第1話 夢死薬
「ギール、いつものコーヒー買ってきたぞ」
「すみません、フラッドさん。ありがとうございます」
ギール・ノワゼットは片耳からイヤホンを外し、ノートパソコンの画面から目を離した。
室内に入ってきた三十代後半の強面の男性——フラッド・ジーヴルから、ペットボトルのコーヒーが数本入ったビニール袋を受け取る。
ギールはその中から一本を取り出して、一気に胃の中に流し込んだ。
芳ばしい苦味が口の中に広がり、頭が少し軽くなる。十二月初旬の外気で適度に冷やされたコーヒーが、体内に溜まっていた熱を冷ましてくれた。
一息ついてから、ギールは再びパソコンに視線を戻す。
画面に映るのは病院の一室。ベッドに座る茶髪の少年と、椅子に腰かけた白衣の中年男性が向かい合っていた。
今回の事件の被害者ユート・フォンダンと、その担当医である。
病院側の許可を得て、ギールは対話の様子を特別に監視させてもらっていた。
「何か進展はあったか?」
「いえ、犯人に繋がる情報は何一つ。今までの四人と同じです」
フラッドがパソコンの画面を覗き込んできたので、ギールはイヤホンを引き抜いた。
『魔法薬とは、使用する事で魔法が使えるようになったり、または勝手に魔法が発動したりする薬の事。そのほとんどが身体に悪影響を及ぼす、危険で違法なものなんだ。これは学校で習ったかな?』
『……はい』
『あの魔法薬は、捜査機関の人たちから「
『……俺も、そんな説明を受けました』
スピーカーから流れる会話。若干音質は悪いが、内容は十分に聞き取れる。
『それでも君は、その魔法薬を飲んだんだね。何か悩みでもあったのかい?』
柔らかな声で尋ねる担当医。だが、ユートは俯いて黙り込んでしまった。
やがて長い静寂の後、彼はぽつりと呟いた。
『明確な「何か」があるわけでは、ありません……だけど、苦しいんです』
絞り出すような声が、続けられる。
『俺は……目覚めたくなかった……』
予想通りの言葉に胸が重くなり、ギールは視線を手元に落とした。
夢死薬の他の被害者たちも、皆がそう嘆いていた。
(今までの四人は、自分を「普通で取り柄のない凡人」だと思っていた。だからこそ、主人公になれる世界を望んでいた)
ギールは二時間前に精神干渉系の古代魔法で侵入した、ユートの夢を思い返す。
自分が惨殺した、ティエラ・リーフというキャラクターの事も。
(きっと、ユートさんも同じだったのだろう……)
そんな被害者たちの夢に侵入して、その理想世界をぶち壊し、拒絶感を抱かせて強制的に目覚めさせる。
ギールはそうやって、夢死薬の被害者たちを死ぬまで覚めない夢から生還させてきた。
死にたいと願っていた彼らを、無理やり引き戻してきた。
「ギール、あまり思い詰めるな」
聞こえた声に顔を上げる。フラッドが手を伸ばして、ノートパソコンを閉じた。
「お前は死ぬはずだった命を救ったんだ。それは正しい行いだ」
ギールは拳を握り締める。
「誰かが悲しむ姿は、もう見たくないんです。救いを求めている人がいるならば、力になりたい。ですが俺が命を救った結果、その人が苦しむのでは……それは本当に正しいのでしょうか」
俯き、胸の中の澱みを吐き出す。
「ユートさんたちの『死にたい』という気持ちだけは、俺には絶対に否定できないんです……」
——自分も、同じだから。
ギールは顔を上げられないまま、口を閉ざした。
「一つ確かな事は」
フラッドが静かな声で言う。
「お前が被害者たちを救わなければ、彼らの家族は俺たちと同じ結末を迎えていたという事だ」
同じ結末——。唇を噛み締めたギールは、栗色の髪の少女の笑顔を思い出す。
自分を抱き締めてくれたときに伝わった、あの柔らかな温もりも。
同時に、胸の中で殺意が沸き上がり下腹部に力が入る。
「生きていれば人は変われる。だが、死んでしまえばそれまでだ」
フラッドが語り続ける。
「時間はかかるかも知れないが、ユート・フォンダンも今までの被害者たちも、きっと生きていて良かったと思える日が来るだろうさ」
その言葉は、きっと誰よりもギールに向けられたものなのだろう。
だが、ギールはフラッドに何も返せなかった。
自分も変われるとは思えなかったから。
この心を支配する殺意と「死にたい」という感情を、消し去れるとは思えなかったから。
「まあ、何はともあれだ」
空気を一転させる軽い口調で沈黙を破り、フラッドは椅子に座った。
「夢の中とはいえ、お前は人を殺してきたばかりだ。あとの調査と『魔法犯罪被害者データベース』の更新申請は俺が引き継ぐから、今日はもう帰って休むといい」
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