第41話 秘密

 エフィーの後にシャワーを浴びて、全身の血やら泥やらを落とした。

 ドライヤーで髪を乾かしてリビングルームに戻る。

 折りたたみ式のソファーベッドに腰掛けたエフィーが、何やら神妙な顔つきでこちらを見てきた。


「どうした?」

「ギールさん、少しお聞きしたい事が……」


 ポンポンと隣に座るよう合図される。

 何だろうか。疑問に思いつつも、ギールは指示通りにエフィーの隣に腰を下ろした。


「まず一つ目なのですが……ここはどこなのでしょうか?」

「ああ、ここはね」


 ギールは僅かに考え、フラッドとのやり取りを全てエフィーに話した。


「フラッドさんが何か仕掛けてくると思っていたから、そのときの緊急避難先にね。昨日から一週間の短期間で契約しておいたんだ」

「昨日……もしかして、用事があるって言っていたのは」

「ここの鍵を借りたり、荷物を運び込んだりしていたんだ」

「荷物——そう、それです。ギールさん」


 エフィーは頬を赤に染めた。視線を彷徨わせて口籠もり、


「……お洋服も、ギールさんが新しく用意して下さったのですか?」

「え? うん、そうだけど」


 よく分からないまま頷くと、エフィーはますます真っ赤になった。




「……下着が、ぴったりでした」




 瞬間、ギールはエフィーが言いたい事を理解した。

 ——何故、下着のサイズを知っているのか。

 エフィーは今、乙女の秘密を勝手に暴いたギールを詰問しようとしているのだ。

 身体に緊張が走る。

 果たして何と答えるのが正解なのか。ギールは思考を巡らせて、


(いや、これもう詰んでるだろ……)


 内心で頭を抱える。

 知ってしまった以上、もはや言い訳のしようはない。ならば選ぶべき手段は一つ。


「ごめん。実は、エフィーが寝ている間に測ったんだ」

「——ッ!?」


 驚愕、羞恥しゅうち、そして立腹と、エフィーの感情が切り替わって見えた。

 真っ赤なエフィーに涙目で詰め寄られる。


「そ、それは絶対ダメですよ! えっち! 寝てる間になんて酷いですっ!」


 ぽかぽかと胸元を軽く叩かれる。


「ごめん! 冗談だよ、冗談! 本当は、干してあった洗濯物のサイズを見させてもらっただけなんだ」

「え……?」


 エフィーの攻撃が止まる。ギールは彼女に微笑みを向けた。


「安心して。それ以上の事は何もしていないから」


 先にとんでもなく悪い話をしてから、悪い事実を伝える。

 これにより、ただ悪い事実を伝えたときよりも被害を抑えられたはず。

 どうだ、とギールはエフィーの反応を待ち——。


「し、下着を勝手に見るのもダメですよ! えっち!」

「すみませんでした!」


 赤面涙目なエフィーに怒られ、ギールは思いっきり頭を下げた。




「ごめんなさい、ギールさん。私のためだったのに、取り乱してしまって……」


 エフィーが項垂れている。

 どうやら、先ほどの下着騒動の件で自己嫌悪に陥っているらしい。


「いやいや、エフィーは悪くないよ。俺の方こそ、ごめんね」


 最初からちゃんと説明していれば、エフィーは取り乱さなかったはずだ。

 被害を最小限に抑えようと姑息な手段に出た自分が、百パーセント悪い。

 しかし、まさかエフィーと下着の話をする事になろうとは。

 話題が話題なだけに、正直気まずい。ギールは話を変えようと視線を彷徨わせた。


「……あれ、これは?」


 この部屋の荷物は全て、自分が用意したもののはずである。

 しかしテーブルの上に、見慣れない封筒が置いてあった。

 血の後処理などに追われて全然気づいていなかったが、これは一体何だろうか。

 ギールは手を伸ばしてその封筒を拾い上げる。


 エフィーが「あっ」と声を出した。


「それはユートさんからのお手紙です」

「ユートさんから?」


 僅かに身体が強張る。彼との間には、本当に色々あったから。


「はい。ギールさんに渡して欲しいって」

「そっか。それじゃあ、読まないとね」


 ギールは微かに震える指先で掴み、封筒の中から手紙を取り出した。

 目を走らせる。書いてあったのは今までの謝罪と、自分や母親の命を救った事に対する感謝の想い。

 そして、ギールのように誰かを助けられる人間になりたいという、未来を向いた言葉だった。


(そうか。ユートさん、立ち直れたんだな)


 思わず笑みが浮かぶ。

 憂いが一つ消え去り、代わりに熱が灯ったように心が温かくなった。

 本文を読み終え、追伸に目を向ける。


『追伸:お見舞いの焼き菓子、美味しかったです。ありがとう』


 ちゃんと食べてもらえたんだ、とギールは安堵の吐息をついた。

 無駄にならなくて良かった。

 やはり、相手の好物を贈る事はお近づきになる上で大切だ、とギールは思い、




 ——不意に、戦慄が身体を駆け抜けた。




(あれ……そう言えば、あのときどうして……)


 違和感が頭をよぎる。そのまま、パズルが組み上がるように情報が繋がった。

 完成したのは、この上ないほど最悪な道筋だった。


「っ……そんな、それじゃあ……」

「え……?」


 口から漏れた呻きに、エフィーが不安げな表情を浮かべた。

 ユートの手紙をテーブルに戻し、ギールは奥歯を噛み締める。


(見落としていた……いや、もっと早い段階で疑いは持てたはずだ。ただ、あの人を疑いたくなかっただけで……!)


 胸が締め付けられるように痛い。せっかく、ここまで立ち直ったのに。


(それじゃあ、エフィーはもう……)


 何故あの瞬間に気づけなかった。

 後悔に苛まれ、噛み締めた奥歯が軋む。


「ギールさん」


 エフィーに手を握られた。彼女の柔らかな温もりが伝わる。

 それだけで、ギールは落ち着きを取り戻せた。


(そうだ……まだ終わりが決まったわけじゃない。今は目の前の戦いに集中するんだ)


 エフィーからそっと手を離して、ギールは微笑む。


「ごめん。ありがとう、エフィー」

「いえ……何があったのですか?」


 緊張した面持ちのエフィーに、スマホを取り出しながら答える。


「フラッドさんは、黒幕じゃなかったんだ」

「えっ!?」


 驚愕するエフィー。

 ギールはスマホを操作して、エフィーにも聞こえるようにスピーカーモードにして電話をかけた。

 数コールの後に相手が出る。


『もしもし、ギール君?』

「……黒幕は、あなただったのですね」


 ギールは一呼吸置いて、声を振り絞った。




「——マガリーさん」

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