第9話 慧眼

 目を開いたギールは、窓から差し込む光の眩しさに再び目を閉じた。

 頭を揺らして纏わりつく眠気を振り払い、今度はゆっくりと目を開ける。

 机上時計を見ると、午前九時になるところだった。

 眠りについてから三時間ほどが経過していた。


 ギールは椅子から立ち上がる。

 かつて父がこの街で過ごしていたときに購入したという、小さな一階建の居宅。

 現在はギールがその遺産を受け継ぎ、最低限の家具だけを置いて一人で暮らしていた。

 故に、当然ながらベッドはこの自室に一つしかない。

 そして今、その上には連れ帰ってきた天使の少女が横たわっていた。


 ギールは少女の元に近寄る。

 少女は泣き止んでいた。痛みや寒さから解放されたからだろうか。

 だが、未だに自我は戻っていないようで、彼女はただ無感情に天井を見上げている。


 ギールは片膝をついて、投げ出された少女の右手を両手で包み込んだ。

 そのまま自身の固有魔法『魔眼球』を発動する。

 少女の真上に、人間の頭サイズの目玉が一つ浮かび上がった。


「——眼の啓示:太陽は肉体に安息を、月は精神に慈悲を与える」


 少女を見つめ、ギールは唱えた。


「——左眼は月である」


 青白く発光した眼球から、少女に向けて光が降り注ぐ。

 しかし何も起きない。


「やはりダメか……」


 帰宅してから何度も精神干渉を試みているが、何も進展させられていなかった。

 ギールは奥歯を噛み締める。


(やはり、マガリーさんの助力がなければ無理か……)


 フラッドからもマガリーに協力を仰ぐ許可は貰っている。

 だが、そのためにはマガリーに対する事情の説明は避けられない。

 失敗したらこの少女を殺すという覚悟を、彼女にも背負わせる事になる。


 だけど、それでも——この子はあんなにも泣いて、救いを求めていたから。

 ギールはスマホを取り出して、マガリーに電話をかけた。

 数コールで繋がる。挨拶もそこそこにギールは本題に入った。


「マガリーさん、実はお願いがあるんです」

『何かしら?』


 これから厄介事に巻き込まれるなんて思ってもいない、軽い口調。

 ギールは罪悪感を抑えつけて、マガリーを罠に誘い込む。


「実は七時間ほど前に『救世教会』を殲滅したのですが、その地下室に天使の少女が囚われていまして」

『天使っ!? え、本当に……!?』


 マガリーに食い気味に遮られる。

 古代文明の研究者が、天使と聞いて興味を覚えないはずがない。

 予想通りの反応だった。


「はい、本物の天使です。その子を保護したのですが、少し問題がありまして……マガリーさんの知恵をお借りできないかと」

『分かったわ! 私も天使ちゃんと仲良くなりたいし、今からその子に会いに行っても良いかしら?』


 僥倖である。こちらとしても、早いほどありがたい。


「ええ。俺の方からもお願いします」




「はい、お土産。ドリップコーヒー詰め合わせよ」

「ありがとうございます」


 三十分後、ギールは玄関でマガリーから紙袋を受け取った。

 それから彼女を室内に招き入れ、天使が横たわっているベッドまで案内した。


「……この子が、天使……?」


 予想外の光景に、マガリーは唖然とした様子で少女を見つめていた。

 ギールは拳を握り締める。


 本当に卑劣な事をした。

 天使と自分の状況については隠し、その好奇心だけを煽るような言い方でマガリーを誘い込んだのだから。


「マガリーさん、すみません。実は……」

「天使の傀儡化と、それに修復魔法かしら」


 謝罪を遮られて告げられた言葉に、ギールは驚き目を見開いた。

 硬直して何も言えずにいると、マガリーが振り返って穏やかな声で続けた。


「十四日以内にこの子を救うために、私の協力が必要だった。そうでしょう?」


 ——凄い。一瞬でそこまで辿り着いたのか、とギールは戦慄を覚えた。

 だが、同時にその慧眼に期待も高まる。

 マガリーが修復魔法まで見破った理由は気になるが、それよりもギールは先を急いだ。


「黙っていて、すみません。何か手はありませんでしょうか?」

「結論から言えば、一つだけ方法はあるわ。だけど……」


 ギールは一瞬喜びかけ、しかし言い淀んだマガリーの表情を見て眉をひそめた。


「マガリーさん?」

「天使の修復魔法の代償については、このやり方ではこの子が死んでしまうかも知れないの」


 一気に血の気が引いたのが、ギールは自分でも分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る