に振る。


「お前はアリアーヌを見捨てるのか? 取り戻せたはずの幸せに、背を向けるのかっ!?」

「フラッドさん……」


 ギールは視線を僅かに落とし、拳を握り込んだ。




「どうして、そんなに苦しそうな顔をしているのですか?」




 フラッドの呼吸が凍りついた。

 ギールは俯いてしまいたい気持ちを抑え、フラッドに目を向けた。


「あの子を犠牲にしても、俺が欲しかった幸せはもう戻らないんです。あなただって、本当は分かっているのではないのですか?」


 フラッドは俯いて何も答えない。ギールは胸の痛みを堪え、もう一度宣言する。


「俺はエフィーを守ります」


 ギールはフラッドに背を向けると、エフィーの元に向けて駆け出した。

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