第10話 どんな決断を下すとしても
「天使には元々、自分に干渉してきた異物を排除する『浄化魔法』というものが備わっているの。これを強制的に発動させれば、この子にかかっている全ての魔法を破壊できるわ」
マガリーの声が耳に届き、ふらついた意識が引き戻される。
「だけど『天使の修復魔法』はこの子の心臓の最奥に干渉しているの。それを破壊するには、『浄化魔法』の威力を極限まで高める必要があるわ」
「それは、そんなに危険なのですか……?」
「病気で高熱が出たときを想像してみて。身体を守るために熱が上がるけれど、上がりすぎると人は死んでしまうでしょう? そんなイメージよ」
ギールは少女に視線を落とした。
人間の高熱は苦痛を伴う。天使の感覚が人間と同じであるならば、浄化魔法によって死亡する瞬間も絶対に苦しいはずだ。
「成功率がどの程度かは分からないわ。だとしたら、この子にとって一番苦しみが少ないのは、きっとこのまま破壊する事なのだと思うの」
マガリーの言葉に呼吸が詰まった。
いつの間にか噛み締めていた奥歯が軋む。
——『俺は……目覚めたくなかった……』
数日前に聞いたユートの嘆きが蘇り、ギールは拳を握り締めた。
(この子もまた、苦しみの中で俺を恨むのだろうか……)
何が正しいのか、考えても考えても分からない。
分からないまま、言葉が零れた。
「俺は、この子を救いたいです。この子には、まだ……」
「まだ私たちと違って、救われる可能性があるものね」
言葉を引き継いだマガリーは、泣きそうに微笑んでいた。
「……はい」
頷いた自分は、きっと泣きそうな顔をしている。
「この子はずっと泣いていたんです。救いを求めているから、泣いていたのでしょう。なのに、ただ楽にするために殺すなんて……そんな事はしたくないんです」
言葉が流れ出てくる。自分勝手な事を言っている自覚はあったけれど、口を止められなかった。
「傀儡化を解除して、この子の願いを聞いてあげたい。この子が『生きたい』と願っているならば、俺の命を譲ってあげれば良い。そうすれば確実に救える。それが正しいのだと、分かっているんです」
視線が足元に落ちる。
「でも……同時に俺は、『ルビー・ダスト』の犯人を殺してやりたいとも願っています。それまでは、絶対に死にたくないんです」
声が震える。
「復讐とはいえ、人を殺すなんて許されない。そのために一人の少女を見殺しにする事だって、間違っている。どうせ復讐を終えたら死ぬつもりなのに。命を無駄にするだけなのに、救えるはずの命を見捨てるなんて、おかしいって分かっているんです。だけど……」
言葉を紡ぐ度に、激痛が胸を貫いた。
「それでも俺は、犯人が許せないんです」
一年前に命を奪われた彼女には、何の罪もなかったのに。
その理不尽をただ受け入れて死ぬ事だけは、絶対にできなかった。
「俺は、どうすれば良いのでしょうか……」
ギールは唇を噛み締める。
この子の傀儡化は解除してあげたい。だけど、自分の命を譲る事はできない。
浄化魔法を使えば、この子は苦痛の中で絶命するかも知れない。
だけど、浄化魔法で救われるという期待も捨て切れない。
だから、この手でこの子を殺す事も選べなくなってしまった。
いっその事、可能性が皆無だった方が楽だった。
そんな思考すら持ち始めている自分に気づいて、ギールは本当に自分が嫌になった。
噛み締めた唇に痛みが走る。口の中に血の味が広がり——。
「私も同じよ」
マガリーの声が聞こえて、ギールは顔を上げた。
「私も、夫と息子を奪った『ルビー・ダスト』の犯人が許せない。あの子なんて、まだ八歳だったのに……」
声を震わせたマガリーは、そっと息をついて呼吸を落ち着かせた。
「私も犯人を殺したいくらい憎んでる。その罪を償わせるまでは、やっぱり死ねないと思っているわ。私もあなたと同じ。この子のために命は差し出せないわ。だけどね」
一度少女に目を向けてから、マガリーはこちらに向き直る。
「苦しみを知っているからこそ、苦しんでいるこの子を救いたいという気持ちも痛いほど分かるの。だから、一緒に背負いましょう」
マガリーの言葉に、ギールは目を見開いた。
「あなたは傀儡化魔法を解除して、この子の幸せを最優先に考えてあげて。私は時間ギリギリまで資料に当たってみるわ。まだ二週間あるもの。もしかしたら、別のもっと良い方法が見つかるかも知れないわ」
マガリーは優しい微笑を浮かべていた。
「それでも、もしダメだったとしたら……それはそのときに考えましょう。どんな決断を下すとしても、あなた一人に背負わせたりなんかしないわ」
いつのまにか、呼吸を忘れていた。
目元が熱くなって、ギールは瞬きを繰り返して必死で涙を堪えた。
「っ……はい、ありがとうございます」
マガリーは頷いて、ショルダーバッグからペンとメモ帳を取り出した。
「それじゃあ早速始めようか。詠唱を教えるから、あとの事はお願いね。私は研究室に戻って資料を読み返してみるから」
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