第38話 あなたに会えて——

「……お前もアミラも、復讐を果たしたら死ぬと言っていたな。死んで、冥界にいるみんなに会いに行くと。だがな」


 黙ったままのギールに言い聞かせるような口調で、フラッドが言う。


「もしも本当に冥界で死者と再会できるならば、お前たちは真っ先に死ぬべきだったはずだ。死者たちだって、殺されて悲しんでいる。だとしたら、復讐よりも何よりも先に会いに行って、寄り添い慰めるべきだったはずだ」

「っ……」

「だが、お前たちはそうはしなかった」


 フラッドの言葉が痛いところに触れて、ギールは拳を握り締めた。


「本当は分かっていたからだろう? 死んでも、冥界で死者と再会する事は叶わないと。死んだらもう、そこでその人は終わりなのだと。だからせめて、死者たちの代わりに復讐を果たそうとしていたのだろう?」


 フラッドの声は気遣いに満ちていた。


「だけどな、ギール。今なら不可能を可能にできる。手が届くんだ。失ったはずの未来、死んだ人たちともう一度笑い合える未来に」

「——俺は……」


 ギールの脳裏に、アリアーヌの温かな微笑みが浮かぶ。

 アリアーヌを選べば、エフィーが死ぬ。

 しかし、自分だけでなくアミラやフラッドをはじめ、他の多くの遺族たちも救われる。


「……俺、は……」


 ギールの脳裏に、エフィーの健気な微笑みが浮かぶ。

 エフィーを選べば、アリアーヌとは二度と会えない。

 そして他の誰も救われず、自分とエフィーはフラッドたちから憎まれ追われる立場となるだろう。


 エフィーは大勢の命を奪った人殺しで、アリアーヌは何の罪もなかった犠牲者。

 だけど、エフィーは純真な未来を願っていた優しい少女で、アリアーヌは既に亡き過去の人。


 何が正しいのか分からない。誰を選び、誰を救い、誰を切り捨てれば良い?

 視界がぶれる。吐き気に胃がねじれて、胸が塞がる。

 どうして——どうして、こんなにも苦しまなければならない?


(どうして俺は、産まれてきてしまったのだろう……)


 胸が痛い。耐えられない。こんなにも苦しむくらいなら、産まれてこない方が良かった。目元が熱い。視界が滲む。

 頑張って生きてきたけれど、もう限界だった。




 ——頭を激痛が貫いた。口から赤黒い肉片が落ち、熱い液体が溢れ返る。




「ギールっ……!? まさか舌を……!?」


 フラッドの叫び声が、どこか遠くに聞こえた。

 焼けるような痛みの中、ぼんやりと思考が巡る。


(俺は、何をやっているのだろう……)


 舌を噛み切ったところで、人間はそう簡単には死ねないのに。

 ただ衝動に任せただけの無意味で愚かな自傷行為。

 死にたい。死ねない。何かの奇跡が起きて、このまま死なせてくれないだろうか。

 ギールは祈りながら目を閉じて——。




 ——あなたに会えて、私は幸せだよ。

 ——あなたが生きてくれているだけで、嬉しいの。




 頭の中を、温かな声がよぎった。ギールはハッと目を見開く。

 次の瞬間、顎を下から押され無理やり上を向かされた。口の中に何かが流れ込んでくる。

 反射的に飲み込んだ。視界に光が広がる。いつか見た、緑の光。


(モルスの、回復魔法薬……)


 焦った表情のフラッドに飲まされていた。痛みや倦怠感が消え去り、身体が楽になっていく。

 やがて薬液が尽きて、顎からフラッドの手が離れる。

 ギールは再び俯いた。


(今の声は……)


 頭の中で響いた声。かつて、アリアーヌがかけてくれた言葉。

 両親の死が自分に起因すると思い込み、自らの死を強く願ったあのとき。塞ぎ込んだ自分に、彼女はそう言って優しく寄り添ってくれた。

 忘れていた。

 アリアーヌの死があまりにも苦し過ぎて、ずっと記憶を閉ざし続けてきた。

 しかし心身が限界を迎えた今、その封印が弱まったのかも知れない。

 そして思い出した彼女の言葉。胸が熱い。涙が次々と溢れて止まらない。


(生きろって、言うのか……?)


 こんなにも苦しいのに。もう、何も考えたくないのに。

 だけど、ここで死ぬ事は——それこそが、アリアーヌに対する裏切りになるのか?

 どれだけ苦しくとも、アリアーヌかエフィーのどちらかを選んで、どちらかを諦めて生きていくしかないのか?

 失ってばかりの人生を、これからも歩んでいくしかないのか?


 視界が激しく回り始める。胃の底から熱く苦いものが込み上げてくる感覚。肺が詰まったように呼吸が上手くできない。

 苦しい。酸素を求め、ギールは必死で口を開いて。




 ——ギールさん、ゆっくり……ゆっくり、呼吸をしてみて。




 不意に、耳元で優しい声が蘇った。

 呼吸が止まる。瞠目どうもくしたギールは、震える唇を静かに閉じた。

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