第19話 苦味と甘味

 十二月二十五日の聖霊祭せいれいさいを前に、街中まちじゅうの空気がどこか華やかに浮ついていた。

 人が溢れる大型ショッピングモール。軽快な音楽と楽しげな話し声が耳を賑わせる。

 隣のエフィーも、何だかそわそわしていた。

 先ほどからチラチラと左手に視線が向けられている。


「はぐれると大変だし、手繋ごっか」


 ギールは左手を差し出す。エフィーの顔がパァッと輝いた。


「はいっ!」


 二人で手を繋いで歩く。チラリと見ると、彼女は頬を染めて微笑んでいた。

 目が合う前にギールは視線を逸らす。


「何か欲しいものがあったら、遠慮なく言ってね」

「ありがとうございます」


 エフィーが周囲を見渡す。そして微かな呟きをこぼした。


「あっ……」


 ギールはエフィーを連れて通路の脇で立ち止まった。


「何かあった?」

「い、いえ……その……大丈夫ですっ」


 真っ赤な顔で、エフィーはわたわたと両手を振る。


「遠慮しないで良いんだよ」

「あぅ……あの、えっと……」


 エフィーがもじもじと視線を向けた先——。


「それめちゃくちゃ美味いな。何味だっけ?」

「チョコアーモンドホイップよ。そっちのバナナキャラメルカスタードも美味しいね」


 広間に設置された休憩スペースで、若い男女がクレープを食べていた。


「なるほど、クレープか」




 休憩用の長椅子に並んで座った。

 クレープを一口食べたエフィーが、キラキラの瞳をこちらに向ける。


「美味しいです! 生地がもちもちで、いちごは爽やか! ホイップクリームは甘いのに重たくなくて、口の中で優しく溶けていきます!」

「それは良かった」


 マガリーから聞いた話では、天使の味覚や嗜好しこうは人間と大差ないのだとか。

 彼女に微笑みを返してから、ギールは自販機で買った缶コーヒーを飲んだ。

 熱と香ばしい苦味が心に沁み渡る。

 そのままぼけーっと行き交う人々を眺めていると、


「……ギールさん」


 先ほどとは打って変わった、緊張気味な声で名前を呼ばれた。

 何事かとエフィーに向き直る。

 彼女は真っ赤な顔でクレープを差し出してきた。


「あ、あーん……です」

「!?」


 ギールは思わず目を見開いた。

 突然何を言い出すんだこの子は——そう思いかけて、瞬時に考え直す。

 エフィーが自ら攻めてくるとき、その前に必ず何かきっかけがある。

 それが彼女と接する中でギールが抱いた感想であった。

 呼び方のときも、下着のときもそうだったのだから。

 ギールは思考を巡らせて、クレープを買うに至った経緯を振り返る。


 ——『めちゃくちゃ美味いな。何味だっけ?』

 ——『チョコアーモンドホイップよ。バナナキャラメルカスタードも美味しいね』


(……なるほど! なるほど、なるほど……)


 エフィーが見ていた若い男女。

 あのとき彼女は、ちょうどカップルがクレープを食べさせ合っているラブラブシーンを目撃したのだろう。

 それで、自分はこの子に何と言った? 真っ赤な顔で首を横に振った彼女に……。


 ——『遠慮しないで良いんだよ』


 ギールは内心で呻いた。

 エフィーが赤面していた理由をもっとよく考えるべきだった。


(食いしん坊だと思われる事を恥じていたわけではなかったのか……)


 だが、どのみち断って悲しませるなんて選択肢は選びようがなかった。

 今は彼女の望みを一つでも多く叶える事。それしかないのだから。


「それじゃあ、頂くね」


 平常心を取り繕い、ギールはクレープをかじる。

 コーヒーの苦味が残る口の中に、柔らかな甘味が広がった。


「ほんとだ、美味しいね」


 微笑みを作ってエフィーに顔を向ける。


「はわわ……」


 彼女は熱に浮かされた様子でクレープを見つめていた。


「…………」


 ギールは非常に居た堪れない気持ちになった。

 コーヒーを一気に飲み干して、甘さを無理やり押し流す。


「缶捨ててくるね」

「はぁい……」


 エフィーの声は完全に上の空だった。

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